親子二人で登った日本百名山

北アルプス−3

(常念岳・槍ヶ岳・穂高連峰・焼岳・乗鞍岳・御嶽山)

常念岳(2857m)

登山日   1998年7月18日
登山経路   三股6:50〜前常念岳12:20〜常念岳13:45/14:40〜常念小屋15:40〜大天荘18:30
天候      晴/曇

豊科町の合同庁舎に車を置いてタクシーで三股へ
梅雨明け宣言はされていなくても、見上げる北アルプスの峰々は完全な夏色です。海の日の休日を挟んだ3連休に待ちかねた登山者で三股駐車場は満杯です。
登山指導所で「今日は大天荘まで」と書きこむと「行程が長いから気をつけてね」にホッと胸をなでおろしました。実は無理だから止めろと忠告されるのではないかと気にかけていたのです。
蝶ヶ岳への道を右に別けるといきなりの急登です。そこから先の森林限界までは、もうただあえぐのみ、思い出したくもないアルバイトをこいで登りました。森林限界を抜けると前傾姿勢をとると額が土に着きそうな、きつい登りにかかり、重いザックが肩に食い込みます。
12時20分、5時間半かけて前常念へ。更に1時間20分かけて常念岳山頂へは13時45分登頂しました。下から見上げた時はあれほど晴れていたのに、山頂は安曇平から吹き上げるガスで展望もいまいちでした。
息子には20分以上も遅れをとりました。1時間の休憩の後、礫岩の急坂を急ぎ常念小屋に下り、15時半に着きましたが、ここで泊ってしまうと、予定どうり明日は、槍ヶ岳までは無理です。くつろいで散策を楽しんでいる宿泊者を横目に一目散大天荘を目指しました。
「3時間はかかるよ」の声も無視して、ひたすら表銀座の縦走開始です。気持ちの中には「今は一番日が長い時、明るいうちにつくさ」と開き直りもありました。この判断が大成功です、縦走路を歩く先行者は見当たらず、行き交うパーティも少なく、静かな表銀座を独占した気分です。途中からガスも切れて槍ヶ岳も時々姿を見せます。幸運にも雷鳥に初めてお目にかかることもできました。それも2回もあり、うまくカメラに収めることも出来ました。
夕闇の大天荘には常念小屋から2時間50分かけて、18時30分到着しました。
山小屋では大阪からの夫婦2組のパーティと同宿し、話が弾み息子のことも理解をされて、人の情けに楽しい一夜を過ごしました。

2008年 徳本峠〜大滝山・蝶ヶ岳〜常念岳縦走の記録
2013年 三股〜前常念岳〜常念岳日帰りの記録
2020年 一ノ沢〜常念小屋泊〜常念岳の記録

 

槍ヶ岳(3180m)


登山日   1998年7月19日
登山経路   大天荘6:50〜西岳ヒュッテ10:00〜東鎌尾根〜槍ヶ岳山荘14:20 〜槍ヶ岳〜槍ヶ岳山荘(泊)
        槍ヶ岳山荘7:30〜槍沢〜横尾 〜徳沢〜上高地
天候     快晴/曇/雨/晴

7月19日快晴/曇
興奮状態が続きまんじりともしない大天荘の夜でしたが4時には起きて、小屋のすぐ後ろの大天井岳へご来光を拝みに行きました。
4時36分浅間山の方角からのご来光を拝み刻々と変わる槍穂高から裏銀座の山々に目を奪われカメラを放すことができません、まさに感動感激のひとときです。
「ご来光を拝む」という荘厳な儀式を終えて、関西からの夫婦パーティーと「上高地で会えればいいね」と再開を約して6時50分小屋を後に大天ヒュッテに下り、喜作新道を西岳へ迎いました。
天気は絶好の快晴です。裏銀座の山々、そして槍ヶ岳を常に右に見ての表銀座の縦走は、これはもうやめられません。休むたびにシャッターを押して西岳には10時に着きました。
西岳ヒュッテで小休止の後,梯子・鎖場の連続する急坂を下って東鎌尾根の縦走に入ります。途中、水俣乗越を過ぎるあたりの岩陰で、新調したコンロに初めて火をつけて、ラーメンの昼食をしました。それから2時間、ぐんぐん迫り来る槍ヶ岳に圧倒され、興奮しながら大槍ヒュッテに着きました。
もうこの時は完全に舞い上がっていて、槍ヶ岳山荘にはそれこそ雲の上を歩くような気持ちで14時30分到着しました。
小屋で一休みの後、順番待ちで鈴なりの山頂へ一時間半かけて登りましたが、山頂はガスで展望がききませんでした。最後が今一つでちょっと消化不良の槍ヶ岳でした。合部屋の相性も悪く只休むだけの小屋の一晩でした。
7月20日
朝起きると、しとしと雨降りで雨合羽を着込んで上高地目指して一路槍沢を下り、旧槍沢小屋跡、槍沢小屋、横尾,徳沢と休み休み、上高地に6時間かけて下りました。
初めての本格的山行は収穫、思いで一杯の山行となりました。
昨日から抜きつ抜かれつの外人さんのパーティと新島々の駅まで一緒でした。

