山行記
第1日目(新穂高〜槍ヶ岳山荘)
8月10日、午後10時に家を出る。買い物等の時間を入れても所用3時間も有れば充分に新穂高に着くことが出来る。駐車場で仮眠をとれば朝の行動が楽であるからだ。
予定より早く新穂高に到着し、後部座席を畳んで、車の中でビールを飲みながらくつろいでいると携帯電話にメールが入る。いつものMさんから今回の山行へのエールである。その返信やら、1日遅れで穂高岳山荘で合流するマッケン君に駐車場の空き具合などの情報をメールすると睡魔が襲い、毛布にくるまって仮眠する。
4時前にはあちこちの車の開閉音が響いて、登山者が支度を始める。私も4時半には起きてそれに続く。小屋泊まりと言っても昼食は持参しなければと思うと炊事道具は必要である。45リットルのザックがふくれ、15キロ近くの重さになってしまう。いつもこんなに重い荷物を担ぐ私はパッキング下手なのかもしれない。
新穂高のバスターミナルのトイレで用を済ますと結局出発は5時半を回ってしまった。ロープウエィ駅の道に入るが先行するものも後に続く者もいない。今朝、新穂高からの入山者は大方双六岳か笠ヶ岳を目指したのだろうか。
ロープウエィ駅を過ぎて林道にはいるが道を間違えたかと思うほど登山者がいない。1時間ほど歩いて穂高平の山小屋に着くと先行した2組が朝食をとっていた。これから槍ヶ岳を目指すことを知り少し安心する。私もここで軽い朝食をとる。
林道歩きは白出沢まで続き、白出沢を渡ると飛弾乗越まで続く、長い登山道に入る。蒲田川右俣にきられた登山道は傾斜も程良く、良く整備されている。昨年9月、ここを下ったことがあるので長丁場は十分承知の上である。最低1時間に1本は休憩を入れなければと思うが、朝の気合いが休憩インターバルを長くする。
チビ谷で休憩をとる。ここら辺りから、昨日槍平小屋やキャンプ場に泊まり、朝立った登山者が下りてくる。実は今日は少しの期待を持って槍ヶ岳を目指しているのである。ネットで知り合いのY・Mさんが4人の女性パーティを率いて、槍ヶ岳から間違いなくこの道を下ってくると読んでいるのだ。「もし対面できたら劇的だなー」と思いながら・・・。
滝谷を過ぎる辺りでは今朝、槍ヶ岳山荘から下ってきた登山者が増えて気持ちが高ぶる。2組のパーティが道を譲り合っているときに、私とすれ違う女性パーティにY・Mさんだと思うが、大きな声で挨拶しただけでその先が繋がらない。道を譲り合っているときであったのでタイミングが悪かったのである。「まーまたの機会もあるだろう」と思うが少し残念な気分を引き連りながら槍平の小屋へ。
小屋の日陰で20分ほど休憩する。ここが丁度槍ヶ岳への真ん中当たりである。
登山道はここから傾斜を増してゆく。森林限界を抜けると千丈沢乗越分岐で、ここから目指す槍ヶ岳が見えてくる。ここで昼食をとり、休憩する。
ザレたモレーンの中、ジグザグを切られた登山道を黙々と登る。先を行くものは3組くらいしかいない。ここではもうみんな息を整えながら必死にもがく。千丈沢から2時間かけて槍ヶ岳への稜線飛弾乗越に到着した、登ってきた飛弾沢側から上がってきたガスが展望を遮っていたが、信州側は快晴で、目の前に常念岳がきれいな三角錐の姿を見せていた。
更にそこから15分で今日の宿、槍ヶ岳山荘に到着した。宿泊手続きをとる前に、先ずは生ビールで喉を潤す。昨年9月以来3回目の槍ヶ岳はいつ来ても感激である。部屋に荷物を置いた後、槍ヶ岳の穂先に立つ。今までの2回よりは天候も良く、いつかは歩きたいと思う北鎌尾根も、しっかりと見て取ることが出来た。
