穂高連峰(3190m)
登山日 1998年8月8日〜8月10日
登山経路 8/8 上高地10:00〜横尾〜涸沢ヒュッテ16:30(泊)
8/9 涸沢ヒュッテ6:50〜北穂高岳9:45〜涸沢岳〜穂高岳山荘13:50(泊)
8/10 穂高岳山荘〜奥穂高岳〜紀美子平〜前穂高岳〜岳沢ヒュッテ〜上高地
天候 快晴
長梅雨で8月に入ってもはっきりしない天気が続いていましたが先月の常念槍ヶ岳縦走に引き続いて好天に恵まれて憧れの穂高を縦走してきました。
8月8日
今日の行程は横尾泊りときめて、上高地に10時に入りました。徳沢で昼食中に急に涸沢まで足を伸ばすことにしました。横尾を13時半に通過、この時間から涸沢に入るのは遅すぎるのでしょう、周りを歩くパーティは新潟の親子二人連れ、お父さんと10歳くらいの娘さんだけです。本谷橋に着く頃には先行パーティに追いつき、にぎやかな登山道になりました。日も傾きかけた16時30分涸沢ヒュッテに到着。なんと言う眺めでしょうか、涸沢カールの見事な展望に、ここが日本の風景なのか、何でもっと早くこなかったのかと、感動一杯の涸沢カールです。持参した食料で自炊をしました。本格的な自炊は今回が始めてです。今井通子さんの旦那が売店の売り子をしていました。超満員の部屋ではなかなか眠れません。皆まんじりともせずに過ごしているのが分かりました,。
8月9日
朝食はヒュッテで摂って6時50分北穂高岳目指して出発。ザイテングラードを登る列は上から下までつながっています。新潟の親子二人も北穂へむかっていました。
ゴジラの頭を右に見ながら梯子,鎖場をいくつか超えて3時間、とうとう北穂高岳山頂へ。
大キレットを超えて槍ヶ岳からの縦走者も含めて山頂はあちこちで歓声が沸いていました。
南岳小屋から槍ヶ岳に通じる縦走路が手にとるようで、ここから眺める槍ヶ岳も一級品です。しばらくの山頂スティの後、いよいよハイライトの涸沢岳への縦走開始。
フリークライマーが滝谷ドームにアッタックしているのを横目にいきなりの鎖場です。
飛騨側の滝谷,信州側の涸沢を繰り返しトラバースを重ね、大きく下って涸沢のコルへ。
息つく間もないスリルにどっと汗が流れます。ここで一息ついて、涸沢槍の鎖場、長い梯子を越えてD沢のコルへ。ここではもう緊張のあまりザックを下ろして皆休んでいます。
涸沢岳には垂直に登るように見えます。そしてその登山道に先行者が鈴なりに連なっています。もう恐怖感で心臓が破裂しそうですが、息子は最初の長い梯子を苦もなく上っていきます。「梯子から手を離すなよ」と親父は自分に言い聞かせるように声をあげます。オダマキのギャップを越えて涸沢岳への最後の8Mの鎖場の順番待ちしている、狭いバンドで生涯一番の恐怖におののいたのであります。
何もなくても恐ろしい涸沢谷の600Mの絶壁のバンドにしがみついているときです。それは昨日から発生していた上高地群発地震が突然発生し、目の前を剥離した岩石が落下し、涸沢カール全体が落石の音で鳴り響いたのです。思わず「この世の最後」と思い、息子を抱き寄せ岩場の影に頭を寄せて、落石の直撃を避ける体制をとりました。
幸い周りのパーティを含め落石に合うものもなく、又転落するものもありませんでした。
もう腰を抜かさんばかりでしたが、最後の8Mの鎖場は必死の思いで登りきり,涸沢の稜線に飛び出した時は思わず歓声をあげ,緩やかな滝谷側に身を投げるようにして涸沢谷側から離れました。
この時の恐怖は思い出しても震えるほどです。しばらく息を整えて涸沢岳の頂きを踏みましたが、回りの人が皆同じ恐怖を体験したものですから、連帯感で包まれた山頂でした。
涸沢岳から穂高岳山荘までは今までの縦走路がうそのような優しいなだらかな下りでした。山荘前で遅い昼食を取りジャンダルムの異様な姿に見とれながら時間を過ごし、ショックから立ち直りました。
新潟の親子二人もここまで来て、ザイテンを下っていきました。穂高岳山荘では代わって徳島から来たという親子4人連れの登山者ととなり合わせて話をしながら休みました。この夜は息子との連帯感で涙が止まりませんでした。
8月10日快晴
今日も朝食は穂高岳山荘で食べて、奥穂高岳、前穂高岳経由で岳沢に下り、上高地への長い縦走を始めました。
奥穂高岳へのとりつきの鎖場は長い列がつらなっていますが、落ち着いて登れば問題はありません。徳島の親子四人登山隊もスイスイ登っていきました。鎖場、鉄梯子を登りきると岩屑の斜面になり、振り替えると昨日歩いたトレイルが良く見えます。その奥には槍ヶ岳も見えて思わずシャッターを押します。
奥穂高岳の山頂は先行者で一杯です。
西穂高岳から笠が岳、黒部五郎岳と初めての対面に感激。大展望を満喫した後、怖い鎖場の下りにかかりましたが、下りが苦手な息子はもう半泣きです。他のパーティに迷惑をかけながら、目もくらむような絶壁に、オーバーハングも有る吊尾根を越えて紀美子平につきました。サブザックに水とウィスキーの残りを入れて前穂高岳へ。小一時間の登りですが、疲れた体には堪える急登です。
しかし登って良かったー。
奥穂高岳よりも更に天気が良くて槍ヶ岳までの稜線が一望できるこの山頂は、少し前まで「穂高岳と呼ばれていた」所以が分かりました。ここでもウィスキーの水割りを飲みながら大展望を堪能しました。途中に西穂高岳から槍ヶ岳まで1枚のフィルムに収まる絶好のカメラアングルの場所があり、何度もシャッターを押して、紀美子平に下りました。
いよいよ重太郎新道の下りです。いきなりの長い鎖場に緊張しながら、又、空腹感をこらえながら長い長い急坂を時間をかけて、岳沢ヒュッテに下りました。この急登を登るものもありましたが,私にはとても出来そうもありません。ヒュッテのベンチでラーメンを作って食べました。
途中、千葉から来た親子三代登山隊にはびっくりしました。80歳のおばーさんが腰縄をつけて、息子と孫に引かれてわが「親子二人連れ登山隊」と同じコースを縦走してきたというではありませんか。最も孫は痺れを切らして、先行してわが親子二人と一緒に下りてきましたが。聞くところによると、このおばーさん昨年富士山に登って病みつきになったそうです。ヒュッテからは長い岳沢を走るように上高地に下りました。沢渡の駐車場から神岡の民宿に泊り,翌日は穂高の汗を富山の日本海で流して長野に戻りました。
7月の槍ヶ岳に続いてのこの穂高連峰縦走が、山にとり付かれたきっかけになったことは、紛れもない事実あります。
再登山 2004.08.13 槍ヶ岳〜南岳〜北穂高岳〜西穂高岳縦走の記録
3回目 2007.09.08 涸沢〜ザイテングラード〜奥穂高岳〜岳沢の記録
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