穂高の秘境

北穂池 キタホイケ 標 高 2479m 穂高の秘境 山 域 穂高連峰
登 山 記 録
登山月日 2016年8月25日〜27日
登山経路 第1日目
上高地B・T14:00〜明神14:50〜徳沢15:40〜横尾16:40
第2日目
横尾4:35〜本谷橋5:40〜二俣7:45/8:00〜北穂の滝9:00〜大キレットカール9:40/10:05〜北穂池11:10/12:05〜左俣・「北穂の滝」上部13:00〜二俣14:10〜本谷橋15:40〜横尾16:40
第3日目
横尾7:30〜徳沢8:25/8:30〜明神9:20/9:30〜上高地B・C10:15
行動時間 横尾〜北穂池往復 登り 6時間25分 下り 4時間35分 合計 12時間 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候 1日目 晴 2日目 晴 3日目霧雨
メンバー 単独
情   報
アクセス 沢渡バスターミナルは国際観光地の趣
トレイル 上高地〜横尾〜本谷橋は人気の穂高岳登山道
本谷橋から横尾本谷〜二俣までは徒渉を繰り返しながら川岸を歩く
二俣〜左俣〜カールまでは途中から涸れ沢になる
カールから北穂池はナナカマドなどの灌木と草付の中藪を漕ぐ
水場・トイレ 最終水場は左俣の左岸側に小沢が合わさる 北穂池の水は天水のたまり水?
その他 タフなコースだがその分満足感が大きい



横尾吊橋・本谷橋


涸沢合流点で南岳から派生の尾根が見える・二俣から「屏風ノ頭」来し方の横尾谷をみる


 左俣← 二俣 →右俣


左俣・雪渓


北穂の滝


左俣下流側・左俣上流側


大キレットカール・南岳岩峰


北穂高岳方面・常念岳〜蝶ヶ岳

山行記

穂高の秘境巡り第三弾である。奥又白池・ひょうたん池は曲がりなりにも登山道が延びているが、ここ北穂池には登山道がなく横尾本谷から左俣を詰めるか、大キレットの縦走路から下るか、北穂高岳東稜(ゴジラの頭付近)を越えてくるか、いずれにしても道なき道を歩いて藪漕ぎ覚悟でなければ辿り着けない秘境中の秘境である。横尾をベースに横尾本谷左俣を大キレット下部に広がるカールに詰めて藪を漕いで北穂高岳カールの先端の北穂池の台地を目指した。