担いできた食料もあるので自炊し、8時には布団に潜る。疲れは有るが、明日からの岩稜の縦走への不安か、なかなか寝付かれないT夜を過ごすのであった。
第2日目(槍ヶ岳山荘〜穂高岳山荘)
ご来光を見ようと、4時前にはごそごそと廻りが起き出す。朝のまどろみを楽しんだ方が体によいので、4時半まで床にいる。朝食もアルファ米を自炊し、しっかり腹ごしらえする。
5時半にテラスに出てみれば殆どの登山者が出発するところである。絶好の天気で遠く富士山や南アルプスも一望できる。今日は天気が崩れる心配は一つもない。
槍ヶ岳に別れを告げて、テント場の脇を下る。飛弾乗越からは大喰岳への登りになる。昨日の疲れも有って、調子は今ひとつであるが、高度も3000mを越えているのだから仕方がないと思う。そして人に追い越されることもないから、これが平均的な歩きだろうと適度に息を入れながら進む。大喰岳山頂は二重山稜になっていて、山頂か特定できず山頂標識を踏まずに通過、中岳への道を進む。
これがいわゆる3000mのプロムナードと言うところで、左に常念岳、右に笠ヶ岳、前方には穂高連峰そして振りかれば槍ヶ岳が屹立している。正に槍・穂高連峰の神髄を眺めながらの空中漫歩という趣なのである。中岳の山頂を踏んで南岳への鞍部に下る。緩い傾斜の3000mのトレイルは何とも表現しがたいトレイルである。
南岳に登り返すと、槍ヶ岳は遠のいた感じになるが、代わって北穂高岳が目の前に迫っている。
南岳小屋に着くと、これから大キレット越えをする槍ヶ岳からのパーティが日陰に腰を下ろし、ザックの点検や水を補給してスタンバイしている。私も緊張の余りトイレに駆け込んで息を整える。
小屋の先にある大キレットの展望台を覗き、いよいよ難関大キレット越えに掛かる。
先ずははザレタ道の急傾斜を下っていく。途中には鎖場や梯子も設置されているが、180mを一気に下るのである。南岳側を振り返ると岩塊のドームが覆い被さっている。
先行者に続くのであるが、皆慎重でなかなか前に進まない。急傾斜を下りきるとアップダウンを繰り返しながら大キレット底部の縦走路となる。前方の北穂高岳がぐんぐん迫る。何回かザックを下ろして水分を補給し体調確認をする。2週間前に滑落死があったと言う雪田が信州側に見えて、尚更緊張する。
最低鞍部から長谷川ピークに掛かる。登りはザックが肩に食い込むがそれ程の恐怖感も無い。ピークを過ぎてA沢のコルへの難所が大キレットの核心部であって、ナイフリッジの岩場歩きはスリル満点である。登山靴の半分しか掛からない足場の下は両側ともにスパッと切れ落ちている。鎖もしっかり着いているので「ハハーンここが一番の難所だな」と楽しむ余裕も少しはあった。
A沢のコルで大きく息をして呼吸を整える。そしてその先がザレた急傾斜の登りの「飛弾泣き」である。
足場がおぼつかないザレた急傾斜の路にはいると落石も怖い。先行者と間をおきながら岩場に手を付きながら、慎重に慎重に登る。既に北穂高岳への登りに入っていて、北穂高岳の岩場が被さるようで恐怖感が募る。
少し長めの鎖場を過ぎるとトラバース道となり、「飛弾泣き」は無事通過できてほっと一息入れることが出来た。
長谷川ピークからここまで両手両足を使っての登りで腕がなまり始めている。いよいよ最後の北穂高岳への登りとなるが、槍ヶ岳の穂先に登るよりも厳しいのではと思うほどの急傾斜だ。岩に掴まり、体を引き上げながら正によじ登るという表現通りに、ペンキマークの岩を拾いながらよじ登るのであった。
