ランニングの話

練習場所の千曲川サイクリングロード        フルマラソンのラストラン「東京マラソン2013

 

  私の住む町は、千曲川が町の真中を流れています。  左岸側堤防道路が上田市から長野市まで、サイクリングロードとして供用され、車の通行が規制されていて、ここがジョギングやマラソン愛好者の絶好のトレーニング場所となっています。
滔々と流れる千曲川の堤防を、北に向かって走ると飯綱山・戸隠・高妻山が、南に向かって走ると冠着山・太郎山(上田市)が望まれて心休まるロケーションです。
  私も50歳を迎えてから、体力維持と減量の為、ここを走るようになりました。もちろんムスコも一緒です。
  走れる距離も段々と伸びて、近郊の健康マラソンにも挑戦するようになり、上田古戦場ハーフ・安曇野池田ハーフなどに出場し足試しを楽しんでいました。走り始めてから5年後・55歳の1998年には、大町アルプスマラソンでフルマラソン挑戦するまでにモチベーションが上がっていましたが、初マラソンは残念ながら32キロ地点で敢え無くダウンでした。
  翌年の1999年から開催されている、長野五輪記念長野マラソンには第1回から第11回まで連続出場しています。 第3回大会までは無念のリタイアが続きましたが、2002年第4回大会でとうとう生涯初のフルマラソン完走を果たすことが出来ました。それも制限時間5時間、目標タイム4時間59分59秒に対し4時間59分58秒という劇的なゴールでありました。

  私はその後も走り続け。 2007年ホノルルマラソンを走りました。2008年石垣島マラソンを走りました、
  2009年、第11回長野マラソンは39.8キロの最終関門で収容されるという残念な結果に終わり、脱水症状で医務室に収容され点滴治療を受けるほどのダメージが有り、5時間制限大会への限界を知るようになりました。
  2009年夏、北アルプス笠が岳登山で長い下りのクリヤ谷を下る際右ヒザを痛めてしまい、走ることが出来なくなりました。そのため2010年秋まではランニングを諦めていましたが、負傷も癒えて、何とか走れるようになり、リタイアしたままでフルマラソンを卒業するのは意に沿わないため、2011年の第13回長野マラソンにエントリーし、ランニングを本格的に再開しました。十分な走り込みをして完走への期待も高まった2011年、長野マラソンは、東日本大震災のため中止のやむなきに至りました。
  しかし走りこみは続け、その年の秋新設の大阪マラソンで3年ぶりのフルマラソン完走を果たしました。そして2013年、若い頃インフラ整備に汗を流した大東京を走る夢が叶いました。70歳を2週間後に迎えた春2月24日、東京マラソンを走ってわがランニング人生の集大成になりました。 フルマラソン挑戦16回/完走率は9勝7敗であります。

 その後は地元開催の千曲川ハーフマラソンを2回ほど走りましたが、5時間制限の長野マラソンは、命の危険を感じましたので、再挑戦はありませんが、これからも体力維持のためにも近郊の健康マラソンなどを楽しみたいと思っています。

 


80歳を迎えた今は昔の夢を追いながら、若者が疾走する長野マラソンを楽しみにそして応援しています

2023年4月

 

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