親子二人で登った日本百名山

北アルプス−1

(白馬岳・五竜岳・鹿島槍ヶ岳・立山・剱岳・薬師岳)

白馬岳 (2932m)

登山日   1997年8月11日
登山行程  猿倉〜大雪渓〜白馬山荘〜白馬岳〜小蓮華岳〜白馬大池〜白馬乗鞍岳〜栂池自然公園
天候     曇/雨/ガス/晴

8月11日白馬山荘まで
家内の兄の慰霊登山をしようと,お酒と線香を持って猿倉から登りました。猿倉の登山口は盆休みに入り大勢の登山者でにぎわっていました。6時50分出発。白馬尻小屋までは何の心配もない天気でしたが、大雪渓を歩き始めてしばらくするとガスがかかってきました。15分もすると雨が落ちてきました。猛暑の下界では考えられない天候の急変です。用意してきた雨着はゴルフ用の上着と工事現場で着るナイロンの黒い合羽です。慌てて着替えても後の祭で、葱平の避難小屋に着くころはとうとう本降りに、親子二人ともずぶぬれになって震えていました。とにかく小屋までと,雨の中を急ぎ、11時20分村営頂上小屋へたどり着きましたが、小屋の休憩所は雨宿りの登山者で満員で着替えのするところも有りません。上の白馬山荘まで更に雨の中を歩き、12時ジャストに到着しました。二人とも唇は真っ青で震えが止まらないほど体温が下がっていました。急いで宿泊手続きをして、着替えましたが,着替えも濡れていてタイツで過ごしました。
部屋は悪天候で停滞した者も多く、一畳に2.5人寝てくださいと言うことで、初めての小屋泊りは散々の目に会いました。同宿者の山自慢話があちこちで始まり、北岳の話にはこちらも輪に入りたくなるほどで、興味深く聞き耳を立ててしまい、ここで始めて日本百名山を知ることになりました。
窮屈な上にいびき、歯軋りにどうして眠ることが出きるでしょうか。殆ど一睡もせずに白馬山荘の夜は明けました。
8月12日
翌日もガスが晴れず、皆ため息ばかりです。それでも雨は上がり、白馬三山縦走するもの、蓮華温泉に下る人、大雪渓を下る人、それぞれに早立ちして行きました。私たちはまだ乾かないズボンと布製の登山靴をはいて、昨日と同じ服装で山頂経由白馬大池から栂池に下ることにしました。山頂はガスで視界は10Mもありません。順番待ちして記念撮影の後、頂上を少し下った岩陰で義兄の霊にお酒と線香を手向け手を合わせました。三国境に下るころにはガスも切れて、そちこちの雪田に歓声を上げ、雪倉岳を正面に見ながら小蓮華岳に登りましたが、白馬山頂はとうとう顔を出すことはありませんでした。雷鳥坂では雷鳥を見ることができました。白馬大池の見事な景色に圧倒され、白馬大池小屋で昼食を取り、大きな岩の堆積した白馬乗鞍岳を超えて、栂池に一気に下りました。ロープウェイを乗り継ぎ山麓に下り、タクシーで白馬の駐車場に戻りました。駐車場から見上げる白馬三山はガスもすっきり取れてまばゆいばかりの眺めでした。
これが我が「親子二人連れ登山隊」百名山巡りのきっかけとなった登山でありました。

白馬岳(再登山)
       

    

登山日   2001.9.1〜9.2
登山経路 (9/1)猿倉(7:10)〜大雪渓〜村営頂上小屋(12:20)〜白馬岳〜キャンプ場(泊)
       (9/2)キャンプ場(6:40)〜杓子岳〜白馬鑓ガ岳(8:50)〜白馬鑓温泉(11:25)〜猿倉(13:55)
天候    晴

キャンプ用具と水2Lを担ぐと18キロくらいのザックになりました。猿倉から大雪渓を上り始めたのですが、雪渓の切れるころからピッチがどんどん落ちて来て、この夏の付けが出てきたのかなと思いつつ、黙々と高度を稼ぎます。葱平の避難小屋を過ぎると、一緒に歩いていた中年の女性にも先を越されてしまい、出稼ぎブラジル人と怪しい会話を交わしながら、よれよれになって5時間10分かけて村営小屋にたどり着きました。右足の感覚がなくなり始めていて、アキレス腱の疲労断絶を心配しました.息子は小1時間も早く到着していました.予定では白馬三山を縦走して天狗山荘まででしたが、とても続きそうもないので、ここにテントを張りました。
3時まで休憩し、4年前慰霊登山の時はガスで何の記憶もない、白馬岳頂上を踏みました。残念ながら今日も視界はガスで遮られてしまいましたが、1時間もいると時々ガスが切れて眼前に旭岳が開け、三国境も見えるようになり周囲の状況も感じ取ることが出来ました.キャンプ場で親子二人仲良く夕食と報告したいのですが、息子の機嫌が悪く親子で口喧嘩が始まって、回りの顰蹙を買ってしまいました.それでも夜はテントの中でお互いにかばい合いながら、初氷が張るまで冷え込んだ夜を温かく過ごしました.

