大阪マラソン2011敢走の記録

 

マラソン当日の30日の天気予報は午後から雨が予想されています。
夜明け前の5時頃には、小糠雨が舞って、ペーブメントを濡らし怪しい気分にさせられます。

とある電車に乗るために駅に向かう途中、吉野家で納豆・生卵つきの朝定食で腹ごしらえをしました。

スタート地点の大阪城公園には7時過ぎには着き、ジャージを脱いで軽くストレッチで体をほぐします。



生理現象もしっかりと済ませ、スタート地点に移動です。
老若男女、皆さん入れ込んでいます。

中にはこんなコスプレで走る若者もいます。ユーモア溢れる若者に拍手喝さいです。

 


紅葉に映える大阪城天守閣も暖かく迎えてくれ激励してくれます。

スタート地点に来ました。大阪城のお堀も曇り空にくすんでいます。

招待選手の紹介に大きな拍手と歓声が轟きます。
3万人のランナーで高齢者も沢山いるのでしょうが周りは圧倒的の若者が多いです。
こんな若者達と感動を共有できるとは嬉しい限りです。
ランニングキャップが飛ばされてハゲ頭が露出しないように気をつけなければと思いました。


<スタート〜10キロまで>


9時丁度、号砲鳴ってスタートです。
Hブロックに並んだ私たちは11’25”掛かって、大阪府庁前のスタートラインを踏みました。
大阪府警のブラスバンドが勢いよく見送ってくれます。
いよいよ長い長い42.195キロ先のゴールを目指します。
ごった返すランナーで体がぶつかり合い、なかなか自分のペースでは走れません。

1キロほど走ると歓声を上げながら走る一団がいました。
本日まで大阪知事の橋下徹さんです。
大阪市長選に鞍替え立候補を決意して市民から熱狂的な声援を受けながらランナーと握手をしながらお愛想を振りまいていました。「くにおvsとおる」他県人の私でも興味は尽きません。お二人とも素晴らしい為政者ですからどちらにしても大阪は改革が進む事でしょう。頑張って欲しいですね。





危惧していた通り右膝の違和感がとれず、余り無理はできない事を意識しながら流れに従います。
5キロポイントを見逃して通過タイムの計測は出来ませんでした。
難波の交差点を右に曲がると銀杏並木の大きな通りに出ました。

「おー御堂筋だ!」と直ぐに分かりました。
道路の中央線にはカラーコーンが置かれセパレートされていて、招待選手の先頭集団は既に通り過ぎて後続の選手が後を必死で追っています。




御堂筋は私にも思い出があります。
私はかつての南海ホークスの大ファンでした。
昭和34年、プロ野球日本シリーズで鶴岡親分率いる南海が、常勝水原・巨人を杉浦忠の4連投で4タテを食らわせ、ついに日本一に輝きました。その優勝パレードは「鶴岡親分涙の御堂筋パレード」と言われたものです。
あの当時覚えている選手は投手では杉浦・皆川・木村・柚木・中原・宅和、キャッチャー野村、野手では杉山・森下・広瀬・穴吹・大沢・寺田などで400フィート打線が売り物でしたね。

その後私も昭和49年から4年間大阪支店に勤務する時期があり、御堂筋にある支店ビルに何回か足を運び、会議の後はミナミの繁華街で食事や宴会を楽しんだものです。

「まさに今その御堂筋を走っているのだ」と夢の中のようです。

御堂筋を走って淀屋橋の手前を右に回り、10キロ地点です。
膝と足の付け根の違和感にナーバスになりながら、「完走は無理かな?無理したらアキレス腱断絶か股関節が痙攣して倒れるかもしれない」と言う思いで通過です。
「20キロまでは1キロ6’30”ペース(10キロ1:05’以内)で走りたいな〜」と言う希望は無残にも砕けました。
(10キロ通過 1:10’25”)



<10キロ〜20キロ>


10キロ地点先の片町交差点が最初の折り返し地点です。
折り返して中央公会堂まで来ました。
此処も大阪市のブラスバンドが大音響で応援してくれています。




そして大江橋から再び御堂筋に出て難波を目指します。



騙し騙し、1キロ7分ペースで走っていたら段々と右膝の違和感も取れ始めました。
何よりも目の前を行くランニングガールのタイツ姿が励ましです。
山ガールも素晴らしいですが、フルマラソンを走りきろうというランガールはカモシカのような足がすらりとしていてとても素敵です。何人ものランガールが私の鼻の先に来ては追い越してゆき、「まるで馬に人参だな」という思いです。御堂筋も走りきって難波を右折し京セラドーム大阪が見えてきました。
ここまで後を追ったランガールは、此処で足を止めて一息入れました。




