白峰南嶺の山

(笊ヶ岳・布引山・稲又山・青薙山・山伏・八紘嶺)

日本二百名山 笊ヶ岳
布引山
ザルガタケ
ヌノブキヤマ
標 高 2629m
2583m

山 域

南アルプス・白峰南嶺
登 山 記 録
登山月日 2003年5月27日〜28日
登山経路 5/27 早川町老平8:30〜林道終点9:10〜広河原10:15/10:50〜山の神11:35〜 桧横手山14:10/14:20〜布引崩16:20〜布引山16:50
5/28 布引山5:15〜笊ヶ岳6:25/7:10〜布引山8:20/9:20〜桧横手山10:50〜 山の神12:20〜 広河原13:00/13:15〜老平14:45
行動時間 第1日目6時間20分 第2日目9時間 合計15時間20分(休憩時間含む)
天  候 5/27 曇/小雨  5/28 曇
メンバー 単独

情  報

アクセス 南アルプス街道を早川町の雨畑に向かう。雨畑湖を過ぎて、奥谷沢方面に曲がり、行き止まりの集落が登山口の老平である。
トレイル 広河原〜 桧横手山〜布引山は厳しい急登が続く、布引山〜笊ヶ岳はアップダウンの踏み跡薄い縦走路
水場・トイレ 桧横手山に水場有るが不明 トイレは登山口から先にない
その他 日帰りをするなら広河原にテント泊

山行記


布引山から見るモルゲンロードに染まる聖岳と赤石岳

5月27日
 日本200名山の難関と言えば、残雪期しか登れない毛勝山・笈ヶ岳等と共に南アルプス白峰南嶺にある笊ヶ岳も数えられている。それは1番ポピュラーな登山口山梨県早川町からの登山道であっても、山小屋・避難小屋が無く、途中水場もなく、山頂を極めるには山中1泊を要する奥深い山であるからだ。
南アルプスの一番麓でありながら、南アルプス市から外れた早川町の雨畑に向かう。雨畑湖を過ぎて、奥谷沢方面に曲がり、行き止まりの集落が登山口の老平である。
登山を続けていていつも思うのであるが、ここも又「良くもまー、人が住み着いて」と言うほどの山奥である。ここは雨畑硯の産出でも有名であるが、今も出ているのであろうか。
支度をしていると1台の車が到着したが、どうやら渓流釣りのようである。
土地の古老が渓流釣りの鑑札の見回りに来ていて、登山のアドバイスを受ける。「今日は布引山にテントを張って、明日笊ヶ岳を往復して下山する」と言うと、私の小柄な体と年齢を察してか「うーん」と唸っていた。
林道入口には簡易なゲートがつけられている。そこから40分ほど歩いて、林道終点を右に曲がって登山道に入る。すぐに無人の家屋が現れる。近くには茶畑があり最近摘まれたあとも有るので、まだ栽培されているのだろう。
森林軌道跡の登山道を広河原まで歩く。崩落が激しく、大規模な土砂崩れを起こした谷や、頭上から水の落ちる岩場を越える。下を流れる奥沢谷を見れば高さ100mくらいの絶壁が続き、肝を冷やすところも随所にある。標高1050mの広河原は雪解け水で増水していて、徒渉は靴を脱いで裸足で渉る。ここが最後の水場で、4Lの水を確保し、有に20キロは越えるザックを担ぐと、ぐっと肩に食い込む。いよいよ布引山までの登りである。
標高差約1500mは有るのだろうか。最初はジグザグを切った登山道を気合いを入れながら黙々と登る。1時間半のコースタイムの山の神には1時間を切って登り切る。「足が速いのかな」、それとも「ガイドブックのタイム設定が甘いのだろう」かと楽観的になるが、後で思い知らされるのであった。
更に登り続けて材木搬出用の索道小屋跡に出る。ウィンチが放置されて朽ち果てていた。桧横手山は、名前の通り桧の山であったのだろうか、今はカラマツが植林されている。この深山にカラマツ林は不似合いである。
途中で昼食をはさむが、桧横手山頂には、山の神からしっかり2時間半掛かって到着だ。急登に次ぐ急登を登って来て疲労困憊である。ここからはしばらく緩いトレイルが続き、息を入れるのにちょうど良い。木の葉に付いた滴を浴びて、着ている物は汗と共にびっしょ濡れである。
更にぱらぱらと雨が落ちてきて、ここで雨着をつけるが既に遅しの感である。
布引山に掛かるとシラビソの原生林の中を歩く。苔むした山中は倒木が登山道を塞ぎ、標識を確認のために上を覗うと山が被さってくるようだ。桧横手山より更にきつい登りとなり,いっこうに足が上がらない。肩で息をしながら喘ぎにあえぐ。ロープの下げられた場所もあり両手を使って重い体を引き上げる。本当に布引山まで登れるのだろうかと不安に思う。
何回か小休止をはさみながら布引崩の縁に着いた。
ここまでくれば天気が良ければ展望もあるのだろうが濃いガスの中で何も見えない。残雪の山頂直下をしばらく進んで、所の沢越からの道を合わせて、ようやく布引山山頂を踏んだ。
朝、老平を出て8時間20分、広河原からは丁度6時間掛けて到着したことになる。北アルプスのブナ立て尾根より更に厳しい登りであったように思えるのであった。
布引山のテンバは山頂のすぐ脇にあって、まだ残雪の中だった。二張りほどはれる場所も雪解け水でぬかるんでいた。雨もやんでほっとしながら、何とかスペースを確保してテントを張った。濡れた着衣を急いで着替えると生きた心地がする。夕飯の準備をしながら紙パックの酒で一人乾杯。お湯を沸かしてみそ汁を作り、持参した弁当を広げて食べるうちちに睡魔が押し寄せて、片付けもそのままシュラフにもぐりこみ眠りにつく。
標高2580mの布引山山中私一人だけの夜であった。