第一日目は上高地から横尾まで歩いて横尾野営場にテントを張った。
翌日は夜明け前の4時半過ぎにサブザックを担いで横尾の吊り橋を渡った。夜明け前の屏風岩が黒々と聳えている中、headlampを点けて涸沢への登山道を行く。5時過ぎには明るくなってheadlampを消しても歩けるようになり、前方に穂高岳が朝日を浴びて赤く輝き始めた。本谷橋までは1時間ほどの行程である。本谷橋から横尾谷に入り、登山道からは見えない場所で朝食を摂った。朝食後は横尾本谷の左岸側を行く、今年は少雪・少雨で横本谷の水量が極端に少なく川岸の草地に入ることなく川原歩きが続けられた。一か所だけ草地に入ったがここはしっかり踏み跡があって残地ロープもあって安心して歩けた。涸沢合流点の少し手前で飛び石伝いに右岸側に移り、流木の川原を行く。涸沢は文字通り水流の無い涸れ沢であった。横尾谷ここから大きく右に曲がっていて前方に南岳から派生する尾根が見えてきた。振り返ると屏風の頭が被さるように聳えている。
ここで飛び石伝いに左岸側に移ったが、ここから二俣までは右岸側を行くのが正解であった。(下山時は右岸側を歩いた)左岸側に正規ルートがあるものと思ったが、川原を歩くと何度か大岩に阻まれて川岸の草地の藪漕ぎを余儀なくされた。二俣には本谷橋から2時間ほどで着き予定通りのコースタイムで歩けた。ここも飛び石伝いで左俣(右岸)に移ることができた。横尾本谷右俣からの水量が多い。二俣でも一息入れた。
左俣は当初右岸を行くがすぐに大岩に阻まれて左岸に移るが水量も少なく徒渉と云うほどのこともなかった。左岸に流れ下る小沢があってここが最後の水場で、1リットルほど水を補給した。この先、左俣は涸れ沢になっていて水の流れた巨石の中を登って行く。カールから流れ出したモレーンを歩くとガラガラと音がして崩れ足下がおぼつかないのである。やがて標高2300m付近まで来ると雪渓が現れたが、雪渓の残骸と云う感じで中央部分は溶け落ちていた。そして雪渓のすぐ上流に北穂の滝が流れ下っていた。随分と細い滝でやはり今年は水が少ないことを実感した。
北穂の滝から100mほど」上流に左俣に大きく張り出し大岩があり、大岩の左側に小さな沢が合わさっていた。沢と云うよりはガリーである。ガリーを登れば北穂池台地への近道であることが分かるが、ここは左俣をカールまで登りあげることにした。カールまでは200〜300mほどであることが分かる。大岩を2か所乗り越えると眼前が開け大キレットの稜線が目に飛び込んできてカールに登り着いた。右側には南岳の岩峰が被さるように聳えている。左側には這松帯の先に北穂高岳の荒々しい岩壁が見える。登って来た左俣を振り返ると常念岳から蝶ヶ岳の稜線が高く聳えている。まさに穂高・槍連峰の核心部にいることが実感できて感動である。
カールを少し登って景色に酔いしれる。目指す北穂池のある台地も下方に見えて一安心だ。
カールで一息入れた後は、北穂高岳側の草付とモレーンの境界を標高2600m付近まで登りあげ、灌木帯に張り出した岩壁の基部を目指してやおらナナカマドなどの小灌木帯に突っ込んだ。暫し藪を漕ぐとガリーにて下方を見ると草付が広がっている。草につかまりながらガリーを横切って再び藪を漕いで岩壁の基部に取り付く。岩壁の基部は思い通り狭いながらもバンドになっていて人の歩いた形跡があった。バンドを巻いて進むと岩壁の下にコバイケイソウなどの草付が広がっていて、ここにも最近歩いたばかりと思われる踏み跡があった。下方には北穂の池も近づいて見えれば問題はない。草付の中を灌木を避けながら下って行くと北穂高岳直下に広がるカールに出た。モレーンと草付境をカールの底に下って北穂池のある台地についた。最初に着いた池には水がなく水のある池を探して台地う行き来したが、台地の一番東にある大きな池にも水はなかった。最初に着いた池に戻っ昼食を摂り休憩した。
そして再び水のある池を探すと這松帯の奥に見つけることができた。
穂高の秘境「久恋の北穂池」にようやくたどり着き大感激である。
北穂池で一時間ほどゆっくりしたが、帰りの時間も考えると正午の下山は遅すぎるほどである。
北穂池から大キレットのカールまで戻るには来たルートを戻るのはの藪の中の登り返しになり、体力消耗も激しいので控えたいものだ。幸い北穂台地から大キレットのカールに戻るには水平方向に移動できそうである。北穂池台地から北穂カールの底を移動して草付に入ると草が踏まれた人の歩いた形跡があり、少し草付を歩いて灌木帯に入ると灌木の枝にナタ目や擦れた痕跡があって、人が歩いたことが分かった。20分ほど水平に延びた小枝を跨いだり潜ったりして格闘すると細いガリーに出た。「ここは下ったら最後は絶壁の上だ」と判断し、ガリーを少し登りかえして再び灌木帯に入る。さらに酷い状況の中藪を漕いで進む。ここも20分ほど格闘すると前よりは広い二つ目のガリーに出た。下方を見ると左俣を登って来た時に気付いた、「北穂の滝」の直ぐ上に出るガリーであることが分かった。しかし途中にどんな壁があるかは分からない。それほどの急坂でもないことが分かるのでこのガリーを下ることにした。何しろここから大キレットのカールまで移動するにはさらに酷い藪漕ぎが続くのである。浮石・石車に乗らないように慎重に下って行く。危険個所は無くはなかったが、何とか左俣の本流に下り着いた。大キレットカールからは200m位は下方に下ったので「これで正味1時間は短縮できた」とほくそ笑んだのである。北穂の滝を見ながら一息入れた

後は登って来た左俣を下るだけである。二俣にはガリーを下りきった場所から1時間で下り、休む間もなく横尾本谷の右岸を涸沢合流地点までも1時間で下って最後の休憩をした。右岸側は巨岩を巻くような場所はなかった。

