男鹿山塊の山
(大佐飛山・日留賀岳・男鹿岳)

大佐飛山  オオサビヤマ  標 高 1908m 山岳標高1003

山 域

 那須日光

大長山 ダイチョウヤマ 標 高 1866m 山 域
黒滝山 クロタキヤマ 標 高 1764m 山 域
山藤山 ヤマフジヤマ 標 高 1586m 山 域
三石山 ミツイシヤマ 標 高 1257m 山 域
登 山 記 録
登山月日 2016年3月22日
登山経路

巻川林道黒滝山登山口5:55〜三石山6:50/7:00〜サル山〜山藤山8:30〜黒滝山9:20/9:35〜(ロス約0:10)〜西村山10:15〜大長山11:15〜大佐飛山12:20/12:45〜大長山13:40〜黒滝山14:55/15:00〜山藤山15:40〜三石山16:50〜林道登山口17:35

行動時間   登り 6時間25分 下り 4時間50分 合計 11時間40分 (休憩時間を含む)
天  候  晴
メンバー  単独

情  報

アクセス  板室温泉百村の光徳寺付近から巻川林道に入り、舗装された林道約6キロ走る
トレイル  黒滝山まで夏道あるがこの時期ほとんど雪道 黒滝山から先は雪廊を赤布踏み跡を追う
水場・トイレ  登山口にもトイレ水場はない
その他  大佐飛山は「栃木で一番遠い山」として残雪期限定の山
山行記



巻川林道「黒滝山登山口」・最初の峰三石山


山藤山・黒滝山


前日板室温泉百村からの巻川林道を6キロ走り黒滝山新登山口を確認した。
5時半過ぎに登山口に車を付けると3台の車が止まっていて1台の単独行者が支度をしているところであった。今日は絶好の好天が予想され、彼岸の連休明けの平日にもかかわらず、数名の登山者がいるようで、栃木百名山の一座で残雪期限定の大佐飛山の人気の高さがうかがえるのである。単独行者は念のためテントを担いでゆくというが私はツェルトは入れたが、完全日帰り装備でなるべく荷物を軽くしたザックを担いで登山口に入った。単独行氏もすぐ後に続き、この先大佐飛山山頂往復を就かず離れずの行動となったのは心強かった。
登山道は雑木林をジグザグ切って登りスギの植林地を登りきると、稜線に出て百村山方面からの旧道が合わさっていた。巻川林道途中から新登山道が開かれた今、歩く人も少なくなったであろうと思う。登山道は稜線を緩く登って行き、少し急登を凌げば最初のピーク三石山であった。ここまで約1時間の行程で、私は腰を下ろして朝食休憩を摂った。三石山から先は残雪が現れるが夏道が現れたりしてアイゼンを付けることもない。再び急傾斜の登山道を登りあげるとサル山で、樹木に山名標識が下がっていた。サル山山頂からは平たんな道が続き最後は「那須見台」と云う、那須岳方面の展望地に着いた。ここでも一息入れた後本格的な雪道の急坂を登りきり山藤山である。シラビソの大木に山名標識がついているが随分と高い場所にあり、今年の残雪量の少なさを実感させられると云うものである。山藤山には「黒滝山まで1キロ」の標識があった。黒滝山への登山道はこのコース一番の急登が続きトラロープが下がっていた。幸い残雪上にステップが切ってあるのでそれを利用しながら登って行く。黒滝山山頂稜線に着くと雪の廊下が続いていて山頂に達した。単独行氏とはほとんど同時の到着で、軽食を取りながら15分ほど休憩した。