翌日は、良く晴れた中、北信や頚城山塊の山々から剣・立山の展望を満喫しながら、白馬鑓ガ岳まで縦走を楽しみました.目標の唐松岳へは鑓温泉分岐まで迷ったのですが、時間的にも体力的にもゆとりがないので諦めました.変わりに周りを一緒に歩い
た福井の若者に「白馬三山縦走を小屋泊りでやるのは中高年だけだ、唐松岳まで行って感激を2倍にして来い」とけしかけて、不帰剣の縦走に走らせました.息子は「僕なら行けるのになー」と不満そうでした.白馬鑓温泉にはつからずに、猿倉には2時に着きましたが、この時間では唐松岳迄行けたなと少し残念な気分でした.八方温泉で汗を流して5時に自宅に帰りました.百名山後の初登山は何か一つ燃えるものがなく不完全燃焼の白馬岳でした.ちょっとスランプに落ちかけているので、しばらく登山を自粛して、充電に努めようと思います.何しろ春から休んだのは3週だけでオーバーワーク気味です。

 2005年7月18日 白馬旭岳〜白馬鑓岳〜不帰〜唐松岳縦走の記録

 2011年9月 祖母谷〜不帰岳避難小屋〜清水尾根〜白馬岳の記録

 2012年9月 白馬三山縦走の記録

五竜岳(2814m)

登山日   1998年9月13日
登山経路   9/12   八方尾根8:20〜八方池〜唐松岳12:00/13:00〜五竜山荘16:00(泊)
         9/13  五竜山荘6:15〜五竜岳7:05/7:35〜鹿島槍ヶ岳へ
天候     晴

9月12日
八方尾根からゴンドラリフトを乗り継いで八方池へ。
白馬三山から不帰の険の見事な眺望に圧倒されました。9月といってもまだまだ日差しの強い中2時間かけて唐松山荘へ。ザックをデポして唐松岳往復。
ガスの切れ間に剱岳がかいま見えて歓声が上がりました。
1時間の休憩の後、五竜山荘目指して縦走開始。
いきなりの鎖場に緊張を強いられながら落石に気をつけ、大黒岳、白岳越えて2時間半、日も西傾く中五竜山荘に到着。山荘はもう満員です。どこに休めば良いのかと声をかけると「立って寝ればええがな」と先着者の声に一瞬キットなり「小父さんができたら俺もするよ」と険悪な雰囲気になりました。持参した夕食を外で食べていると、きさっきの小父さんが「ごめんな」と謝りに来ました。それにしても何という混みかたでしょうか、殆ど一睡もできませんでした。深夜月光に照らされた五竜岳に感激。

9月13日
小屋の朝食をとって6時半出発おなかの調子が良くありません昨日の夕食時のウィスキーが過ぎたようです。頂上直下の鎖場超えて7時15分山頂へ。夜が明けたばかりの立山・剣・毛勝山が眼前に開けました。白馬岳・北信の山々そしてこれから目指す八峰キレットへの縦走路の向こうに鹿島槍ヶ岳が聳えています。山頂は大賑わいで長居は出来ません。次の行程も長いので写真撮影を済ませて五竜岳を後にしました。
八峰キレット方面への下りは、長い鎖場の連続する悪路で、息子は何回も尻もちつきながら縦走路に下りました。

2012年8月遠見尾根〜五龍岳〜鹿島槍ヶ岳〜爺ヶ岳〜扇沢縦走の記録

 

鹿島槍岳(2889m)


登山日   1998年9月13日
登山経路   9.13  五竜岳7:35〜八峰キレット11:00/12:05〜鹿島槍ヶ岳北峰 〜南峰14:30/15:00〜布引岳〜冷池山荘16:20
         9.14 冷池山荘6:15〜爺ヶ岳7:20〜種池山荘9:10/10:15〜柏原新道 〜扇沢12:00
天候      快晴