涸沢合流地点から流木の川原を下って飛び石伝いに左岸に移ろうとしたときである。
足を滑らせて見事に転倒し下半身水中に没してしまった。腰から下はずぶ濡れである。「まあ見ている人がいなくてよかったな〜」と思いながら、本谷橋までは水に足を浸かりながら下った。
長時間の歩行で疲れがあって足が踏ん張れなかったのだろう。本谷橋まで20分の所であった。まさに「百里の道も九十九里を半分とせよ」の格言通りである。本谷橋までは登山靴のまま水の中をじゃぶじゃぶ歩いて下った。
左膝頭を強打していてズボンに血が滲んできたが、委細構わず横尾に下り吊り橋を渡ってテント場に向かうと、「遭対協の者ですがどうかしましたか」と若者二人が声かけてきた。「足を引きずりながら橋の取り付きの石段を下っていたので心配になった」そうで、私にはありがたかった。テントで着替えて遭対協の若者の待つベンチに行き傷口の応急手当てをしてもらった。

痛みはたいしたことは無かったので連泊の手続きをして、ビール2本を買ってテントに戻り、焼酎も飲んで粗末な夕食を摂った後は寝袋に潜り込んだ。疲労が大きく爆睡状態に陥った。

第三日目の朝は霧雨が舞っていた。軽く朝食を摂って晴れるのを待ったが、晴れる兆候もないので意を決して霧雨の中テントを撤収、パッキングを済ませ7時半に横尾を出た。昨日の膝頭打撲の痛みが出てピッチが上がらず抜かれるままに自分のペースで下った。徳沢・明神で休憩を挟みながら上高地には10時過ぎに着いた。ビジターセンターのベンチで着替えを済ませ、サッパリとして河童橋からバスターミナルに向かった。




北穂池のある台地が見える (カールの藪漕ぎ地点) 張り出した岩場の基部を目指す


北穂高岳カール・涸れた一ノ池


↑三ノ池↓



二ノ池・四ノ池

奥又白池 オクマタシロイケ 標 高 約2500m

山 域

穂高連峰

登 山 記 録
登山月日 2013年8月2日〜8月3日
登山経路

8月2日
沢渡12:40=バス=上高地13:20/14:00〜徳沢15:30
8月3日
徳沢5:40〜ロス20分〜新村橋6:15〜パノラマ新道分岐7:10/7:15〜奥又白池9:20/10:30〜新道分岐12:00〜徳沢13:00/13:40〜上高地15;10/15:30=バス=沢渡16:00

行動時間 第一日目(上高地から)2時間10分 第二日目(上高地まで)10時間20分
合計 12時間30分 (休憩時間を含む)
天  候 第一日目晴 第二日目晴
メンバー 単独

情  報

アクセス 沢渡のバスターミナルは新設された
トレイル パノラマ新道分岐からは急坂の奥又尾根を行くが、奥又白池までしっかりしたトレイルが続いている
水場・トイレ パノラマ新道分岐が最終水場 奥又白池の水は飲用不適(要煮沸)
トイレは徳沢が最後
その他 奥又白池はクライマーの領域だが一般登山者も問題なく入れる

山行記


奥又白池に姿を映す前穂高岳岩稜


周囲200mの天空の奥又白池


(左)新村橋を渡り梓川右岸道路へ
(右)「氷壁」のモデル、ザイル切断事件若山五郎氏の慰霊碑・荼毘に付された地点に立つ


樹林帯を抜けると前穂北尾根が見える・奥又尾根取り付き付近と松高ルンゼ


奥又尾根をひたすら攀じ登る・小潅木帯を抜けると北尾根が眼前に


汗を拭いながら振り返ると梓川の対岸に常念岳が・奥又尾根に取り付き2時間で奥又白池に着く

久しぶりの沢渡からの上高地入りである。沢渡には大きなバスターミナツが新設されていてびっくりする。国際山岳観光基地上高地の玄関には相応しい施設が出来たという事で納得である。
上高地のキャンプ場のベンチでラーメンを作って昼食とした。真夏の観光シーズンなのに愚図リきみの天候のせいかあまり人ではないようで静寂の梓川左岸道路をゆっくりと歩いた。喧騒の明神には立ち寄らずそのまま休憩なしで徳沢まで1時間30分ほど歩き続けた。徳沢のテント場も閑散としていて、その数10張りくらいであった。持参したビールとお酒を飲みながらゆっくりと寛ぐことが出来、夜もしっかりと睡眠が取れた。

