第10回長野マラソン敢走の記録
(フルマラソンのラストランを飾る)
以前から長野マラソンを10回連続走って、わがフルマラソン挑戦は終止符をうとうと思っていた。平成20年4月20日とうとうその時がやってきたのである。昨年4月長野マラソンを完走した後、今回のことを意識して夏の暑い盛りも休まずに練習を続けてきて、1年間の走行距離は1500キロを越えた。65歳を迎えた私にとっては自慢のできる練習量である。そして昨年は10月の大町マラソン・ハーフ、12月のホノルルマラソン、今年に入って1月の石垣島マラソンなどを走って、ラストランの長野マラソン目指してモチベーションの高揚を図ってきたのである。
例年通り、朝食はお雑煮である。女房殿にも今年の長野マラソンをラストにすると告げてある。この10年間本当に良く協力してくれて感謝している。戸倉駅を6時前の信濃鉄道に乗って長野駅で乗り換え北長野駅で下りて7時前にはスタート地点の長野運動公園に到着した。
今年も気温の上昇が心配ではあるが雨の心配はない。着替えを済ませストレッチングの後、荷物を預けてスタートラインに並ぶ。今年は出場者が増えて8000人のランナーが並ぶ。毎度最後方のスターティングブロックはドンドン後に伸びる。招待選手紹介が終わり、8時35分号砲がなる。
5キロ地点まで (31’24”)
号砲鳴ってスタートラインを踏むまでは5分15秒掛かった。例年どうり大勢の市民が応援に駆けつけてくれていて嬉しい限りだ。昨年の飛び出しを思い出して今年も前半少しでも貯金を作ろうと意識してスピードを上げる。3キロ地点までで直角に曲がる場所が3箇所あってその都度スピードが緩むが、好調な滑り出しである。
10キロ地点まで (1;02’48” ラップ31’24”)
北京オリンピック聖火リレーで揺れている善光寺大門前には、そんな喧騒をものともせずに沢山の見物人と応援団が陣取ってくれていた。大門から長野駅に下る1.7キロは長野市一番の繁華街である。ここを5年連続で走れたことが嬉しい限りだ。聖火リレーも無難に成功してほしいものと思いながら感慨無量で走る。バスターミナル・九反と曲がり信大工学部前の10キロ地点も快調に通過。この間のラップは5キロまでと同タイムである。
15キロ地点まで (1:34’29” ラップ31’40”)
ビックハット前に来るとムスコがお世話になっている「ポーチ有旅の丘」前施設長のSさんが手を振って応援してくれる。もう4年連続の応援で感謝感謝である。松岡のごみ焼却施設を過ぎると犀川の堤防道路に出る。少し北風邪が吹いているがそれほど苦になるものではなく、火照った体には心地よい風だ。落合橋北を左折し更に300mで右折する。ここからはエムウェーブまでは折り返してきたランナーと対面走行である。そしてを更に快調に15キロ通過
20キロ地点まで (2:07’23” ラップ32’53”)
エムウェーブ勤務から離れて2年経ったが、4年間勤めた場所である。知り合いがいないかと周りをキョロキョロしながら走る。17キロ地点の妻側にT君が出て応援してくれた。昔の仲間に感謝しながら走りぬく。今年は余り疲れを覚えることなく通過できて漸く「完走できるかな」と思い始める。落合橋北の対面走行を過ぎて五輪大橋である。緩い登りが500mくらい続いているこのコース一番の難所であるが、北風におされて登りきる。橋の中間点を過ぎると20キロを通過。日差しが強く感じるようになってきた。
25キロ地点まで (2:42’14” ラップ34’50”)
五輪大橋を渡り、料金所を過ぎると中間点である。中間点を2時間15分台と予定していたが、2時間14分台で通過できた。いよいよラストランの完走が目に見えてきたのである。益々日差しが強くなって22キロ地点の給水所では柄杓で頭から水をかけてもらう。しゃきっとなって又走り出す。