5月28日 
寒さに何回か目を覚ます。テントの中の気温は3.7℃である。外が明るくなってきたのでベンチュレーターから覗くと、雲海の上に富士山がくっきりと浮かんでいる。
更に朝食準備をしていると朝日が当たってきた。ご来光を見ようとテントの外に出る。富士山の反対側に南アルプスの南部の赤石岳や聖岳がモルゲンロードに染まっている。上河内岳は目の前にあり、その左側には光岳から池口岳まで雲海上に顔を見せている。どの山も、ここ数年で極めた峰々であり、それぞれの思いが頭を過ぎり、涙が出てくる。大無間山塊の山々も見渡せて大感激である。
然し、下から忍び寄るように上がってくるガスの気配を感じて、急いで目標の笊が岳を目指す。
赤石岳は朝日を浴びて更に輝いてきた。その右側の悪沢岳や塩見岳もくっきりと見えだして、小躍りするばかりだ。笊が岳も樹間に望めるようになるが、木の間越ではすっきりとカメラに入らない。
布引山から150mほど下がった、まだ残雪がたっぷり残る笊が岳への鞍部を過ぎる頃になると、とうとうガスが上がって来た。シャッターチャンスを逃してしまい悔やむがもうどうしようもない。1時間10分後に着いた笊が岳山頂は全くの曇り空の中になってしまった。残念で仕方ない。もう晴れることは期待する方が無理である。
原生林のトレイルを登り詰めた笊ヶ岳の山頂には、静岡県が立てた「無粋な山頂標識」が雰囲気を台無しにしていた。どんな神経をしているのか疑いたくなる。
山頂から、いつも情報提供を受けている「甲府の山仲間Cさん」に携帯で電話する。何とかつながって登頂の喜びを伝えると、自分のことのように喜んでくれて恐縮するのである。
展望の利かない中、それでも45分の山頂スティをきめて後にする。
目標を達成した後の脱力感か、それとも期待した展望にありつけなかった失望感からか、布引山への帰路は随分と足が重い。
テントの撤収・パッキングに1時間も掛けて、9時半布引山頂を後にして下山を開始する。
布引崩からシラビソの原生林の中に足を踏み入れると、「こんな急坂を登ったのか」と自分でもびっくりするような登山道を転げ落ちるように桧横手山に下る。いつも思うのだが「登りの気合い」とはすごいものだと思う。
更にそこから1時間半で山の神、そして広河原には13時ジャストに下り着いた。
とうとう「山中、誰にも合うことのない笊ヶ岳であった」かと感傷的になる中、広河原ではテントを張った3人パーティが早速情報収集に駆け寄ってきた。明日の朝、軽荷でピストンするそうである。そういえば最近笊ヶ岳を目指すにはこの登山スタイル・パターンがが多いように聞いた。
奥沢谷の清流でしっかり汗を拭き、又裸足になって徒渉する。
軌道跡の登山道・林道を歩き続けて14時45分予定より30分近く早く老平に着くことが出来た。
原生林の中のトレイルと言い、山頂の展望と言い、まさに白峰南嶺・笊が岳は指折りの名山である。又、これほどに再登山を誓う山も少ないのである。
今度いつ登れるのであろうか?


