飯田市遠山郷の山
(戸倉山・黒石山・氏乗山・森山・炭焼山)

戸倉山 トグラヤマ 標 高 1167m 南信州の里山 山 域 伊那山地南部
登 山 記 録
登山月日 2021年4月2日
登山経路 名田熊沢林道終点6:10〜廃屋6:35〜戸倉山8:40/8:50〜1202m引き返し地点10:15/10:20〜戸倉山11:50/12:10〜林道終点14:00
行動時間 登り 下り 合計 7時間50分 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候
メンバー 単独
情   報
アクセス 名田熊沢の林道はR418〜2キロ先で終点 最後数百メートルは砂利道
トレイル 廃屋まではしっかりした歩道あるがその先は落ち葉に隠され気味 戸倉山からは踏み跡薄い尾根道を行く
水場・トイレ 水場toilet共に無し
その他 戸倉山は尖峰で遠山谷のマッターホルンと呼ばれる
戸倉山から黒石岳目指したがあと1時間半はかかりそうで敗退した
山行記


廃屋まではしっかりした道ある・登りついた稜線


戸倉山を踏んで黒石岳への岩稜の尾根


引き返した地点付近の尾根





R418の南沢バス停から名田熊沿いに林道が入っていた。狭いながらも舗装された林道を路面に落ちた落石を避けながら進んだ。やがて落葉の被さる砂利道に変わったが南沢から2キロ先が林道終点であった。終点に車を停めてよく整備された広い登山道と云うより生活道路を行き、25分ほどで廃屋に着いた。(数年前まで住人がいた)ネットで調べてきたので廃屋の中を通って茶畑への道を行く。ここまでがしっかりした道であって、茶畑への道を分けてスギ林の中に入ると道は落葉に消されがちである。スギ林を過ぎて雑木林に差し掛かると完全に道は消えていた。それでもすぐ上方に見える尾根を目指して高度を上げた。尾根に登り上げるとしっかりした登山道が有った。廃屋からの道は最短であるが迷い易いことも知った。尾根上は岩稜帯もあり急登もあって最後は尖峰戸倉山の最後の急登に取りついた。「どうやって上るのだろうか」と思うほどの急登で見上げるが樹林の中に薄い踏み跡と赤布が下がり忠実に跡を追った。標高差100mほどを何とか凌いで2時間半かかって戸倉山山頂に着いた。山頂は思った以上に広く古い山名プレートが横たわっていた。今日はここが最終目的ではなく伊那山地の主稜線を黒石岳まで往復予定である。
10分ほど休憩し主稜線を行くとすぐに大きく下って行き、岩稜や痩せ尾根を越えて行く。二ッ目のキレットを越えて更に大きく下って右側に尾根を移す。この登り返しがまた急登であって汗を絞られた。登りついた尾根は樹林の中で快適縦走路が続いていて黒石岳までは問題ないのかと思った。しばらく稜線を行くと再び大きく下ることになり地形図を見ると1202mピークであって黒石岳と思っていた眼の前のピークは前衛の1268mピークであることが分かった。戸倉山からはすでに1時間半ほどかかっていてこの先黒石岳まではまだ半分の場所である。腰を下ろして思案の後撤退を決断した。
失意の決断の後は戸倉山に戻って急坂を滑落に気をつけながら往路を戻った。雑木林で往路を外れ茶畑に下って廃屋に着いた。廃屋からは快適な道を下って林道終点の駐車場所に戻った。
下山後GPSトラックを見ると、撤退地点から先は大きなキレットもなさそうなので、少々もったいなかったかなと思う黒石岳ではあった。秋の南信州里山探訪には底稲集落跡まで林道を歩いて黒石岳をアタックしようと考えている。



黒石岳 クロイシダケ 標 高 1377m 南信州の里山 山 域 伊那山地
登 山 記 録
登山月日 2021年10月23日
登山経路 林道山原・底稲線終点8:25〜集落跡8:35〜TV受信施設9:35〜黒石岳10:10/10:15〜林道終点11:00
行動時間 登り 1時間45分 下り 45分 合計 2時間35分 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候
メンバー 単独
情   報
アクセス R152から山原集落迄は舗装道路 山原底稲林道は軽自動車クラスしか通行できない狭い林道
トレイル 廃屋の後方にTV受信施設への薄い踏み跡の道を追う 尾根上にはそれなりの踏跡と赤布が下がる
水場・トイレ 水場toilet共に山中には無い
その他 山原・底稲林道走行の方が修羅場
山行記