 
西村山からは雪の回廊が続く


大長山・大佐飛山が見えてきた


右に那須岳見ながら天空の雪の大回廊を行く


例年より大部積雪量が少ない大佐飛山山頂

黒滝山までは夏道があるので雪で登山道が隠されてもそれなりに歩けるが、黒滝山から先は道のない山である。早速黒滝山からすぐ先で千路に乱れたトレースに惑わされて道を失い、黒滝山山頂に戻り、10分ほどのロスタイムであった。よく見るとしっかりと赤布も下がり心配することのないトレースが先に続いていた。黒滝山から30分ほどで西村山に着いた。ここから先は大佐飛山に続く尾根を歩くことになり、雪の廊下が続いていることを祈るばかりである。小さなアップダウンを重ねながら雪の廊下を進む、雪解けが進んで、ところどころ藪も現れるが足を引っ張るほどのこともない。シラビソ林に変わった樹林帯を歩いて西村山から1時間で大長山山頂に着いた。これで6峰目であるが大佐飛山までもうわずかな距離で一安心だ。大佐飛山を少し進むとこの登山道の売りとなっている、「天空の雪の大回廊」が続いていて、ようやく目の前に大佐飛山が見えてきた。いくつかの残雪の登山をしているのでそれほどの感激はないが、確かに素晴らしい雪の縦走路の先の大佐飛山に胸が高鳴るのであった。この辺りで先行していた2組3人(同世代の単独行と夫婦登山者)と交差した。人間それほど脚力に差はないと思うので夜明け前に出た登山者だと思う。さらに進んで大佐飛山が目の前になると昨夜西村山付近でテント泊した若者が佇んでいた。
雪の大回廊を歩いて最後は疎林の大佐飛山山頂稜線に着くが、これが意外と長くまだかまだかと思いながらもがいて、登山口からは6時間以上もかかって難関大佐飛山山頂に登り着いたのである。ここもまたテントを担いだ単独行者とほとんど同時到着であった。ダケカンバの幹に取り付けられた山頂標識が3mほども高いところにあって、今年の雪の少なさを実感した。ダケカンバ林の山頂は展望がほとんどなく残念であるが、これで栃木百名山を達成したという単独行氏が付近の山座を教えてくれた。20分の昼食休憩もそこそこ長い長い帰路に就く。必死に登ってきたので往路ではあまり写真も撮れなかったが、復路は那須岳などの展望をじっくりと楽しみながら下った。
登りに2時間半かかった黒滝山までの帰路は2時間少々で午後3時前について、明るいうちの下山を確認できたので胸をなでおろした。黒滝山で水分補給の後、急坂の雪道を山藤山に下り、途中でアイゼンを外したが少々早すぎたようで雪道を慎重に下った。サル山からの下りもまだ残雪のトレイルであった。朝休んだ三石山には17時前に下り、百村山への稜線分岐からスギ林を下り林道登山口には17時30分過ぎに下ることが出来た。幕営装備の単独行氏とは結局下山も同時刻であった。後ろについてくれていたことを感謝して登山口を後にした。


日留賀岳 ヒルガタケ 標 高 1849m 関東百名山

山 域

男鹿山塊
登 山 記 録
登山月日 2007年10月19日
登山経路 塩原・白戸(小山氏宅)5:50〜林道終点6:50/7:00〜鳥居8:30〜山頂9:50/10:05〜鳥居10:55〜林道終点11:55〜小山氏宅12:35
行動時間 登り 4時間 下り 2時間30分 合計 6時間45分(休憩時間を含む)
天  候 霧雨
メンバー 単独

情  報

アクセス 小山氏宅まで舗装道路
トレイル ブナ・ミズナラなどの雑木林の中、緩い登山道が続く 山頂付近はやや薮が煩い
水場・トイレ 小山氏宅で
その他 山頂は霧の中で展望得られず(晴れれば素晴らしい展望のようだ)

山行記


山頂の三角点と日留賀岳神社の石祠


登山口の小山氏宅とブナ林の中の登山道

日留賀岳の登山口は塩原温泉から木の葉化石公園の先にある。化石公園を過ぎると案内看板があるので間違えることはなかったが登山口の小山氏宅にはまだ夜明け前に着いてしまう。少し手前で車を止めて登山の支度と軽い朝食をとりながら夜明けを待つ。明るくなるのを待って小山私宅に車を着け、漬物作業をしている家人に登山することを告げると、車は家の横の駐車場につけるように言われた。駐車場には8台くらいの駐車スペースがあった。
小山氏宅の後ろに登山口が延びていた。薄暗い樹林帯の中黙々と登る。ヒノキの造林地を30分ほど登ると大きな送電鉄塔に出る。そしてその先に林道が延びていた。林道を20分ほど歩くと終点となり日留賀岳への登山道が左側の樹林の中に続いていた。
ゆるく単調な登山道をただひたすら歩く。最初の目標地点は鳥居である。色づいたミズナラやブナの若木の中の道は、晴れていたり連れがあれば楽しい登山道であるが、霧の中の単独行では先を急ぐしかないのである。
林道終点から山頂までの中間点と思われる鳥居には林道終点から予定通り1時間半で到着した。先も読めてここで少し休憩する。そして又雑木林の中の登山道を登り続ける。潅木に変わる頃になると登山道に笹が被り煩わしくなる。少しだが霧雨も舞い始め濡れた笹の露で靴とズボンは見る見る間にびしょ濡れとなる。しかし委細かまわず突破する。最後は傾斜をました登山道を僅かにあえぐと山頂稜線に到着した。稜線を少し歩いて日留賀嶽神社の石祠の立つ山頂に着いた。
山頂は霧の中で展望はない。しかし私には記念すべき関東百名山完登の峰である。霧の向こうの男鹿岳に向かって大きな声で万歳三唱をする。その声はこだまとなって男鹿山塊の山々に響き渡るのであった。
山頂で登頂メールを送った後、下りには程よい登山道を走るように下った。そして林道に下る頃には雨も落ちてきたが雨傘差して登山口に戻ったのである。

