山行記
鋒立峰から見る杁差岳
新潟県にも沢山の道の駅が整備されている。そんな中でも温泉付きの道の駅は好評である。関川村の「ゆーむ」もそのうちの一つで、二王子岳を登った汗を流して、ここで車の中毛布を被って休憩(就寝)する。朝4時には起出して、コンビニで食料をし入れる。車の中で寝起きするのも朝のこの時間が貴重だからであると負け惜しみを考えるのであるが、宿に泊っていればこんなに早くは行動できない。こうでもしないと往復12時間も掛かる手強い山の日帰りは難しいのだ。
R290を黒川村に入り、奥胎内への案内に従い胎内川をさかのぼる。巨大な胎内川ダムが清流をせき止めているが、もう30年近い年月を経て自然に溶け込んでいる。洪水調整や農業用水の確保やらそれなりの役目はしっかりと果たしているのだろうと思う。このダムの建設には随分知り合いが携ったので感慨も沸いてくるのである。
5時半前には胎内ヒュッテに到着した。丁度管理人の古老が起き出す所であって、挨拶を交わしながら登山情報を聞く。古老は全くこの自然に溶け込んだような枯れた方で、熊と遭遇した時の注意や、登山中の注意などを淡々とアドバイスしてくれる。山の中では大きな声だしたらだめだ、熊の目を見ながら「アンタ何処へ行くの邪魔はしないよ」と言うように付合えば熊さんが先に道を選んで藪に消える等とにくいアドバイスである。「自然の中では自然に」と言うことか。
6時少し前に2車線の舗装された林道を進む。この奥に奥胎内ダムが建設されるとかで、頼母木川には大きなディビダーク橋が掛かっていた。自然破壊を極力押さえた物して欲しいと心底願うものである。(I さん頼むよ)
1時間ほどで足の松尾根取付きで、いよいよ大石山への尾根歩きの始まりだ。5分ほどブナ林を歩くといきなりの急登が始まるが、太いロープが下げられていて安心する。姫子峰と命名された休場は、飯豊の峰々の絶好の展望台になっている。岩稜部も一部に挟んだ尾根道はその名の通り、キタゴヨウマツが岩に絡むヤセ尾根で、松の根が尾根を崩壊から守っているのであって、山深き飯豊連峰へのプロローグとしては申し分のないトレイルである。要所要所に下げられたロープはこの自然の中には無粋と言うものだがこれが新潟県のサービス精神かと納得する。ガイドブックには5時間のコースタイムとある大石山までを喘ぎ喘ぎ休憩を含みながら、3時間40分で10時30分に到着した。
ここは既に飯豊連峰を成す一角で、右手には頼母木山から地神山・門内岳に稜線が続いている。登ってきた道を振り返ると、長大な足の松尾根が延々と尾根を伸ばしていて、その向こうには昨日登ったばかりの二王子岳がびっしりと雪を付けて堂々と聳えている。苦労は報われると言う実感がする。しかしながら目指す杁差岳は左に鋒立峰を越えて1時間半ほどの行程でそのコルを見やるとうんざりする。気を取り直して100mのアップダウンを乗り越えて鋒立峰に向かう。杁差岳へは更に同じ位のアップダウンを超えなければならないが、避難小屋も確認できれば最後の力を振絞って登りきる。山頂一つ前のピークには飯豊山の魅力を満天下に知らしめた飯豊山の開祖的な藤島玄のレリーフが建っていた。
11時40分杁差岳頂上に登りついた。
巨大な山塊・大きく伸びる幾筋もの長大な尾根に只只圧倒される。
深田久弥一家は、ここから門内岳・北股岳を経て大日岳・飯豊本山へ4泊かけて藤島玄一家と縦走したそうであるが羨ましい限りである。私も2年前弥平四郎から三国岳・種蒔山を経て飯豊本山に登っているが、いつかこの飯豊の主稜線を縦走してみたいものと思うのだが、もうそんな時間と体力はないだろうと気弱になるのであった。
飯豊連峰のの両端を極めたのだから「これで良し」とも思う。
最初から気にしていた通り、雲行き怪しくなりわずか30分の滞頂で下らなければならないのは誠に残念であった。案の定、大石山に戻ると雨が落ちてきて、慌てて雨着を着る。しかし15分ほどぱらぱらとするにわか雨で済んだのは幸運と言うべきである。
長い足の松尾根を「こんな急登であったのか」と認識を新たにしながら下るのであった。登る時の気合と言うものはすごいものなんだと思う。16時前に林道に下り、舗装された道を歩いて16時40分古老が心配する中、胎内ヒュッテに帰りついた。
山中はもちろんヒュッテの管理人以外誰とも会うことのない一人だけの杁差岳である。
越後の山を目指した時は杁差岳は独立峰で簡単に日帰りのできる山と思っていたが大いなる勘違いであったことは嬉しい誤算であった。
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