黒石岳山頂


TV受信施設・雑木林の明るい尾根


←底稲の廃屋・ヒノキ林の案内標識→



戦後入植開拓され、最盛期には17戸50人が住んでいたという底稲迄の山原・底稲林道走行が修羅場の黒石岳登山であった。
林道走行は無理と思ったので南信濃の道の駅に車を止めて、底稲迄の7キロの道を歩こうと出発した。国道脇の民家の老婦人が黒石岳に登るというと「林道が整備されている」と云うが歩いて登ると声かけてさらに進んだ。10分ほど歩いてまた民家で雑用する主婦に林道の情報を聞くと「底稲迄は林業関係者が毎日入っている、今朝も軽トラックが入って行った」と云う返事であった。ここで歩くのをやめて車で底稲まで行くことにして、道の駅に戻って車で再出発である。
山原の最終民家から林道に入ったがしばらくは舗装道路が続き、やがて砂利道に変わったが、狭く軽トラックがやっとという林道である。急カーブでは切り返ししなければと思う所も何か所かあったが軽自動車並みの自分の車では何とか通過できた。途中軽トラックが下ってきて心配したが、地元の方が待避所迄50mほど後退してくれ道を譲ってくれた。最終民家から6キロの林道を40分ほどかかって底稲集落跡の入口に近づくともう1台の軽トラックが林道脇に止まっていた。林道終点に車を止めた。
集落跡に延びる道は荒れていたが、屋敷跡か畑跡と思われる石垣が有り廃集落を感じることが出来たがヒノキが植林されていた。数分で廃屋が立つ場所に着いた。林業関係者がまだ利用しているのかと思うほど傷みが少ない廃屋である。廃屋の奥に延びる道に入ると有線テレビの受信施設への案内看板が有り、それが黒石岳への登山道であることも分かった。落葉で隠されがちのヒノキの植林地を行き、10数分で黒石岳から張り出した南島尾根に出た。雑木林の尾根は明るく緩く登って行く。藪の無い登山道と云うほどのものないが樹木にテープが巻かれ導いていて途中にはテレビ受信設備が有った。更に緩急繰り返しながら尾根を登り山頂直下の急登を凌いで黒石岳山頂に着いた。底稲からは1時間30分ほどかかって登りついた樹林の中の黒石岳山頂は展望の無い薄暗い山頂であった。山頂をカメラに収め暫し休憩の後往路を下った。
林道の下りもまた修羅場であって手に汗しながら慎重に下ったが、「林道入口まであと1キロ」かと思う地点で岩壁に左バンパーを接触してしまい車を傷めてしまった。



氏乗山 ウジノリヤマ 標 高 1819m 南信州の里山 山 域 伊那山地
登 山 記 録
登山月日  
登山経路  
行動時間 登り 下り 合計 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候  
メンバー  
情   報
アクセス  
トレイル  
水場・トイレ  
その他  
山行記




炭焼山 スミヤキヤマ 標 高 1554m 南信州の里山 山 域 シラビソ高原
登 山 記 録
登山月日 2021年4月1日
登山経路 シラビソハイランド道路ゲート前12:55〜炭焼山14:00/14:10〜車道14:20/14:30=ゲート前14:45
行動時間 登り 下り 合計 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候
メンバー 単独
情   報
アクセス 「下栗の里」からハイランドシラビソ迄の舗装道路を冬季閉鎖のゲートまで
トレイル 車道を2キロ(10キロポストまで)歩いて適当に崖を駆け上がる
水場・トイレ 1キロ手前の「下栗の里・休憩所」に自販機toiletある
その他 御池山の山塊 車道歩きの下山時車に拾われるる
山行記


冬期通行規制の車道を歩いて炭焼山山頂



「下栗の里」の休憩所から1キロほど走った地点でゲートが有ってシラビソ高原への道路が冬期閉鎖されていた。
カーナビで炭焼山までの距離を測ると2キロほどであった。まだ時間にも体力的にも余裕が有るので、舗装道路を歩いて炭焼山を目指すことにした。左側に遠山谷を隔てて昨日登った小川路峠や金森山などの伊那山地、右側には兎岳・聖岳・上河内岳などの南Alps南部の主峰を見ながらの飽きない道を休憩取りながら小1時間ほど歩いた。シラビソハイランド側からの距離標識12キロポイントが炭焼山への入山地点である。入山地点と云っても登山道が有るわけでなく、適当に崖を駆け上がって雑木林の中10数分で炭焼山山頂に着いた。
樹林の中で展望もない炭焼山山頂をカメラに収めて道路に下り、下栗の里方面に0.5キロほど戻る途中で林業関係者の車が下って来た。同乗をお願いすると快く乗せてもらうことが出来た。


森山 モリヤマ 標 高 717m 南信州の里山 山 域 南信濃和田宿
登 山 記 録
登山月日 2021年4月1日
登山経路 和田宿龍渕寺9:15〜森山10:35/10:40〜龍渕寺11:25
行動時間 登り 1時間20分 下り 45分 合計 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候
メンバー 単独
情   報
アクセス 龍渕寺迄一般道
トレイル 樹林の中獣道並みの踏み跡追う
水場・トイレ 龍渕寺前に自販機・公衆toiletある
その他 山城の有った山で盛平山と呼ばれている
山行記


入山口の龍渕寺と森山山頂


森山の入山口は和田宿の龍渕寺であって、寺の門前の駐車場には「山頂1.8キロ」の看板が有った。急傾斜の石段を登って本堂にお参りした。
本堂の後の墓に続く道が有ったのでそれを追ったが途中で道は消えていた。なんとなく現れる踏み跡やケモノ道を追いながらスギ林の中高度を上げて行き、山頂付近になると勾配も緩んでいた。送電鉄塔から少し先に森山三角点が有った。山頂の樹木には「森平山」の山名プレートが付けられていた。地形図に載る森山は盛平山・森平山とも呼ばれているらしい。下山は登りの道を追ったつもりながら少し離れた場所に下った。

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