南岳小屋を出て3時間20分、ジャスト12時に大キレット越えは終わって、反対側の涸沢から登って来た登山者がくつろぐ中、凱旋将軍の気分で北穂高小屋のテラスに到着する。
しばし歩いてきた道を振り返ると放心状態になるのであった。小屋のテラスでカレーライスを食べて昼食とする。
今日の行程はこれでお仕舞いなのではない。ここから更に涸沢岳までの難所も越えなくてはならないと思うとゆっくりもしていられない。小屋の裏手にある北穂高岳の山頂を踏む。槍ヶ岳から大キレットまで、今朝から歩いてきた稜線が見渡せて感激する。大キレットをカメラに納めて、涸沢岳への道に入る。涸沢カールへの道を分けて稜線に道を選べば、ここも難所として名高い涸沢岳山稜となる。
然し、ここは6年前に穂高岳に登ったとき、ムスコと歩いているので気持ちは随分と楽なものである。それよりか、既に7時間近くを歩いた疲労の方が心配である。今朝槍ヶ岳から付かず離れず大キレットを越えてきた2人組と一緒に岩場を越えてゆくことになる。
涸沢岳直下では、ここを下ってきた女性パーティが「この難所は大キレットより上という人もいるわ」と悲鳴を上げながら下って行った。6年前は、上高地群発地震の年で、ここを通過中に地震が発生し、涸沢カールに落石の音が轟いた恐怖感を思い出しながら、最後の長い鎖場を登り切ると涸沢岳への稜線に飛び出した。
あの恐怖の大キレットが3時間20分、そして涸沢岳への難所が2時間20分掛かった。ようやく恐怖感から開放されて、緩やかになった稜線の道を進み、涸沢岳を踏む。
穂高岳山荘への緩い下りを進むと午後3時を回っていた。涸沢カールを見下ろすテラスでビールを飲むと心地よい疲れがどっと出てくる。「本当によく頑張ったなー」と心から思うのであった。
明日この先を西穂高岳まで一緒に歩いてくれるマッケン君は、今朝上高地から入って、それから30分後には到着した。テラスでビールを飲みながらしばし談笑する。
穂高岳山荘の夕食を食べて明日に備えて布団に潜り込む。然し明日は更に厳しい西穂高山稜の道が頭から離れずまんじりともしない一夜であった。
第3日目(穂高岳山荘〜新穂高)
穂高岳山荘の夜は、熟睡は出来なかったが、長い時間フトンに入っていたので、昨日までの疲労は取れて、今日の行動には自信を持って起きることが出来た。
小屋の前のテラスに出てご来光を拝む。今日は、浅間山より少し北の烏帽子岳当たりからのご来光であった。
小屋の朝食をしっかり取って、いよいよ奥穂高岳〜西穂高岳縦走の出発である。マッケン君には私のザックの中から少し荷物を分けて担いでもらうことにした。まー二人でこの計画をしたときから了解の上で、マッケン君も快く引き受けてくれた。お陰で昨日よりは軽いザックで歩くことが出来る。(有り難うマッケン君)
今日はマッケン君のナビゲートに、私の他、昨日大キレットから付かず離れずに歩いた、峰野・三上さんが続くことになって、4人パーティとなる。
小屋から奥穂高岳への登りはいきなりの鎖場と梯子が続く岩場である。最初から飛ばすマッケン君に息が上がりながらも必死に食らいつく。年はとっても弱音を吐くことは絶対したくないと堅く心に決めているのである。
奥穂高山頂には山荘からは40分くらいで到着し、6年ぶりに立つ。昨日歩いた槍ヶ岳〜南岳〜北穂高岳〜涸沢岳への稜線が手に取るようだ。
山頂で記念写真を撮った後、マッケン君を先頭に私が続き、その後を三上・峰野さんという編成を組んで、いよいよ難関ジャンダルムへの道に入る。とにかく「恐怖心に負けないことが一番」と気合いを入れる。