 


山 名 男鹿岳 オジカダケ 標 高 1777m 山 域 男鹿山塊・南会津


男鹿岳山頂付近と山頂標識の立木

登山月日 2003年10月15日
登山経路 会津田島町栗生沢〜男鹿沢6:10〜男鹿峠登山口6:45/7:45〜小ピーク10:30〜男鹿山頂11:30/12:00〜小ピーク13:00〜登山口15:10〜男鹿沢15:50
行動時間 男鹿峠から 登り3時間45分 下り3時間10分
天  候
メンバー 単独

情  報

アクセス 福島県会津田島町栗生沢から栃木県黒磯市に抜ける林道を約10キロ走り男鹿峠登山口へ
林道は深い谷間を縫うが比較的整備されている
トレイル 山頂まで薮漕ぎに次ぐ薮漕ぎ 目印テープを見落とさぬこと
水場 男鹿峠まで途中の沢水、男鹿峠から先にはない
トイレ 田島町栗生沢から先にはない
その他  

会津田島町から栃木県黒磯市に抜ける道路を計画したのはいつのことなのだろうか。田島の中心街から栗生沢に走る道路には「田島・黒磯線」の看板が掲げられている。
栗生沢の集落を抜けると山道となり、雨降る夜間の通行は落石の危険もあり、非常に危険であるが委細かまわず進入する。途中には「県境に栃木県が立てたゲートがあります」と書かれた看板も見える。
冷や冷やしながら約10キロ程入った、通行止め看板のあるオーガ沢の手前に駐車して車中で休む。
一晩中降り続く雨に明日は大丈夫だろうかという不安がつきまとうが、幸い山中でもラジオがよく聞けて、明日早朝には回復して急速に晴れ間が広がるだろうと言う天気予報で一安心だ。