京セラドームの先で2回目の折り返しをして20キロ地点です。
此処でトイレに駆け込みましたが30人ほどが並んでいて、用を済ますには5分は掛かりそうです。
途中でコンビニにでも飛び込もうと決めて再び走り始めました。
(20キロ通過 2:24’18”)



<20キロ〜30キロ>


ペースは徐々に落ちてきましたが、リタイアする気は全然おきません。
中間点通過は2時間35分ですが、もう時間等は気にならなくなり、「残り半分気力で走りきるぞ」という思いが強くなりました。
難波に戻り、3回目の折り返し地点通天閣に来ましたが、通天閣の写真を撮り忘れてしまいました。

この画像は何処か分かりません。



25キロ地点先で行列の少ない仮設トイレに飛び込み、待ち時間3分くらいで用を済ます事が出来てスッキリです。
「最低30キロまでは足を止めないぞ!」と言い聞かせながら走り続けます。
周りのランナーはウォーク&ランで進む者が多くなりましたが私は走り続けます。
走り続けると言ったって、ラン&ウォークのランナーと大して変わる速度ではありません。
もう1キロ8分台にペースダウンしていて「おっさん走っているつもりなんだな〜」と言う声も聞こえそうです。

「人情味溢れる西成へようこそ」の大きな横断幕を見ながら大声援の中を行きます。

玉出を右折して高速道路の下を走って30キロ地点です。
(30キロ通過 3:51’59”) 2回のトイレ待ちタイムのロスがあり大分遅れました。



<30キロ〜ゴール>


30キロを過ぎると小雨が舞ってきました。巧い具合に高速道路の高架橋の下を走るので雨には濡れません。
しかし火照った体には雨が体を冷やしてくれてかえって気持ちが良いものです。

30キロまで足を止めずに走りきったので、次は「35キロまで走ろう」と目標と気分を替えて走り続けます。
周りは殆んど歩いています。それも男性が多いです。女性はか細い足で私と同じようにちょこまかとゴールに向って走り続けるランナーが多いです。やはり持久力は女性のほうが上かもしれませんね。

35キロを通過してもまだ走れます。
これはペースダウンと給水ポイントでの完全給水と食糧補給、そしてウェストポーチに忍ばせたアミノバイタルによるエネルギー補給がうまく行ったのかもしれません。

37キロ地点を過ぎて南港大橋の登り口が「あと5キロ」地点です。
このコース一番の高低差のある難所で、歩いてわたるランナーを尻目に南港大橋も走って登りきりました。
この頃は足の疲れもありますが、腕の疲れもあります。時々カンボジヤ代表でロンドン五輪を目指す、猫ひろし選手の顔の前で手首を振る「猫走り」や、萩本欽チャンの「キンチャン走り」などを取り混ぜながら気分を変えて苦笑いしながら走る余裕もありました。そしてゴール寸前です。



雨足が強くなった中最後の気力を振り絞って全力で走る抜けました。
今までのフルマラソンでは一度も無かった事です。
最後の200mを右手を上げて観衆にアピールしながらゴールインでした。

息を弾ませながらフィニシュ地点で感動の写真です。



(フィニシュタイム  グロス、5:47’01” ネット、5:35’35”)  

完走のメダルを首にかけてもらい、フィニシャータオルで汗を拭い、水と食料完走祝の景品等を受け取り、手荷物引取り所に来ました。
アレほど心配していたのにゴールまで走りきれたことが嘘のようです。疲れもそれほど感じません。
思い出の浪速の地を熱き声援を受けながら走りきった満足感でマブタが熱くなるのを覚えます。


手荷物引換所の隅でバスタオルを腰に巻き着替えを済ませました。少し周囲を観察しながら呼吸を整え雨が激しくなった中、地下鉄コスモスクエア駅に向かい、秘密の場所に止めた愛車兼簡易ホテルに戻りました。


50歳から始めたランニングももう18年間継続し、走破距離も1万2千キロを数えるまでになり、55歳からのフルマラソン挑戦は今回で15回目となりました。その戦績は完走率8勝7敗となり初めて5割を上回る事が出来ました。
もうそれほど長くフルマラソン挑戦は出来ませんが、制限時間が7時間の東京マラソンが走れるまではランニング継続を決意しています。

「やれば出来る!」という信念でこれからの人生も目標に挑戦続けようと思っています

 

 

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