キャンプ場の朝はいつも先発するものの支度で騒々しいものであるが、徳沢は芝生(草付き)のテン場のためか足音がしないので静かである。4時半頃から朝食の支度をするものが居たが私は5時に起きてコーヒーを沸かし昨日勝ってきたおにぎり等をを口に入れて朝食を取った。
5時40分には軽いザックを背負って徳沢出発した。5分ほど進み梓川の川原に出ると前穂高の岩稜に朝日が差す時間であった。カメラに収め工事用の橋を渡って右岸側に出るが有るはずの右岸道路に繋がっていない。あまり深入りしてはいけないと左岸側の登山道に戻った20分ほどのロスタイムである。
横尾に続く登山道を10分ほどで新村橋に着き吊り橋をわたって右岸に渡ると車が数台止まっていた。他県ナンバーも見られ林業か砂防工事かそして山小屋関係者の車と思う。右岸道路(車道)を10分ほどでパノラマ新道への登山口についたが入り口には「パノラマ新道は残雪のため通行不可」のプレートが下がりロープで進入規制されていた。しかしここにも数台の車が止まっているところを見ると涸沢の山小屋関係者の車と判断する。きっと涸沢への長い雪渓のトラバースはアイゼン装着して行っているのだろうと思う。上高地からここまで歩けば2時間近くは掛かるわけで山小屋関係者の気持ちも分かるというものだ。
ロープををくぐり涸沢に続く広い登山道に入る。以前は奥又白谷の砂防堰堤工事用に作られたと思われる広い道が続いていた。やがて樹林帯に入り本格的登山道になると、すぐ先に小さな慰霊碑がたっていた。昭和30年代初めに冬の前穂高東壁で起きたナイロンザイル切断事件の若山五郎さんの遭難慰霊碑であって、事故から半年後の夏発見された遺体がここで荼毘に付されたという慰霊の場所であった。井上靖の小説「氷壁」はこの事件をモチーフに書かれたという事を下山後知ることが出来た。慰霊碑に手を合わせダケカンバの樹林帯を行き樹林帯を抜けると奥又白谷の上部に前穂高北尾根が見えてきてゴーロ沢を少し進むとパノラマ新道と奥又白池への分岐になっていた。
奥又白池へのゴーロ沢を100mほど進むと左側に涸れた松高ルンゼがあり、奥又尾根への取り付き点である。踏み跡が薄くガスリ気味のときは分かりにくい場所であるが、尾根の取り付きの岩盤にはめ込まれた熊本登高会の遭難慰霊のレリーフが良い目印である。このレリーフにも2名の氏名が刻まれていた。やはりここは遭難の巣窟だったのだという事を思い知らされて緊張させら、ここでヘルメットをつけた。露岩の尾根に取り付くとすぐに小潅木帯に入り一気の急坂が続いていた。岩を掴み木の根に摑まりながら必死に高度を上げてゆき、やがて奥又尾根に着くと少しは傾斜も緩んでいた。しかし一つも気を許せることの出来ない急坂であることは間違いない。松高ルンゼを合わせる頃になると草地にフウロやニッコウキスゲが疲れを癒してくれる。再び小潅木帯に入り急坂を汗を滴らせながら攀じ登る。まだかまだかと思う頃潅木帯が開け草地になった。右上方には北尾根の岩稜が被さるように聳え、モレーンのカールには草花が咲き乱れていて絶景である。再び小潅木帯に入って少し進むと完全に森林限界を抜ける。大きく深呼吸し休憩を取った後草付を進むと、右に前穂高北尾根岩稜の五・六のコルを経由して涸沢に至る、登山道が分かれていた。少し涸沢への道に入りかけたがすぐに戻って、ベニバナイチゴなどが群生する細い道を登りきると台地上に立つと小さな池が目に飛び込んできた。標高2500m地点にある周囲200mほどの小さな奥又白池である。
池の畔はテント場になっていて二張りのテントが張られていた。前穂高北尾根や東壁などを攀じるクライマーの基地である。一般登山者はあまり足を運ぶものもなく静寂を保つ穂高に残された秘境でもある。テントの主はクライミングに出かけたのか声をかけても返事がなかった。池の畔を散策した後、巨石に腰を下ろして岩稜を眺めながら軽食を取る。しばらくするとテントの主が3人で戻ってきた。「北尾根を前穂高まで登ろうと五・六のコルまで出かけたが涸沢への登山道は崩壊が激しくコルまで行くことが出来なかったので引き返してきた」と残念そうである。私には出来ないことに挑戦しているクライマーがまぶしく映ったのである。1時間以上休憩しテントを撤収するクライマーに声かけて下山に掛かる。潅木帯に入ると2名のパーテイが奥又白池目指して登ってきた。そしてその後も後続が続々と詰め掛けていたが殆どがクライマーのようであった。松高ルンゼ分岐に来るとルンゼを登ってきたものの後が見えて驚きであった。パノラマ新道分岐で奥又白谷の冷たい水で喉を潤した後、梓川河畔にくだり、新村橋を渡って徳沢園に下山した。

テントの脇で昼食を取り、テントを撤収し昨日とは打って変わった喧騒の登山道を上高地に下った。上高地ではバスを待つこともなく沢渡行きに乗り込むことが出来た。

 