外が明るくなってきても雨はいっこうにやまない、然し雨がやむのを待っているわけにも行かないので、通行止め看板を無視して車を進める。ゆっくりゆっくり落石に注意しながら進めるが障害物は何もない。10分ほど走ると男鹿沢に架かる橋を通過する。さすがにこの先何があるのかと不安になり、Uターン可能なそして落石の心配のない白糸橋の先に車を止める。
雨の降る中、身支度を始めるが出発間際には小降りとなってきた。それでも傘を差して林道を歩き始める。何処に崩落地があるのだろうかと心配しながら30分ほど歩くと広い駐車スペースのある男鹿峠?に到着して拍子抜けする。ここが栃木・福島の県境であることが分かると「なんだ、ここまで車が入れたのか」と少しがっかりするのであった。雨も完全に上がって、まずは一安心である。ここで朝食をとる。
赤いテープのつけられた登山道入口とおぼしき道に入るが100mもしない内に先が見えないくらいの笹藪となり、まずは1回目は退却する。更に気を取り直して同じ道を進むがこれも先を阻まれて退散だ。「駄目かなー」と、ため息を付きながら県境を栃木県側に少し下り、山全体の様子を伺うが、まだガスがかかっていて山の全容がつかめない。「これで駄目なら退散して、来春残雪の頃再挑戦しよう」と思いながら3回目のトライ。
2回目と同じ道を強引に進むがテープも見あたらないし、踏み後なども見えない、しばし藪の中で思案する。「尾根に道が付いているかもしれない」と思い、藪をかき分けて20mほど尾根に駆け上ると案の定赤いテープを発見する。ここに出るまで3回目、時間にして30分以上のロスをしたのであるが、まずは満足して赤いテープを見落とさないように藪こぎを始める。緩やかな尾根道であるのが幸いして、それ程の苦労もなく歩を進める。然し一度として藪をかき分けなくて良いところがない笹の藪こぎである。持ってきた杖が邪魔になるが捨てるわけにも行かない。
昨夜の雨でたっぷりと水を含んだ笹藪で、雨着をつけているとはいえ、見る見る間にびしょ濡れとなり、更に汗が吹き出して全身ずぶ濡れ状態になる。何処まで進んでも変わらぬ笹藪であるが、9時過ぎ頃にはようやく薄日が差し始め、谷を隔てた山を見ながら高度を上げていることが確認できる。30分おきくらいに休憩し肩で大きく深呼吸する。そして又薮の中に突進する。時には薮をかき分けるのでなく薮の中に潜り込んで進むこともしなければならない。更に時々赤テープを見落として行きつ戻りつを繰り返す。
峠から3時間も過ぎただろうか、ようやく行く手に山頂らしきを感じて気合いが乗ってきた。10時半過ぎにようやく山頂に立ったと思いきや、その先にもう一つ高い峰が聳えているのであった。がっくりとくるが、ここで引き返すわけにも行かない。
小休止を夾で、10分程藪の中を下る。そこから先はもう赤いテープの目印も見あたらなくなって、先に見える山頂を目指す。なるべくまだらになった笹藪を進もうとするのだが、疲労もたまってきて、相変わらずのスローな前進だ。小ピークから1時間かけてようやく、「ここより高いところはないから、山頂に間違いないだろう」と言う場所に立つことが出来た。
然し山頂標識がない。三角点も見あたらない。一箇所、藪を切り開いた跡にテント場らしき裸地が有り、EPIガスが土にめり込んで放置されていた。更に辺りを徘徊して山頂標識を探す。樹上にも目をやるがそれらしき物は何もない。「もしかして私は山を間違えてしまったのかもしれない」と不安になる。それでもこの鬱蒼とした奥深い山に笹藪かき分け、4時間かけて登ったのだから、「男鹿岳に登ったと報告しても良いだろう」と開き直りの気分になりながら休憩する。そして山頂付近の写真を撮りまくる。下山に掛かる前にもう一度辺りを徘徊する。テント場跡脇のシラビソの立木に赤いペンキでしるされた物をよく見ると「オジカ岳」とナイフで彫られているのを発見する。「やったー、ここが矢張り男鹿岳山頂だ、万歳!!」と大きな声を上げる。ようやく苦労が報われた思いに身震いするほどの感激である。
遠くから眺めるとなんの変哲もない山頂であるがこの山頂に立つまでのことを考えると、私の今までの山行歴にはない難しい山を登ったことになるのだ。時間も丁度良い正午であった。昼食をとりながら30分ほど休憩する。ゆっくり下ってもまだ日が高い時間には峠まで下りられると思うと安心だ。藪の中にテープを見落とさないように下山に掛かる。
然し10分もしない内にテープを見落として、沢に下ってしまい、あわてて薮の中をトラバースするが、もう何処がどこだか分からなくなり、大慌てする。沢に戻って元の位置に登り換えして赤いテープを再発見する。気を取り直して慎重に下る。下りは薮をかき分けることも少ないので、登りよりは随分と楽である。登りと同じ1時間掛かって、何とか小ピークに戻る。後はもう先も読めるのでとにかく赤テープと尾根を外さないことだけを肝に銘じて、ぐんぐん下る。快調に下り掛けたのもしばらくの間であって、またまたテープを見落としてしまう。
樹林の中で尾根も判然としない。どうやら一つ尾根を外して、となりの山に向かっていることに気が付く。「左に大きくトラバースしなければ」と思い、藪の中を巻き始める。横歩きは更に厳しく体力が消耗し、少しずつ下降するのは仕方ないのである。小さな沢の上部に掛かり、下を見ると林道のような物を見て勘違いする。「そうか右に間違えたのではなく、左に間違えたのだ。この沢を下れば林道にまっすぐ下りられるのだ」と更に勘違いをして沢を下り始める。薮の中しっかりと離さずに持ってきた愛用のステッキはここで紛失する。戻ればすぐに探せるのは分かるがとてもその気にはなれない。岩場の沢を滑り落ちないように慎重に下り付くとそこは滝壺のような行き止まりの場所であった。林道など見あたらない、さっき見たのはなんなのだろうかと心臓は漠々と音を立てている。

進退窮まれり、「ここにカモシカ永井一巻の終わりを迎えるか」とがっくりとくる。

「まーここは落ち着いて」とザックを開いて栄養補給と一人思案。回りを良く眺めると左側に延びる尾根が見える。「とにかくあそこまで上がってみなければ」と思い渾身の力を振り絞って薮をかき分けるのであった。無我夢中の30分位であっただろうか、笹藪の尾根道に付くと赤いテープが目の前にあって小躍りする。ようやく生きた心地になって肩で大きく深呼吸。「あー良かった」。
後はもう、それこそ慎重に尾根を外さないように峠に下り、15時過ぎに峠に降り立つことが出来たのである。びしょ濡れになりながら泣き声も出そうな顔で林道を下った。難しい山をやり遂げたという思いよりも、良くこうして車のある場所まで帰ることが出来た安堵感が先に立つのであった。
下着も全部着替えて、真っ赤に染まる山々に感動し、何回かカメラに収めながら長い長い林道を栗生沢迄下ったのである。
そこから更に4時間半かけて六十里越をし、十日町、飯山と走って長野までノンストップで帰り、心配していた女房殿には何事もなかったような顔をして報告するのであった。

 

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