 
左南ア深南部の山 右上河内岳

 
笊ヶ岳山頂と布引山テント場

 


日本三百名山 山伏 ヤンブシ 標 高 2014m

山 域

南アルプス・白峰南嶺
登 山 記 録
登山月日 2003年6月5日
登山経路 西日陰沢登山口7:40〜蓬峠9:00〜山頂10:20/11:00〜蓬峠〜登山口12:50
行動時間 登り2時間40分 下り1時間50分 合計5時間10分(休憩時間含む)
天  候
メンバー 単独

情  報

アクセス 静岡市から安倍川をさかのぼり梅ヶ島温泉に向かう。新田バス停で大谷崩れの案内を左に曲る大島迄戻って西日陰沢登山口
トレイル 水量の豊富な沢を何回か徒渉して1時間15分で蓬峠に着く、更に整備された登山道を登って避難小屋への分岐を超えて笹原の山頂に着く
水場・トイレ 途中に沢水 トイレは避難小屋
その他 井川・雨畑林道からは30分で山頂踏める

山行記


山伏山頂と農鳥岳と笊ヶ岳

静岡市から安倍川をさかのぼり梅ヶ島温泉に向かう。新田バス停で大谷崩れの案内を左に曲る。

西日陰沢林道への道を見落として、大谷崩れの崩壊地の下まで来る。ここにも登山口があって、「落石に注意して登ってください」の看板が立てられていた。
大島迄戻って西日陰沢登山口に向かう。
登山道の脇をワサビ田までインクラインが走る。ワサビの荷下ろし用であろうかと思う。水量の豊富な沢を何回か徒渉して1時間15分で蓬峠に着く。ここが丁度中間点で大谷崩れの防災工事の音と重機のうなりが響き少し興ざめとなる。更に整備された登山道を登って避難小屋への分岐を超えて笹原の山頂に着く。随分と手ごたえのある登山道を登った割りに案内には「ハイカーの皆様へ」と言う看板と木道が整備されていてびっくりする。
南アルプスが北岳から上河内岳まで展望できるが随分と遠くに感じる。先週登ったばかりの笊が岳はすぐ目の前に見えて感激だ。ここから小河内山・青薙山など越えて縦走する者もいるようである。山頂の周遊コースを散策していると大笹峠を走る林道がすぐ下に見える。今は山梨県側が路肩決壊により工事中で通行不能であるが開通したら大笹峠から山頂まで20分の距離のようである。又この林道雨畑井川線は陸の孤島井川から甲州に抜ける唯一の道で有り、開通が待ちどうしいことであろう。それ故に「ハイカーの皆様へ」の看板の意味が分かるのであった。然し古道の梅ヶ島から登って良かったと思う。

 


