山行記
R47を会津方面に走っていると阿賀町・旧三川村に「日本平山登山口」の大きな看板を目にする。
看板に導かれて農道を進むと小さな公園があった。ひなびた田園風景の中に旅人の憩いの公園などを設けているところがいかにも新潟県らしい、肌理細やかなサービス精神を見ることが出来る。車を停めて一休み。トイレもきれいな清掃も行き届いた水洗トイレであった。ここで車中泊をとることにする。車中でビールや酒を飲み、寛いでいると睡魔が押し寄せて一気に爆睡状態となるのであった。
翌朝、夜明けを待って日本平山中山登山口に向かう。登山口までの道路は舗装道路で少しも問題なかった。大きな駐車場には2台の車が停めてあってどうやら先行者がいるようで、少し安心して登山道に入る。(途中まで先行の踏み後あったが山頂には続いていなかった)見晴らし台を過ぎると杉林になり、緩い登山道が続いていている。前方に見える雑木林が展望を塞ぎ目標の日本平山はここでは見ることが出来ない。右側には雪を被った山頂が見えるがこれはマンダロク山とユキツバキで有名な日倉山である。ダラダラと緩く登る登山道にはアップダウンもあって、結構歩き甲斐がある。登山口から1時間以上歩いて、雑木林の大村杉(人分山)への登りとなる。ここは100m位は一気の登りとなる。ここまで2時間もかかってしまった。展望台に廻って少し休憩する。
人分山からは一旦大きく鞍部に下る。短縮口の谷沢からのルートが合流していたが標識には廃道となっていた。日本平山への登山はこの鞍部を過ぎてからが核心部であった。鞍部を過ぎると山腹を巻くようになり残雪が現れる。当初は夏道も見えていたのだが、やがて雑木林の中、完全に残雪の中に入る。赤布を追いながら樹林の中を進む。それも余りはっきりとはしない。急坂に来ると赤布も消えて藪の中に夏道を拾いながらになる。何回か同じ様な状況を克服して山頂目指して進む。やがて残雪に覆われた大池と思しき池を左に見るようになる。大池からは稜線まではしっかりと赤布もあって安心して稜線に登りつくことが出来た。(稜線上は日倉山からの登山道が合流しているのだが今日はとても無理である)
稜線から遥かなる日本平山頂を望む
ここでやっと日本平山頂が特定できるようになるが、真っ白な稜線の先に見えるその山頂は、遥か彼方に見える。もう歩き始めめて4時間近くなり疲労も大きい。「これからあの山頂踏むのは厳しいなー」と思いながら思案する。途中まであったトレースもここまでは延びていなかった。どこに消えたのだろうか。しかし雪崩などの危険を感じることのない緩やかな雪の峰であることを確認すると前に進むしかなかった。
何しろこの山は昨年11月紅葉の早出川ダムから山頂目指したが沢の増水で徒渉ができなくて、登頂を諦めた苦い思いがある。二度も山頂を逃すことは屈辱的である。誰もいない雪の峰を黙々と進む。疲れているとはいえ、時間はまだまだ十分ある。滑落だけには注意を払いながら登山口から5時間近く掛かって漸く一等三角点本点の日本平山頂に立った。
山頂直下には私より先に今日ここに立った登山者のトレースがしっかりと残っていた。どこから登ったのだろうか少し後を追ってみると早出川ダムからのものだった。早出川ダムコースはこの時期雪崩の危険もあり「よく登ってきたなー」と感心する。山頂に立つころは曇り空になり、遠くの山々を見渡すことが出来なかったが五剣谷岳など早出川を囲む山々は良く見える。しかし私には山座同定は出来ない。まだまだ下田・川内山塊の山には疎いのである。山頂には30センチほどの雪が残り、一等三角点標石も埋もれていたが、ステッキと手で簡単に掘り出すことが出来た。三角点脇には「無事帰る」という縁起物のカエルの石祠があった。ろくに食事も取らずに登って疲労困憊であったがここで昼食休憩を取る。1081mとさして高くもない山ではあるが、越後の山の奥深さを思い知らされ、それを克服したのであるから少しは誇らしい気分になる。
(左)一等三角点とカエルの石祠 (中)山頂付近 (右)上ってきた雪の峰を振り返る
下山も滑落に注意を払い、慎重に稜線を戻る。大池を過ぎて残雪の雑木林では何回もルートを見失う。その都度行きつ戻りつを繰り返す。更にガスも出始めて一瞬ホワイトアウト状態になり焦りを覚える。しかしここは晴れるのを待って道を探し夏道に入り、鞍部に下る。疲れた体に人分山への登り返しは厳しいものがあったが、何とかしのぐ。更に急坂を転がり落ちるように下り、ダラダラ坂をゆっくりと歩いて、登山口には山頂から4時間、朝ここを出てから9時間後の帰還となったのである。
半日登山の山と高をくくって登り始めた山ではあるがよい学習と思いで深い山となった。
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