9月13日
五竜岳の鎖場を下りG5を巻いていくつかの鎖場を越えて北尾根の頭へ。息つく間もない緊張の連続です。息子はこお言うアップダウンが大のにがてです。半べそかきながらもようやくザックをおろして休憩。黒部側の谷の向こうに剱岳が大きく翼を広げて見えます。立山三山が左につながり薬師岳も見えて大感激です。何枚も写真を撮りました。八峰キレットへ向けての縦走は長い長い過酷な道のりでしたが、大展望の楽しい時間でした。五竜岳山頂から3時間25分かけて11時にキレット小屋に到着。ビールを買って昼食を摂りました。八峰キレットの鎖場をこわごわ越えて、そしていくつかの鎖場越えて鹿島槍北峰へ。
信州側から沸きあがってきたガスで展望が開けません。南方が眼前に迫っていますが歩いてみるとそんなにきつくもなく鹿島槍南峰へ14時30分登頂。こちらはガスも切れて360度の大展望が開けていました。五竜岳から今日歩いてきた道が良く見えます又更に大きく見える剱岳が眼前に見えてシャッターを何回も押しました。周りを見れば今日同じ道を何回も抜きつ抜かれつした人たちで自然と連帯感が湧いて話も弾みました。30分の山頂スティの後、ざれた砂礫の道を布引岳に下り冷池山荘には16時30分に到着、山荘前でビールを飲んで自炊の夕食を摂りました。疲労困ぱいでしたが充実の後立山縦走でした。

9月14日
朝食も摂らず爺ガ岳を目指し冷池山荘出発。爺が岳の登り返しにあえぎながらも中,南峰を踏んだ後、種池山荘に下って朝食を摂り、一気に柏原新道を駆け下り扇沢には12時に着きました。

2012年8月遠見尾根〜五龍岳〜鹿島槍ヶ岳〜爺ヶ岳〜扇沢縦走の記録

 

立山(3015m)

登山日      1999年7月24日
登山経路   扇沢5:00〜黒部ダム〜黒部平〜室堂9:40〜一ノ越11:10〜雄山12:00/12:20〜大汝山12:40/13:20〜富士ノ折立〜真砂 岳〜別山乗越15:30 〜剣沢キャンプ場16:20
天候         晴

扇沢からトロリーバス、ケーブルカー、ロープウエイ、バスと乗り継いで室堂ターミナルへ。
一気にと言う訳ではなく、乗り継ぎに時間がかかったり、待ち時間があったりで2時間半くらいかかりました。又それが徐々に高度慣れし、立山へのプロローグとして程よい時間なのかもしれません。
室堂から見る立山三山は、もうすぐそこです。初めてのキャンプ用具一式を担いでの登山で、18キロの思いザックが肩に食い込みます。一ノ越までは所々残雪踏んで問題なく1時間で着きました。雄山までのざれた急坂も下から見上げるほどのこともなく山頂へ。
立山神社は雄山山頂です。500円を払ってお払いを受けました。学校登山や団体さんで広い休憩舎はごった返していてとても休む場所はありません。
20分ほど歩いて最高点の大汝山を踏み、黒部湖、針ノ木岳を眺めながら昼食をとりました。二人だけの静かな時間を過ごすことが出来正に至福の時間です。
富士の折立、真砂岳と立山連峰の空中漫歩を楽しみながら別山乗越へ。
今歩いてきた縦走路と残雪の雷鳥平に歓声を上げると共に、眼前の剱岳に圧倒されました。

剣岳に続く

再登山 2005年10月13日の記録

3度目  2006年9月8日の記録

 

剱岳(2998m)

 

登山日   _1999年7月25日
登山行程   剣沢キャンプ場5:15〜剣山荘前5:40〜前剱7:10〜剱岳山頂9:10/9:30〜剣山荘(休憩)〜剣沢キャンプ場13:10/13:45(テント撤収)〜別山乗越〜雷鳥沢〜雷鳥平15:49〜室堂ターミナル16:40〜扇沢17:50
天候     曇後雷雨

7月25日
立山三山を縦走して別山乗り越しから憧れの剱岳をを眺めたときは、感動と果たしてあの岩の殿堂に登ることが出きるだろうかという不安と恐怖が入り混じり複雑な心境でありました。別山から剣沢へは急坂を直接下り雪渓を歩いてお花畑を横に見て剣沢のキャンプ場につきました。初めての高山でのキャンプに不安もありましたが,幸い風もなく快適に休むことが出来ました。