稲又山 イナマタヤマ 標 高 2405m 日本の山1000

山 域

南アルプス・白峰南嶺
青薙山 アオナギヤマ 標 高 2406m

山 域

南アルプス・白峰南嶺
登 山 記 録
登山月日 2010年8月20日〜8月21日
登山経路 8月20日
畑薙第一ダム・沼平ゲート5:45〜中の宿吊橋8:05〜中の宿沢8:25/8:50〜最初の水場10:50/11:05〜水平道取付き11:50〜所ノ沢越直下の水場14:40(幕営)
8月21日
水場6:10〜所ノ沢越6:23/6:30〜稲又山8:10/8:20〜青薙山10:15/10:45〜池ノ平12:35/12:45〜東又林道・青薙山登山口13:50/13:55〜沼平ゲート15:10
行動時間 第一日目 9時間
第二日目 9時間
合計   18時間 (休憩時間を含む)
天  候 第一日目 晴 第二日目 晴・霧
メンバー 単独

情  報

アクセス 沼平まで舗装道路の南アルプス公園線 
トレイル 所ノ沢越までは歩く人も少ない荒れた登山道 稜線は赤布頼り 青薙山登山道は歩かれている
水場・トイレ 水場は東俣林道沢水随所 所ノ沢声までも5箇所ほど沢水取れる 池ノ平湧水は一級品
トイレはなし
その他 山の静けさを知る 青薙ぎ山の崩壊地には驚かされる

山行記


茶臼山登山口の畑薙大吊橋と笊ヶ岳登山口の中の宿吊橋

昨年6月目指した山であるが、畑薙ダム手前3キロ地点で土砂崩れがあり、道路決壊通行不能となったので登山を諦めた山である。
前夜山梨県早川町の雨畑から雨畑・井川林道を通って畑薙ダムに着いた。全長40キロ余の林道で、最高点の県境付近は標高1900m近くあり、闇とガスの中緊張の連続であった。前後のアプローチを入れると身延町のR52から80キロ3時間の緊張であった。
早朝、大井川東俣林道の沼平ゲートに車をつける。5台ほどの車が停まっていたが全て無人で山中に入っていたものと思う。支度をしていると外人の単独行者が大股でゲート脇を入って行き、折りたたみ自転車の渓流釣り氏も脇をすり抜けて林道に入って行った。私も自転車を持ってこなかったことを後悔するのであった。
林道は100mほど舗装されていたがその先はダートである。しかし二軒小屋までバスの走る道でよく整備されている。今日はそんなに長い行動時間ではないと思うと、左に畑薙ダム湖を見ながらゆっくりと歩く。小一時間で南ア南部の茶臼岳登山口の畑薙大吊橋に到着した。畑薙ダム湖の湖上に掛かる長さ200mダム湖から30m位の長大吊橋でびっくりさせられる。強風時には肝を冷やすことであろう。いやいや平時でも足がすくむと言うものだ。
下山予定の青薙山登山口を見落として進み、赤い鉄橋の畑薙大橋を渡る。更に進んで中電の発電所前で朝食をとりながら休憩する。発電所前から中の宿吊橋までは僅かな距離であった。吊橋の脇には「所ノ沢越・笊ヶ岳登山口」の看板も立っている。吊橋はさっき見た畑薙大吊橋にも負けないほどの長大吊橋であるが鋼製足場板2枚(幅50センチ)がしっかり敷かれ、手摺のロープも腰の高さに両側にあって安心して歩けるのであるが、何しろ高さは川面から30m長さ200m近い吊橋では緊張すると言うものである。