再登山 2003.09.27 西鎌尾根からの記録

3回目 2004.08.11 飛騨沢からの記録

4回目 2006.10.13  東鎌尾根からの記録

5回目 2010.09.18  槍ヶ岳〜北穂高縦走の記録

 

穂高連峰(3190m)

登山日   1998年8月8日〜8月10日
登山経路   8/8  上高地10:00〜横尾〜涸沢ヒュッテ16:30(泊)
          8/9  涸沢ヒュッテ6:50〜北穂高岳9:45〜涸沢岳〜穂高岳山荘13:50(泊)
         8/10 穂高岳山荘〜奥穂高岳〜紀美子平〜前穂高岳〜岳沢ヒュッテ〜上高地
天候           快晴

長梅雨で8月に入ってもはっきりしない天気が続いていましたが先月の常念槍ヶ岳縦走に引き続いて好天に恵まれて憧れの穂高を縦走してきました。
8月8日
今日の行程は横尾泊りときめて、上高地に10時に入りました。徳沢で昼食中に急に涸沢まで足を伸ばすことにしました。横尾を13時半に通過、この時間から涸沢に入るのは遅すぎるのでしょう、周りを歩くパーティは新潟の親子二人連れ、お父さんと10歳くらいの娘さんだけです。本谷橋に着く頃には先行パーティに追いつき、にぎやかな登山道になりました。日も傾きかけた16時30分涸沢ヒュッテに到着。なんと言う眺めでしょうか、涸沢カールの見事な展望に、ここが日本の風景なのか、何でもっと早くこなかったのかと、感動一杯の涸沢カールです。持参した食料で自炊をしました。本格的な自炊は今回が始めてです。今井通子さんの旦那が売店の売り子をしていました。超満員の部屋ではなかなか眠れません。皆まんじりともせずに過ごしているのが分かりました,。

8月9日
朝食はヒュッテで摂って6時50分北穂高岳目指して出発。ザイテングラードを登る列は上から下までつながっています。新潟の親子二人も北穂へむかっていました。
ゴジラの頭を右に見ながら梯子,鎖場をいくつか超えて3時間、とうとう北穂高岳山頂へ。
大キレットを超えて槍ヶ岳からの縦走者も含めて山頂はあちこちで歓声が沸いていました。
南岳小屋から槍ヶ岳に通じる縦走路が手にとるようで、ここから眺める槍ヶ岳も一級品です。しばらくの山頂スティの後、いよいよハイライトの涸沢岳への縦走開始。
フリークライマーが滝谷ドームにアッタックしているのを横目にいきなりの鎖場です。
飛騨側の滝谷,信州側の涸沢を繰り返しトラバースを重ね、大きく下って涸沢のコルへ。
息つく間もないスリルにどっと汗が流れます。ここで一息ついて、涸沢槍の鎖場、長い梯子を越えてD沢のコルへ。ここではもう緊張のあまりザックを下ろして皆休んでいます。
涸沢岳には垂直に登るように見えます。そしてその登山道に先行者が鈴なりに連なっています。もう恐怖感で心臓が破裂しそうですが、息子は最初の長い梯子を苦もなく上っていきます。「梯子から手を離すなよ」と親父は自分に言い聞かせるように声をあげます。オダマキのギャップを越えて涸沢岳への最後の8Mの鎖場の順番待ちしている、狭いバンドで生涯一番の恐怖におののいたのであります。
何もなくても恐ろしい涸沢谷の600Mの絶壁のバンドにしがみついているときです。それは昨日から発生していた上高地群発地震が突然発生し、目の前を剥離した岩石が落下し、涸沢カール全体が落石の音で鳴り響いたのです。思わず「この世の最後」と思い、息子を抱き寄せ岩場の影に頭を寄せて、落石の直撃を避ける体制をとりました。
幸い周りのパーティを含め落石に合うものもなく、又転落するものもありませんでした。
もう腰を抜かさんばかりでしたが、最後の8Mの鎖場は必死の思いで登りきり,涸沢の稜線に飛び出した時は思わず歓声をあげ,緩やかな滝谷側に身を投げるようにして涸沢谷側から離れました。
この時の恐怖は思い出しても震えるほどです。しばらく息を整えて涸沢岳の頂きを踏みましたが、回りの人が皆同じ恐怖を体験したものですから、連帯感で包まれた山頂でした。
涸沢岳から穂高岳山荘までは今までの縦走路がうそのような優しいなだらかな下りでした。山荘前で遅い昼食を取りジャンダルムの異様な姿に見とれながら時間を過ごし、ショックから立ち直りました。
新潟の親子二人もここまで来て、ザイテンを下っていきました。穂高岳山荘では代わって徳島から来たという親子4人連れの登山者ととなり合わせて話をしながら休みました。この夜は息子との連帯感で涙が止まりませんでした。