長七の頭 チョウシチノカシラ 標 高 2320m 秘境 山 域  穂高連峰
ひょうたん池   標 高 約2300m 秘境 山 域  穂高連峰
登 山 記 録
登山月日  2014年8月6日
登山経路 河童橋9:10〜明神9:45/10:00〜下宮川谷〜ひょうたん池12:40〜長七の頭13:00〜池13:15/13:35〜明神15:10〜小梨平16:10
行動時間  小梨平〜長七の頭 登り 3時間50分 下り 2時間35分 合計 7時間 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候  曇
メンバー  単独
情   報
アクセス  上高地まで問題なし
トレイル  明神から先信大研究所棟から先は整備されてはいないがペンキマークを追う 下宮川谷に入る前注意
水場・トイレ  明神の休憩所で水・トイレある
その他  明神岳東稜へのアクセスを行く
山行記


ひょうたん池と長七の頭


明神橋から長七の頭を見る・信大研究所棟から登山道に入る


樹林帯を行き・涸れ沢を横切る


下宮川谷の草付きから・長七の頭はもうすぐ


岩壁にある3枚の慰霊レリーフを見て・上宮川谷を登ってひょうたん池直下

昨年の奥又白池に続いての穂高の秘境池めぐりである。
小梨平に入りテントを張った後、サブザック担いで梓川左岸の遊歩道を明神に向かう。明神でトイレを済ませ飲料水を補給して明神橋を渡る。橋の袂からは目指す「長七の頭」が特定できるが、標高差は800mほどでありそれほど遠くには感じない。明神橋を右岸にわたり作業道を100mほど上流に進むと信州大学の山岳研究所が見える。以前は魚の養殖の研究所にもなっていたらしく敷地には養殖池が見られた。研究所棟の奥に「←ひょうたん池」の標識があって丸木橋を2ケ所渡ると笹原の中に登山道が延びていた。しばらくはコメツガやブナ林の中を進み、涸れ沢の縁に出て高度を上げると宮川谷に続く小さな沢に赤ペンキで導かれていた。こちらも枯れた沢で適度にペンキマークもあって安心して歩くことができる。しばらく進むと先行していた単独の女性が「ひょうたん池までの道が分からなくなってしまった」と下ってきた。「一緒に行こう」と誘ったが一旦切れた熱ははなかなか戻るものではない。首を振りながら下って行った。
小沢が広がり開けてくれば下宮川谷の草付きとなるが、ゴーロの沢を横断する場所を見落として岩壁の下部まで進み、右に「長七の頭」が見えてくると沢を渡って草付きに出た。正規横断ケ所からは200m位は登ったであろうかと思う。同じような間違いをする者がいるようで踏み跡もこのあたりまで続いていた。先ほど下って行った女性もこの辺まで来たのだろうかと思う。
草付きに出て周囲を見渡すと下方に「ひょうたん池」から下ってきたと思われる登山者が見えて道迷いしたことが分かったが慌てることはなかった。お花畑が広がる草付きをトラバースして正規登山道に戻った。登山道は一旦下って背丈ほどもある草の中を進み雨露で着衣がびしょ濡れになったが、明神岳東稜の岩壁の基部に着くと3枚の慰霊レリーフが埋め込まれていた。「滑落死したのだろうか」と想像しながらレリーフに手を合わせた。上宮川谷にに入ると草付きと岩歴が交互する登山道で歩きづらい。目の前にひょうたん池のある鞍部が見える。最後はひょうたん池からちょろちょろと水流れる掘割を進みダケカンバの大木を超えるとひょうたん池がひょっこりとあらわれた。ひょうたん池をカメラに収めた後、10mほど先の鞍部に着き休む間もなく、長七の頭目指して藪に突っ込んだ。ここは踏み跡も赤布もない藪の中であったが人間の考えることは同じで左側が切れ落ちた縁を進んで巨石の長七の頭にタッチすることが出来た。長七の頭をカメラに収めた後、藪の中を鞍部に戻った。
鞍部からは奥又白池のある茶臼の頭がすぐそこに見えて、明神岳東稜に続く薄い踏み跡も見えた。昼食をとりながら20分ほど休憩し往路を花を見ながら下って明神に戻り、右岸遊歩道を河童橋に戻った。河童橋に着く寸前に霧雨となったが濡れるほどでもなかったのは幸いであった。


小さなひょうたん池・藪漕ぎ20分で長七の頭


茶臼の頭・上宮川谷源頭部


宮川谷はお花畑である

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