中の宿吊橋を渡って樹林帯の急登を凌ぐ


標高2000mの等高線の水平道を行き・所ノ沢越直下で幕営


大井川左岸に移って登山道に入る。細い道で本当にこれが登山道かと心配になるような道である。間違えているのではと思いながら大井側の川沿い上流に30分ほど進むと案の定道は消えていた。ここでガイドブックを出して確認すると、中の宿沢である。落ち着いて周囲を探すと徒渉地点の先に赤布がたれていた。この先水場もあるがそれまでの分を確保して徒渉する。後は薄い踏み跡と赤布を頼りに急坂を登り続けるのである。登山道と言うよりは林道の作業道という趣であり、実際作業道が登山道になっただけなのである。登山道脇にはアカマツも見られ、北アルプスとの樹相とは少し違う。疲れを感じる前にしっかりと休憩を挟み、2時間ほど登ると左側に小沢が流れる水場に到着した。
水場で一息入れた後、再び急坂の登山道を行く。ガイドブックでは直ぐに水平道に入るかのようであったが水平道に出る前には1時間近くの急登が有り、汗を搾り取られる。そして「FH2000m」の標識が立つところが所ノ沢越に続く山腹を巻く水平道取り付きで有った。急坂で疲れた足には嬉しい水平道であるが、道はそれほど良いものではない途中で昼食休憩を挟む。最初の水が流れる沢に来れば道は更に荒れてきた。崩落が激しく薮の中をアップダウンを繰り返す。大きく崩れた砂礫地は20mほど下って反対側にわたり登り返す難所もあった。
二つ目の沢を越え、程なく行くと、幕営場所の水場に到着した。所ノ沢越えまでは15分のところであるが。水場の脇には絶好のテント場となっているのでここにテントを張ることにする。
午後3時を回ったところで丁度良い時間である。沢水で冷やしたビールやお酒を飲みながら寛いだ時間を過ごす。


所ノ沢越(西沢峠)と稲又山山頂


シラビソの若木の2次林の中の稜線を行く


樹間からは時々聖岳も顔を見せる


タドリ山方面への分岐を過ぎると青薙山は直ぐだ

 

風もなく夜露も下りない夜で有り、眠られぬとは言え体を横たえて疲れを取ることが出来た。昨夜の酒が少し過ぎて、食欲の湧かない朝はコーヒーを飲んで朝食は行動中にどこかでとることにする。
所ノ沢越(西沢峠)までは10分余の距離で有ったが、ガスが掛かっていて山梨県側の展望は開けていなかった。峠からは2時間で布引山、そして1時間で日本二百名山の秘峰・笊ヶ岳に立てるのであるが、現在はこの道を登る登山者は少ないものと思う。転付峠や雨畑の老平からがメインの登山道である。
布引山とは反対側の道に入るが登山道とはいえない道になり、赤布を追うことになる。伐採跡に復元したシラビソの2次林の若木が美しい。20分ほど進むと潰れた林業小屋跡にでる。正に兵どもの夢の跡であり、哀れを誘うものである。この辺りが一番迷いやすいところであるが、その先はしっかりと赤布・赤テープが導いてくれていた。地元の山岳会か東海パルプの好意によるものと思う。ヒューマンメイズの中を歩くような錯覚を覚えながら、美しいシラビソ林を楽しみながら歩き、所ノ沢越からは1時間40分で稲又山に着いた。山頂だけ少し切り開かれていたが展望はなかった。
暫し休憩の後、青薙ぎ山めざして縦走路を行く。稲又山も青薙ぎ山も標高は2405m殆ど変わらない高さで、鞍部も100mも標高を下げないので疲れを覚えることもない。少々ガレバ・ヤセ尾根もあり、西側には樹間に南アルプス南部の上河内岳・聖岳・赤石岳・荒川三山等が見えるが、樹林にさえぎられて全容を見るまでには行かないのが残念だ。稜線の真ん中とも言うべき、2320mのピークで一息入れる。イタドリ山・山伏岳方面への道を左に分けると、青薙ぎ山は直ぐそこである。最後は赤布も見失い少しうろうろとしたが高見を目指すと青薙ぎ山の標識が立っていた。二等三角点の標識が埋められていた。山頂脇の西側は樹間が開け、南ア南部の主峰の大展望が得られるのであるが、残念ながら上昇気流が上がってきて、霧が掛かり展望は得られなかった。