8月10日快晴
今日も朝食は穂高岳山荘で食べて、奥穂高岳、前穂高岳経由で岳沢に下り、上高地への長い縦走を始めました。
奥穂高岳へのとりつきの鎖場は長い列がつらなっていますが、落ち着いて登れば問題はありません。徳島の親子四人登山隊もスイスイ登っていきました。鎖場、鉄梯子を登りきると岩屑の斜面になり、振り替えると昨日歩いたトレイルが良く見えます。その奥には槍ヶ岳も見えて思わずシャッターを押します。
奥穂高岳の山頂は先行者で一杯です。
西穂高岳から笠が岳、黒部五郎岳と初めての対面に感激。大展望を満喫した後、怖い鎖場の下りにかかりましたが、下りが苦手な息子はもう半泣きです。他のパーティに迷惑をかけながら、目もくらむような絶壁に、オーバーハングも有る吊尾根を越えて紀美子平につきました。サブザックに水とウィスキーの残りを入れて前穂高岳へ。小一時間の登りですが、疲れた体には堪える急登です。
しかし登って良かったー。
奥穂高岳よりも更に天気が良くて槍ヶ岳までの稜線が一望できるこの山頂は、少し前まで「穂高岳と呼ばれていた」所以が分かりました。ここでもウィスキーの水割りを飲みながら大展望を堪能しました。途中に西穂高岳から槍ヶ岳まで1枚のフィルムに収まる絶好のカメラアングルの場所があり、何度もシャッターを押して、紀美子平に下りました。
いよいよ重太郎新道の下りです。いきなりの長い鎖場に緊張しながら、又、空腹感をこらえながら長い長い急坂を時間をかけて、岳沢ヒュッテに下りました。この急登を登るものもありましたが,私にはとても出来そうもありません。ヒュッテのベンチでラーメンを作って食べました。
途中、千葉から来た親子三代登山隊にはびっくりしました。80歳のおばーさんが腰縄をつけて、息子と孫に引かれてわが「親子二人連れ登山隊」と同じコースを縦走してきたというではありませんか。最も孫は痺れを切らして、先行してわが親子二人と一緒に下りてきましたが。聞くところによると、このおばーさん昨年富士山に登って病みつきになったそうです。ヒュッテからは長い岳沢を走るように上高地に下りました。沢渡の駐車場から神岡の民宿に泊り,翌日は穂高の汗を富山の日本海で流して長野に戻りました。
7月の槍ヶ岳に続いてのこの穂高連峰縦走が、山にとり付かれたきっかけになったことは、紛れもない事実あります。

再登山 2004.08.13 槍ヶ岳〜南岳〜北穂高岳〜西穂高岳縦走の記録

3回目 2007.09.08 涸沢〜ザイテングラード〜奥穂高岳〜岳沢の記録

焼 岳(2455m)

登山日   1999年6月12日
登山行程  上高地7:25〜焼岳小屋10:10〜焼岳山頂11:20/11:40〜昼食12:00/13:00〜中の湯15:00〜釜トンネル15:50
天候     薄曇