7月26日
朝雷鳥のなき声で目を覚まし、剣沢を下る風は冷たくて強いものです。
5時15分に剱岳目指してサブザックで出発。日本三大雪渓の剣沢雪渓を超えて剣山荘へ5時40分着。いよいよ剱岳への登りが始まりです。
一服剣まではマーマーです。ざれた急登を落石を気にしながら前剣へ、一旦下って鎖場を何回も伝わって平蔵のコルへ。ここからが剱岳の核心部カニタテバイです。
渋滞していて1時間の待ち時間の間に大体岩登りの要領が飲み込めました。
垂直の岩場にとりつけられたボルトを慎重に登り、最後の大きな岩の陰を回り込むと、山頂への稜線に出ました。緊張から解放されますが息が上がっていました。
9時前の山頂は富山側は良く見えましたが、立山、後立山連峰方面は残念ながら展望は得られませんでしたが,今登ってきたとトレイルは確認できました。
聾唖者のパーティが手話で感激を語り合っていました。わが「親子二人連れ登山隊」も、憧れの山頂を踏み感激の涙でした。人が溢れる山頂はゆっくり休む場所もなく、又帰りの時間も気になり30分山頂ステイの後下山を始めました。
下山は更に肝を冷すカニのヨコバイを伝わって平蔵のコルに下り,前剣まで下るとガスがきれいにはれて、山頂が全貌を見せました。
剣山荘で昼食、カレーライスを食べて腹ごしらえ。キャンプ゚場に戻る頃には雷雲が発生し雷鳴もとどろきますが、急いでテントを撤収し14時30分剣御前小屋に。
雷鳥沢は長い長い下りですす。息子の足は全然進まず親父はとうとう切れて怒鳴り散らします。雷鳥平のキャンプ場へ着いたのが16時丁度で、室堂までは走るようにしてかけこみましたが、扇沢行きの最終便に間に合いませんでした。
黒部観光の粋な計らいでトンネルをライトバンの別便で大観望まで送ってもらい、ロープウエィに間に合い、予定通り扇沢に帰りつきました。
折角の剱岳もう少し時間に余裕のある山を楽しまなきゃと反省の多い登山でした。

再登山 2003年7月29日の記録

3度目  2006年9月8日の記録

4度目 2009年8月23日(早月尾根)記録

 

薬師岳(2926m)

登山日   1999年9月12日
登山経路   9/11 折立12:25〜太郎平小屋16:15(泊)
                9/12 太郎平小屋6:30〜薬師岳〜太郎平〜折立
天候      ガス/晴

9月11日
今日は太郎平小屋泊り。家をゆっくり出て安房トンネルを抜けて食料調達のコンビニを探しますが神岡の町まで下る羽目になり,更に双六谷にかかる駒止橋まで戻って飛越大規模林道,有峰有料林道を走って折立に着いたのが12時を回っていました。折立までは本当に長いアクセスです。
登山口を少し入ったところに昭和38年の愛知大学生遭難の碑が有り合掌。われらと同世代の非業の死に胸が痛みました。
出発間際に雨が振りだし、傘さして登山道に入りました。その雨も樹林帯を抜け尾根に出る頃には上がって、見通しの良い草原の中の登りになり、有峰ダムを下に,気持ちの良いトレイルです。
石積みの階段、木道を歩いて太郎平小屋には4時15分につきました。
シーズンオフに入りゆっくりとしたスペースを確保して休むことが出来ました。

9月12日
太郎平の朝は乳白色のガスの中で、登山者のため息が流れていました。
気を取り直して出発。薬師峠に下り、沢の中のゴロゴロした石の間の道を登って薬師平に。依然としてガスの中,時折ガスがきれて見える山影が薬師岳と思いこみ、カメラに収めますが、どうもそうではなさそうです。
樹林帯を抜けて砂礫ののぼりを行くと薬師小屋に到着。
100円出してトイレを拝借。もう山頂はすぐそこです。息子が急に元気になるのは、いつも山頂近くになってからです。山頂らしきところを10分も進むと祠の有る山頂に着きました。
ガスが切れませんがカールが見えてきたので、朝食のラーメンを食べながら晴れるのを待ちました。
100名山完登の新潟の夫婦が祝福されていましたが、晴れるのを待たずに下山して行きました。一時間ほど待ったでしょうか、ガスがサーとひいて,赤牛岳からその後の烏帽子岳の方角の展望が開けて、歓声が上がりました。どんどん展望が利き始め薬師岳の全貌も見え始めました。なんと言う幸運でしょうか、今年最後の北アルプス一月前に歩いた裏銀座の峰峰を眺めながら、今年の天候との相性の良さを実感し、至福の薬師岳でした。
名残を惜しみながら、太郎平に下りビールで乾杯の後、折立にゆっくりゆっくり下りました。

2007年8月13日 立山〜薬師岳(西銀座ゴールデンコース)縦走の記録

 

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