10時過ぎで朝食もとらずに歩いたので空腹感を我慢してきた。ラーメンにお餅を入れて腹ごしらえしながら休憩を取った。


シダの生える緩傾斜地を下り赤崩の縁に出る


荒々しい自然の猛威を感じる


湧水もある好幕営地の池ノ平


最後は肝を冷やすようなザレ場を下り林道登山口へ

青薙山は伐採を免れた山のようで山頂周辺には原生林が茂る素晴らしい樹相を見せている。青薙山山頂付近には幕営適地が随所に広がっている。
山頂を下り始めると最初に笹原が広がり、更に高度を下げると草原になり、トリカブトなどが群生している。標高2200mまで下げると傾斜が緩みダケカンバ林の中、シダが中心の大草原地帯となって1800m付近まで続いていて、ここを通過するのに1時間以上を要するほどであった。草原地帯の北側には赤崩れの大崩壊地があり、登山道は一部崩壊地の縁を歩く。まさに大自然の計り知れない力で圧倒される。白峰南嶺の西側には崩壊地が数々あるのが見える。いつの日か山頂稜線まで魔の手を伸ばすのは必定であろう。
草原地帯を過ぎ急坂を下ると滾々と湧水が湧く池ノ平である。好幕営地でテント場も整備されていた。湧水は直ぐに崖を下り滝となって流れ落ちていた。山頂〜2時間良い休憩場所で、湧水を飲みながらゆっくりと休憩する。ここからの下りがハイライトで急坂をグングン下る。足を外したら転げ落ちるような急坂である。砂礫のザレタ急坂では今日一番の緊張が走るところでジグザグを切った斜面にはロープで手摺も設けられていた。更に林道を走る車の音が聞こえる頃になっても中々下りつかず辟易としながら重力に任せて転げ落ちるように下って、熱中症気味になりながらへとへとで林道に下りついた。林道で肩で息をしながら呼吸を整え、ペットボトルに残した水・ポカリを一気に飲み干すのであった。青薙山山頂から3時間、池ノ平からは1時間ほどで下りついたのである。

一息入れた後、林道を歩く。1時間15分ほどの長い道を歩いて沼平のゲートに帰還し、ゲート脇の登山指導所の水道で顔を洗い、汗を拭って車に乗り込んだのである。

 


八紘嶺 ハッコウレイ 標 高 1918m 山梨百名山 山 域 白峰南嶺
登 山 記 録
登山月日 2015年12月10日
登山経路 梅ヶ島温泉10:25〜林道安部峠分岐11:20〜富士見台11:55〜八紘嶺13:00/13:25〜分岐14:30〜登山口15:10
行動時間 登り2時間35分 下り 1時間45分 合計 4時間45分 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候
メンバー 単独
情   報
アクセス 梅ヶ島温泉から林道ゲートまでは荘道路 夏季は舗装道路の林道安倍峠まで入れる
トレイル 富士見台から急登があるが良く整備された快適トレイルが続く
水場・トイレ 登山口山中に水場・トイレ無い
その他 白峰南嶺と身延山地の分岐の山
山行記


八紘嶺山頂

 
富士見台からの富士山・七面山方面

梅ヶ島温泉から先、安倍峠に続く林道は冬季閉鎖中であった。林道ゲートの50mほど手前の八紘嶺登山口の路肩に駐車して登山道に入る。登山道は檜の美林の中に良く整備されていて快適である。間伐展示林としてヒノキ林も素晴らしい。1時間ほどで林道に出た。安倍峠のへの分岐であり、本来ならばここまで車で入れるようで登山ポストもあった。林道から上は雑木林の中少々急登になって富士見台に続いていた。尾根の一角富士見台からは富士山が見えるが雲がかかって山頂が雲の中に溶け込んでいた。
富士見台からは様相ががらりと変わって急坂の中トラバースを繰り返したり岩場のロープを頼りに急登を登ってゆく。それほど長い距離ではなく前衛の高みに着くとアップダウンを繰り返しながら八紘嶺山頂に向かってゆく。右側には樹林の間に七面山が見えるが山頂に着くまで撮影ポイントはなかった。
八紘嶺2000mを切る山頂ではあるが南アルプスが農取岳〜高度を落とす白峰南嶺の末端にあり身延山地との分岐の山である。山頂で一息いれていると寒さで震えが来た。昼食休憩ももままならずフリースを着込んで山頂を後にした。


梅ヶ島温泉登山口・林道安倍峠分岐

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