第11回長野マラソン敢走記
39.6キロ地点で敢え無くダウン)

今年も女房殿が親子での完走への期待をこめて作ってくれたお雑煮を食べて、戸倉発5時50分の信濃鉄道の電車に乗りました。今年からインターネット申し込みになって、地元ランナーより他都道府県から参加のランナーが多くなったようです。いつもなら東信地方から参加のランナーで賑わう電車ですが今年は様変わりでした。
長野駅で乗り換え北長野駅に着き、スターと会場に向かいます。

会場には7時前に到着し思い思いにストレッチなどをしてレースに備えます。
スタート地点の枝垂桜を前に記念撮影です。今年もムスコと二人、完走を誓いました。

 

手荷物を預け、最後尾のスターティングブロックに並ぶと、今年初出場のKさんが並んでいました。
Kさんとも完走を誓い合いました。

スタート前にはゲストランナーの高橋尚子さんが応援の挨拶をしてくれて大いに盛り上がりました。

8時30分号砲なって一斉にスタートです。
最後方ブロックからの私は5分30秒遅れでスタートラインを踏みました。
最後尾のランナーとQちゃんが一緒にスタートした模様です。Qちゃんはランナーと握手を交わしながら列を掻き分け前に進み、善光寺大門から長野駅近くの7.5キロを走ったようです。
Qちゃんは、さらに場所を移し、ゴール手前9キロ地点の赤坂橋からゴールまでランナーと一緒に走ってくれました。
シドニーオリンピック金メダリストそして国民栄誉賞のヒロインが今年の長野マラソンを大いに盛り上げてくれました。桃や菜の花の咲き乱れる沿道と残雪に輝く山々、それにもまして長野のホスピタリティに触れてQちゃんも大感激のようでした。来年はスタートから完走したいと嬉しいコメントを残していってくれました。

ありがとうQちゃん。

5キロまでは新コースでした昨年まではココに折り返し区間があり、狭く感じたのですが、快適に走りぬけることが出来ました。
(5キロ通過 31分55秒)

善光寺大門からは昨年と同じコースを走ります。天気も良くさわやかな風を受けて快調です。
ビッグハット付近の10キロ地点も快調に走り抜けます。
(10キロ通過 1時間3分53秒)

温水プールのサンマリーン長野から犀川堤防に出て五輪大橋をくぐるります。
先に行っているものとばかり思っていたムスコが目の前を走っていてビックリです。「ムスコは今年は練習量が足りなかったのでペースが上がらないのかな」と不安に思いました。
犀川堤防道路を落合橋で左折しMウェーブに向かいと15キロ地点です。
(15キロ通過1時間36分29秒)

対面走行の道路を2キロほど走ってMウェーブ周回道路です。3年前まで勤務していたところです。知り合いの方が手を振って応援してくれました。
再び対面道路に出て、気温もグングン上がってきた中、登り勾配が500mほど続く最大の難所五輪大橋です。橋の中間が20キロ地点で、少しペースが落ちてきました。
(20キロ通過 2時間10分18秒)

五輪大橋を過ぎると中間点です。ココは2時間17分44秒で通過、予定より3分遅れです。
南大塚までの折り返し道路に来るとガクっとペースが落ちます。22キロ過ぎの給水所でアミノバイタルを水に溶かして飲みました。折り返しを過ぎるとKさんが300m遅れくらいについていました。「頑張ろう!」と声掛け合いました。ホワイトリングの手前が25キロ地点です。
(25キロ通過 2時間46分40秒)

ホワイトリングの給水場でも水を補給し、「サーこれからゴールまで17キロ」と気合を入レました。ココまで息子と併走しました。3週間ほど前、ココからゴールまではムスコと二人試走してあるので、先が読めるというものです。ところがココから僅か1キロも行かないうちに足が止まってしまいました。暑さのせいでしょうかまさかの失速です。まだ26キロ地点です。少し歩きを入れながら再び走りますが続きません。ムスコは後ろを振り向くことなく先に行きました。
更埴橋もウォーク・ランで進み、千曲川の右岸にある山本勘助の墓の前に来る頃は半分完走を諦めざるを得ませんでした。しかし松代大橋を過ぎる辺りから再び気を取り直してランニング継続です。
上信越道・長野IC前を通過し、松代の町に入ると30キロ地点です。この区間で致命的なロスタイムが発生してしまいました。
(30キロ通過 3時間32分19秒)