平湯の駐車場に車を止めてバスで上高地に入りました。
入梅宣言されたもののさわやかな梅雨の合間の天気です。
大正池を下に見ながら大崩落の続く沢の脇をぐんぐん高度を上げます。途中落石の危険場所、鎖場などをこわごわ超えて焼岳頂上が見えてくると明るい笹原に出ます。
ここで憧れのカモシカに出会いました。近くによって写真を撮りますが、逃げません、キット人なれしているのでしょう。
焼岳小屋は木立の中にひっそりとたたずんでいました。
展望台で記念の写真の後、ざれた道を山頂目指します。
溶岩の道を上り詰めると火山性ガスが吹き上げる山頂です。緑の水も神秘的な山頂湖を見下ろしながら休憩、穂高連峰や笠が岳は霞みの中ではっきりしませんが,霞沢岳は眼前にくっきり見えました。
南峰の最高点にも上りたかったのですが、岩場の悪路を敬遠して諦めました。
頂上直下に残る雪渓で1時間の昼休みをして、昨年の台風で無残に倒れたシラビソの林を抜けて中の湯に下りました。
R158の国道を一時間、釜トンネルまで歩いて平湯行きのバスを待ちました

再登山 2009.08.08 西穂高ロープウエイ〜西穂山荘〜焼岳小屋〜焼岳〜中尾温泉の記録

 

乗鞍岳(3026m)

登山日   1999年6月13日
登山行程   畳平8:30〜肩の小屋〜山頂(剣が峰)10:20/11:10〜畳平12:20
天候     晴

平湯キャンプ場で幕営の練習、快適までは行かないものの睡眠もとれました。乗鞍スカイラインはまだシーズン前でスイスイです。
望岳台から眺める穂高連峰,笠が岳に思わず車を停めて見とれました。
畳平には早朝から車が一杯で、昨夜ここでキャンプをしたと思えるライダーの姿も見えました。
車道を山頂に向けて歩きましたが、途中コロナ観測所に道を間違えて30分のロス。頂上小屋から残雪の上をトラバースして山頂へ。
霞みで遠望は利きませんでしたが、乗鞍岳を囲む景色は、良く確認できました。点在する山上湖に、ここが火山であることが良く分かります。こんなに苦もなく3000Mの山頂を踏めるのですから、夏のシーズンになれば大勢の観光客で賑わうのも良く分かるというものです。
残雪の上では若者が夏スキーを楽しんでいました。又あちらこちらで山岳写真をとる中高年が見られ、ここは本当に老若男女が色々なことが楽しめるアルペンリゾートです。

再登山 2005.06.05乗鞍岳・大日岳の記録

御 嶽(3067m)

登山日   1995年9月23日
登山行程   田野原〜王滝口山頂〜剣が峰〜田野原
天候     薄曇

会社の仲間の中武さんと6時に自宅を出発、長野道を塩尻で降りてR19の木曽路を一路南下。木曽福島につくころは雨模様です。登れなくても田野原まではと、車を進めると、なんとお山は、高曇ながら頂きを見せています。
田野原につくと大勢の登山者が準備をしていました。
頂上まで一直線に続く登山道には先行する登山者がつながって見えます。急いで支度を整えて後に続きました。
ちょっとした潅木帯を抜けると、見とうしのきくハイマツ帯です。振りかえると南アルプスが一列に並んで見事なものです。王滝口山頂小屋につくころには息は上がり足は上がりません。これが高山病というものでしょうか、息子はすいすい先行です。中武さんは私より更に遅れます。
小屋から剣が峰を目指すころには小雨がぱらつき、ビニールの雨合羽を羽織りましたが、大した事は有りませんでした。あちこちから白い噴煙が立ち上るここはまさしく活火山であることを認識させられます。頂上の御岳神社までは急登を登り最後の石段を登ります。
先行パーティが歓声を上げているなか頂上へ到着しました。
3人でがっちり握手をして登頂を祝い強風を避け、神社の陰でビールとウィスキーで乾杯しました。一の池をぐるりと囲む火口縁を歩く者も見えます、曇空の向こうに乗鞍岳と白山が霞んでいました。下山もゆっくりゆっくり自分のペースで田野原に下りました。
このとき私は自分のペースを守る事が人生にも大切と言う事を悟ることができました。このあと木曽駒高原に回ってマツタケずくしに舌鼓を打ちました。

再登山 2008.10.04 黒沢口〜山頂〜五の池〜濁河温泉口の記録

3回目 2012.7.30 田の原〜剣ヶ峰〜五ノ池小屋〜継子岳〜三の池〜田の原の記録

 

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