第3回 長野オリンピック記念マラソン 挑戦の記
第
1回、2回ともに途中棄権の屈辱を晴らすべく、今年も高社山の麓にやってきました。
良く晴れて北信五岳が目の前にきれいに並んで見えます.妙高.火打.高妻山はまだ真白な雪化粧です。7時をちょっと過ぎた時間というのに、もうスタート地点には大勢のランナーが集まり、ウォーミングアップに余念がありません。つられて我が親子も自然と体が動き出して.今までしたこともないストレッチを始めるものですから思わず苦笑いです。
それでも3回目になると回りを観察するなどスタート前の高ぶりを楽しむ余裕もあるというものです。
息子は昨年、異常に太り「小錦」とあだ名されるほどで、出走できなかったのですが、今年8キロも減量に成功して60キロを切るまでになり、走り込みは十分とは言えないものの、2回のコース試走を見ると完走も出来そうで、不安と自信が半々というところです。
親父はイメージだけは完走が出来あがっていますが、3週間前に勤務地の川越で25キロの最後の走り込みをした疲労が抜けきれず、また直前の不節制がたたって体調はあまり良くありません。歩かずに25キロ先のMウェーブまで行ければというのが偽らざるところです。
スタート時間も迫りスピーカーからは軽快な音楽ががんがん響き気分を高めます。申告タイム順にスタートラインに整列すると招待選手の紹介です。ロシヤのエゴロワ、そして招待選手ではないが隻腕、義足のクリス・ムーン選手にどよめきのような歓声が上がりました。そう言えばクリスさんに刺激されてか、障害を持ったランナーも何人か見られます。
最後尾につけた二人は靴紐とRCチップを入念にチェックしました。
9時5分五色の花火が志賀高原にこだまして、いよいよスタートです。
最後尾からのスタートは3分遅れくらいでスタートラインを通過しました。観衆も選手も一緒になって、42.195キロを目指して歓声が上がり、湯田中の氏神様の祭り太鼓でおくってくれました。「自分のぺーすでいけよー」と息子の背中をぽんとたたいて先にやりました。緩いくだりに軽快な足取りで進みますが、ここではペースを間違わないように、ゆっくりゆっくり下りました。中野の市内に入ると沿道は鈴なりの応援です、私の兄も応援に来ていたのですが、どこにいるか見分けがつきません。
中野消防署はブラスバンドで応援してくれました。行く先々で「がんばれ、がんばれ」の声援が続きますが「がんばったらあかん、マイペース」を肝に銘じて走りました。10キロは63分で通過、小布施のりんご畑の道も応援団が一杯です。ここも氏神様の祭り太鼓で迎えてくれました。小布施橋の中間が15キロ地点でこの頃になるとペースが落ちてきました。前を行く女性ランナーにペースを合わせますが、ずるずると遅れをとります。
橋を渡って、千曲川の堤防道路に出て、豊野町にはいると中学生が太鼓と大声で声援を送ってくれました。エイドステーションで、バナナと水とアクエリアスを飲んで一息つきました。今日の風は北からの追い風で、この風に乗って走りたいものですが、
18キロを過ぎるころは、後続を走るものが徐々に少なくなって、歩き始めるものが見え始めました。私も目標の25キロまでは走ろうとがんばりましたが、とうとう足が上がらなくなって18キロ過ぎに用足しを兼ねて歩いてしまいました。20キロ手前では養護学校の生徒が太鼓で応援してくれましたが、残念手を振ることも出来ません。先行した息子も仲間の応援にきずいたでしょうか。中間点を迎える頃には再度走れるようになり、歩きとジョグの繰り返しを続けてMウェーブまでたどり着きました。大勢の観衆がこの無残なランナーの走り?に声援を贈ってくれますが、もうこちらは恥ずかしいばかりで、収容バスを待つばかりの心境です。五輪大橋の30キロの関門まで4キロはもう開き直った歩行者がよれよれになりながら行列を作って歩きました。そんなランナーにもまだ声援を送ってくれるありがたい市民も沢山いました。
五輪大橋ではボランテイアの女性に「ご苦労さん」と声を掛ける開き直りの状態でした。五輪大橋の長かったことそして北風の強かったこと、この風を味方に出来なかった不甲斐なさに気持ちはめいるばかりでした。
30キロの関門でRCチップをはずし返却をして、又、今年も屈辱の長野マラソンは終わりました。
第
1回は31キロノンストップでホワイトリングまで走りました。
昨年は25キロまで走りました。今年はなんと惨めなことか3週間前のあの川越の調整ランが逆効果だったと悔やまれます。
収容バスに乗ってゴール会場に向かいますが、皆うなだれて文字どうり収容バスです。
会場につくと気を取り直して、フィニシャーメダルを掛けて引き上げてくる完走者をうらやましげにみながら息子を待ちましたが、会場の片づけが始まっても息子は出てきません。38キロ関門で収容されたかなと会場を探しましたが、見当たりません。車に戻ると助手席にぐったりとして休む息子がいました。どこかですれ違いになったのでしょうか.見るとその手には、箱に収められたフィニシャーメダルがしっかり握られていました。
親父の感激をよそに「お父さん、僕完走したよ」と一言語りました。愛おしさに親父はウルウル状態です。
35キロからは歩きとジョグの繰り返しで、完走までは出来なかったようですが、マー時間内完歩も誉めてあげたいです。次の目標もしっかり出来たというものです。近くの吉野家で大好物の牛丼を食べて満足の息子を連れて凱旋帰宅しました。
女房一言「芳史は完走すると思ったけど、お父さんは無理だって最初から言ったでしょう」
返す言葉もなく、ただガックン
来年も再来年も挑戦するぞ!
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