殆ど完走を諦めましたが、30キロ関門の通過なったのでランニング継続ですが、やはりウォーキングも入ります。三度笠の有名人・東御市の柳澤さんも私の前で喘いでいます。
再び千曲川の右岸道路に出て目的もなく走り続けます。34キロ過ぎの岩野橋に掛かると前方から関門閉鎖5分前の声が聞こえます。気力を振り絞って走り何とか34.9キロの関門通過です。
(35キロ通過 4時間13分11秒)

35キロを4時間以内でと思っていたのですが、これでは完全にオミットです。関門通過すると堤防の応援者が「次の最終関門39.9キロ地点までは35分しかないよ」と教えてくれますが止めるわけには行きません。一生懸命足を前に出しますが時間は経つばかりです。
ゴール会場が手に届く「アト5キロ」地点に来ましたが何とか前に進んでいます。給水場では水を浴びる程飲み、頭から水を被りました。「アト3キロ」地点に来ると完全に足が上がらなくなりました、40キロ手前の最終関門閉鎖時間が来たのを知ったからです。500mほど歩いてゴールに向かうビクトリーロードに出ましたが、ココで異変が発生しました。歩くことも出来なくなり、縁石に腰を下ろしました。そして腕に巻いた時計をストップしました。
39.6キロ地点(ランニング停止時間 4時間54分35秒)

息を整えながら様子を伺っていると運良く収容バスが来ました。バスに乗り込み、差し出された水を飲むと右脚ふくらはぎが痙攣し、激痛が走ります。右手でしっかり抑えますが我慢の限界です。とうとう悲鳴を上げると収容バスはゴール会場に到着したときでした。バスから転げ落ちるように下車し、ペーブメントに身を投げ出しました。会場の救護役員が車椅子を持って飛んできてくれました。何とか踏ん張って、車椅子に乗り込むと3年前まで一緒に働いていた高橋君が声かけてくれました。彼は今年初出場で完走したそうです。激痛にゆがみながらも高橋君の健闘を称えてあげることが出来ました。
無残な姿でゴール会場を救護室に運ばれました。途中で2回ほど嘔吐しましたが、出るものは水ばかりでした。舌はモツレ声も出ない有様です。救護室に運び込まれたら医師から「今日一番にひどい脱水症だ」と言われ、点滴を受けます。その間も両下肢の痙攣が続き激痛に悲鳴が上がります。しっかりと足を押さえて貰いながら30分ほど経ったでしょうか。息子のことが心配になり、場内呼び出し放送をしてもらいました。
点滴が終わると漸く痙攣も治まりました。「もう少し休んで行きなさい」という声を後にお礼を言って救護室をでました。辺りを見回してもムスコは見当たりません。荷物引換所では私のものが一つだけ残っていました。ムスコを探す気力もなく、篠ノ井行きのバス乗り場に向かいました。
バス乗り場で水を飲みながらボーと待っているとムスコが来ました。「完走したか」と聞くと、嬉しそうに「僕の後ろにおじさん一人だけだった」と言いながらも誇らしげに完走の喜びを語ってくれました。
自分の情けない姿に比べ頑張ったムスコに涙が出るほど嬉しかったです。
バスで篠ノ井駅に出て、待つ間もなく電車に乗り、戸倉駅に戻りました。駅には女房殿が車で迎えに来ていてくれました。

帰宅後は汗を流した後布団の上に身を投げ出して休息するしかありませんでした。
とにかく厳しい2009年長野マラソンではありました。

しばらく休養し、今回のことを反省して又新たなスタートを切りたいと思います。
長野マラソンを卒業するのは、完走を果たしてしてからですね。

4日後、走りきれなかったコースを走る

脱水症の後遺症も癒えました。
先日の長野マラソンで走りきれなかった残りのコースを走ってきました。
本番と同じランニングシャツとゼッケンをつけて、腕に巻いた時計を止めた39.6キロ地点からゆっくりゆっくりとゴール会場まで走りました。ゴール会場の長野オリンピック記念球場は勿論閉鎖中ですので、野球場内の200m分は会場周辺を走り、ゲートに到着しました。
これにて2009年長野マラソンは変則的ながら完走?を果たしました。




走破タイム
4月19日 39.6キロ 4時間54分35秒
4月23日  2.6キロ     17分35秒
合計            5時間12分10秒

振り返ってみると「好事魔多し」と言う今年の長野マラソンであったといえます。冬の真っ最中も精力的に走り込み、自信を持って本番に望んだのですが・・・。
「リベンジ」などと言う言葉は好きでは有りませんが、来年は絶対にと言う闘志が涌いてきました。
しばらく休養をとり、又新たなスタートをきろうと思っています。
陰に陽に支えてくれた家族にそして応援頂いた方々に感謝します。

ランニング記録に戻る