先ずはいきなり「馬の背」の岩場の下りとなる。先を単独行者が慎重に下るのを見て、マッケン君が苦もなく下ってゆく。後に続く私は、岩の裂け目に足場と手がかりを捜し、しっかり三点支持の姿勢をとりながら、そろりそろりと下り始める。元来臆病者の私は実はこう言う場所は慎重に行動するので、余り心配はいらないのである。私の後に続く2人も慎重に岩場を下る。最後はクライムダウンの姿勢でコルに下る。
「最初で一番という難関・馬の背」を通過して一安心するが、すぐにロバの耳への厳しい岩場の登りになる。昨日大キレットで覚えた岩場登りの学習効果がすぐ発揮できる。そして狭いバンドをトラバースしながらあこがれのジャンダルムへ取り付くことが出来た。ジャンダルムは西穂高側に回ってザックを下ろし、カメラを持って迂回路を空身で登る。どこから登るのだろうかと思っていたのであるが、岩場の切れ目にしっかりと足場もあって、心配することなく岩の殿堂を登り切ることが出来た。
「アー俺もとうとうジャンダルムに登ることが出来た」と天にも昇る気分である。僅かに離れた奥穂山頂に佇む登山者に誇らしげに手を振ってみせるのであった。他の3人もそれぞれの感激に浸っているようである。15分間の山頂スティを楽しんだ後、もう決して来ることは無いであろうジャンダルムに別れを告げる。
ザックを担ぎコブ尾根の頭を越えて、上高地が真下に見える岳沢側を巻きながら天狗のコルへの長い下りに入る。一気に350m下って天狗のコルに着くと避難小屋跡で岳沢から登ってきた登山者が休憩していた。ここから岳沢ヒュッテに下るエスケープルートがあるようだ。行程の三分の一を過ぎてここでも休憩をする。
ここから天狗の頭への岩場は<今にも崩れ落ちそうな逆層スラブの中、鎖に頼り、足場を慎重に選びながら恐怖感と体力勝負になる。大きく肩で息をしながら天狗の頭に到着。更にここから恐怖の逆層スラブを下って間天のコルへ。そして又、鎖に頼りながら間ノ岳に登る。気を休めることのない緊張感が続き、胃が痛くなる。
間ノ岳からそんなに遠くない先に見える西穂高岳山頂までは、いくつの岩礫の小ピークを踏んだのだろうか。頭の中は真っ白になっていてその数は記憶にないのである。只々マッケン君の後ろを慎重に続くのであった。
西穂高岳山頂が目の前に現れたピーク(赤石山?)に立ったのが11時半。ここでようやく昼食タイムをとる余裕が生まれたのである。目の前の西穂高岳はロープウエィを使って登ってきた登山者で一杯である。厳しい縦走ではあったがその割に疲労感も空腹感もない。ようやくこの厳しい稜線を踏破したという達成感が大きいのである。
昼食の後、西穂高岳山頂を踏み、ぐんぐん高度を下げてピラミッド峰等を踏みながら、西穂独標で最後の休憩をとる。穂高岳連峰の稜線がまぶしく輝く中、ようやく長い縦走を完結した喜びが沸々と涌いてくるのであった。
「素晴らしい展望と感動を有り難う・・・・穂高よさらば」と心で叫びながら・・・・。
私の山行歴に燦然と光る金字塔も好漢マッケン君の好ナビゲートの賜である。しっかり握手でお礼を述べる。
観光客があふれるハイマツ帯の登山道を西穂山荘まで下り、ビールで乾杯する。
更に1時間ほど掛けてロープウエィ駅まで歩き、「新穂高まで歩いて下るという(気もない)」マッケン君を制して、ロープウエィで楽々新穂高に下ったのである。
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