山行記(再登山)
元気に還暦を迎えることが出来た。春から還暦記念登山は何処の山にしようかと考えていた。8月の北海道山行がふさわしいだろうか、それとも他によい山がないだろうかと思案していたのである。
二百名山・奥大日岳を登るために、立山室堂に入る計画を立てたとき、4年前ムスコと立山連峰を縦走し、別山乗越に出たときに眼前に聳える剣岳に圧倒され興奮したこと、そして剣沢キャンプ場でテントを張って、翌日あの岩場の難所を息子をかばいながら登った思い出がよみがえり、還暦登山は剱岳こそがふさわしいと判断したのである。
奥大日岳を室堂乗越からピストンし、別山乗越を過ぎて剣沢キャンプ場にテントを張る。
キャンプ場から見る剱岳は、一服剣までは晴れて見えるが、そこから上はガスの中である。ビールを飲みながら夕食をとると、疲れからか睡魔が襲う。まだ日が明るいうちにシュラフにもぐりこむとあっという間に眠りに落ちた。夜半、目を覚ますと星空の下に剱岳の黒い影がどっしりとみられ明日の好天が予想できて安心である。
しかしなぜか眠られぬ夜をすごし、朝4時前には起きだす。朝食をしっかりとって4時半過ぎ、隣にテントを張った親子三人連れと剱岳を目指す。剣沢の雪渓を3回ほど横切って、剣山荘には20分で到着した。ここに宿を取った者は既に出発した後だろうか、閑散としている。
一服剣までは一息で登る。ここら辺りまでは雲も無く、日が昇ってきた方向には後立山連峰が黒々としている。昨日登った奥大日岳は朝日を浴びて光っていた。前剣もよく見えて何とか晴れそうな感じがして安心する。小休止して写真を撮る。
前剣まではいったん下って武蔵谷のコルを越えて、岩礫・石屑の落石危険のトレイルを慎重に登る。前剣直下の巻き道を行くと、雲流れる中に剱岳の山頂が見えてきた。風も強くなって山頂までは天気が持ちそうにない。いよいよここから鎖場が連続して平蔵のコルまで続く。2回目のせいかそれほどの恐怖感もない。最難関の「カニノタテバイ」には3人が待っているだけで、息を整える間もなく、鎖とボルトにつかまり垂直の岩場を攀じ登る。適度な緊張と恐怖感を覚えるが登りきると快感が走る。登りきった岩場には恐怖から解放された先着のパーティが休んでいた。最後の岩場は道を外した先行隊に続いたが引き返して登る。緩くなった岩礫のトレイルを更に20分もあえぎながら進むと祠の立つ剱岳山頂に到着した。キャンプ場から2時間40分、剣山荘からは2時間20分の所用タイムであった。「カニノタテバイ」での渋滞が無かったとはいえ、前回ムスコをかばいながら登ったときに比べ随分と早く登れたものだと大満足である。そういえば今回は随分と先行するものを追い抜いてきたようだ。「まーこんなことは自慢にもならない」が。
山頂は雲が切れかけるときもあるが、ほとんど展望が利かない。記念写真を撮り、軽食をとっている間に後続隊が続々と詰め掛けてにぎわい始めたので僅か20分の滞頂で後にする。
下山は時間的ゆとりも有り、余裕のくだりである。「カニノヨコバイ」では岩場にすくむものをカメラに収めたり、登るときには写真を撮るゆとりも無かった「カニノタテバイ」に廻ったり、登山道に迎えに出てくれた雷鳥を収めたりしながら、ゆっくりゆっくり下った。結局は雲の中の登山で、少し物足りないものであった。
剣山荘からキャンプ場に廻り、ビールで乾杯しながらラーメンを作り昼食をとる。
テントを撤収し、剣沢キャンプ場を後にする。早足登山で疲労が出たのか、その上重い荷物に足が前に進まない。別山乗越で剱岳に別れを告げようと振り返ると、雲に隠れていた山頂の雲が切れて、あの素晴らしい山容が姿を現した。荷物を降ろしカメラに収めてじっくりと剱岳を展望し、別れを告げた。
雷鳥沢を下る頃には立山連峰も晴れ渡り、室堂周辺の全容が開けて、疲れた体を慰めてくれるのであった。
雷鳥平キャンプ場から室堂ターミナルには1時間以上もかけて登り返し、疲労困憊状態で扇沢に下るトロリーバスに乗り込んだ。還暦記念剱岳再登山は満足度80%と言う感じで終わったのである。
カニノヨコバイと前剱岳の雷鳥
雷鳥坂から見る立山と一服剣から見る後立山連峰の夜明け
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