南大塚までの片道1.4キロほどの折り返しは難所の一つである。息子が1.5キロほど先を行っていて少し安心する「自分のペースでよいからガンバレ!!」と声かける。さらに折り返してくると後方を走っていたM君が「ながいさ〜ん」と声かけるが、「最後までしっかり走れよ〜」と檄を飛ばす。少々疲労を感じ初めて25キロ地点のホワイトリングに到着した。少し足を止めてバナナを頬張り、ウェストポーチに入れておいたアミノバイタルを水と共に飲み下す。そして又頭から水を被って走り出す。
30キロ地点まで(3:20’00” ラップ37'45")
ホワイトリングから800m走って千曲川の堤防道路に出る。風は来た風で後からの追い風である。徐々に脚の上がりが鈍くなる。しかしまだまだ余力がある。回りのランナーもまだまだランニング継続である。松代大橋を行くランナーはサブ4狙いのランナーか。昨日最後に練習した28キロ地点から30キロまで粘りを発揮して30キロは予定どうり3時間20分ジャストで通過。少し苦しくなりここから先は給水所で必ず水を被る。
35キロ地点まで(4:00’58” ラップ40’57”)
右側にはゴール会場が見える。早く着きたいナーと思ってもまだまだ10キロの道程がある。菜の花と桃の花のコントラストが美しい応援も少なくなった堤防道路をととぼとぼと行く。あれほど好調に走れた前半に比べ一気にペースが落ちて、先が読めなくなり心細くなる。しかし足を止めずに岩野橋を千曲川の右岸に渡る。そしてアゲインストの風が吹く堤防道路を北に走る。毎年、悩まさせられる風であるが、今年はかえって心地よい風である。34キロ手前の給水所でも腹ごしらえのバナナとアミノ酸を補給する。体力も限界に近づいているのが実感させられる。よれよれながらも回りのランナーに合わせて35キロ地点を通過。ココも予定どうり4時間で通過できて一安心。
40キロ地点まで(4:41’54” ラップ40’56”)
足を止めたらその先は進められなくなるのが良くわかる。苦しくても絶対足を止めるなと言い聞かせながらランニング継続だ。36キロ地点で足がもつれる痙攣が来たのであるがそのままランニング継続。回りはウォーキングに入ったランナーが多く見える。しかし私はランニングなのだ。後5キロは4時間18分で通過「何とかなりそうだ」を繰り返しながら通過する。松代大橋の取り付きの急坂もランニングで通過できた。松代大橋を渡りきると残り3キロである。限界を超えた脚が悲鳴を上げている。心臓もパンクするのではと思うほどである。しかしココでやめるわけには行かない。足さえ上げていれば1キロ8分で走れる。「これが最後ではないかガンバレ!ガンバレ!」と己に鞭を入れる。40キロ手前の最終関門に近づくと係員が「関門閉鎖まであと3分」と大声上げてランナーを急かせる。少し気合が入って何とか関門通過。
ゴールまで(5:02’00” ラップ20’06”)
「あ〜良かったこれで完走できる」とラストランの完走を確実のものとして一安心。最後の給水所でしっかりと喉を潤す。ラストを楽しみながらと思いながら走り始めるが、突然吐き気をもようして、脚を止める、嘔吐をこらえきれず咳き込むがでるものは何もない。最後をかっこよく決めることなくラン&ウォークでゴール会場の長野オリンピックスタジアムに到着した。5時間を5分ほど越えた時計が目に入ったがもう時間など問題ではない。少し呼吸を整えて人工芝のスタジアムに凱旋する。並んでいたランナーを先にやり、数々の思いを込めてゴールを両手を挙げてゴールインである。もう脚は痙攣を起こし舌はもつれて声もでない。体力の限界をはるかに超えてラストランを飾ったのである。
50歳から始めたランニングの集大成のフルマラソンはこれで卒業だ。もともと身体能力に乏しい自分がよくがんばったものと思う。もうフルを走るのは命と引き換えだということがよく実感できるのだから・・・。でも楽しいランニング人生だったなー。
これからも体調管理の為にもランニングを継続して短い距離の健康マラソンを楽しもうと思う。
ゴールのあとで