2008年石垣島マラソン敢走記

昨年12月のホノルルマラソンに続いての「カモシカ永井」フルマラソン挑戦フィナーレ第2弾は、日本の最南端・沖縄県石垣島マラソンです。


                     ゴールの陸上競技場入口付近

<スタート前>
ホノルルマラソンは途中30キロ手前からウォーキングも入り、5時間50分もかかる大凡走で自慢にもなりませんでした。帰国後、間をおかず走り込みを再開し、40日間で約200キロの走り込みをしました。1キロ6分イーブンで10キロ走るスピード練習も入れながら25キロ走も一本入れ、石垣島マラソンでは納得のレースを決意していたのであります。大会直前1週間は休養を入れて、満を持しての石垣島入りです。
前日はもう一つの目標である沖縄県最高峰於茂登岳登頂も果たし、気分は上々でレースの朝を迎えました。ホテルの朝食は6時からですが日本の最南端そして最西端に近い石垣島の夜明けは長野に比べれば1時間くらい遅いようです。ホノルルマラソンでは時差による生理現象不調などにより、万全の体調で出走できなかったことが大凡走の大きな理由です。今回は台北より南にある遥かなる石垣島とはいえ日本国内の大会です。しっかりと腹ごしらえと生理現象をを済ませ、全て順調に支度ができたと言うものです。
しかし夜明けの窓外を覗くと霧雨が舞っています。天候はどうやら雨のようで気が揉めます。ランニングスタイルに着替えた後、ジャージを着てタクシーで石垣陸上競技場に出かけました。赤いアンツーカーの立派な競技場です。降り続く雨は小雨ながら止む気配はありません。出走30分前の8時30分にはランニング姿にポンチョを被ってスタート地点に移動しました。
レースはフルマラソン・ハーフマラソン・10キロマラソンの三種目ですが、同時スタートです。石垣市長の大濱大会会長の歓迎挨拶の後スタートの鐘が鳴って、フル940人・ハーフ650人・10キロ550人総勢2,150人が一斉にスタートしました。勿論男女一緒です。参加者は全国47都道府県から参加している人気の大会です。

< 16キロまで>
スタート後は陸上競技場の周辺道路を1周し市内のコースに出ます。スタートの鐘が鳴って私は1分遅れでスタートラインを踏みました。小雨ですがポンチョを被っているのでそれほど雨は苦になりません。
ホノルルの苦い思いもあるので今日は少し早目に自分のペースで走れる位置に出ました。市内に入り大浜へ向かいます。雨の中市民が大勢出て応援してくれます。順調な滑り出しですが昨日の登山の疲れか右脚の付け根辺りが少し違和感を覚えます。
5キロ地点は32分20秒で通過。10キロは1時間5分25秒、順調に走っている割にはタイムが掛かりすぎで少し気になります。やはり雨のせいかなと思う。13キロから16キロまでは強い向かい風をまともに受けて緩い登りが続く厳しい道です。追い越してゆく外人ランナーを風除けに300mほど走っていると、外人さんが気がついて、むっとした顔で私をにらみ、後ろに下がってしまうハプニングもありました。15キロ通過は1時間41分。
緩い坂を登りきると16キロ地点で大きく左に曲がって下りに入ります。

<30キロまで>
下りに入ると先に行くランナーが良く見えます。ここまで来ると列は乱れて周りを走るランナーは数名しかいません。回りのランナーに遅れまいと黙々と走ります。周囲はサトウキビ畑と原野です。雨も止み風も追い風となって後ろから押してくれます。ポンチョを脱いでウェストポーチに挟みました。
20キロ付近の給水所でアミノバイタルを水と共に飲み、スタミナ補給しました。中間点の通過タイムは2時間23分で、2時間20分以内を予定していたのですが、思ったより時間がかかっているが、これが今日のベストの走りですから焦りはしませんでした。(ゴール目標タイムは5時間30分です)
周囲を行くランナーは半分近くがウォーク&ランです。ランニングを継続している私よりも早い者もいますが、しかしそれは徐々にウォーキングの距離が長くなり、ランニングの距離は短くなります。ゆっくりでもランニングを続けるものには敵わないことを私は知っているのです。
小さな島の台地を走るコースですから、間断なくアップダウンが続きます。右側には昨日登った於茂登岳が雲に頭を隠しています。ここはとにかく我慢我慢の連続です。28キロ地点で海岸線に出ました。漸く平坦なコースになって一安心、何とか目標の35キロまでランニングを続けようと頑張るのでした。
30キロ通過は3時間29分30秒。もうタイムは気になりませんでした。

<ゴールまで>
30キロを過ぎると殆どのランナーがウォーキングになっています。コツコツ稼ぐ私はまだランニング継続中ですが、速度はウォーキングとそれほど変わるものではありません。もうランナーはコース場に50mくらいに一人くらいの寂しい状況です。
32キロ地点に来ると突然目の前に急坂が現れました。高低差30m位を一気に登らなければなりません。私はここでランニングを中断しました。無理に駆け上がって体力・脚力を消耗することを避けるよりも、もう駆け上がる気力がなかったと言うのが本当のところです。ここら辺りが今回のランニング継続の限界であったことも事実です。5分ほどかけて坂を登りきると「アト10キロガンバレ!」の声援が飛びます。給水所でしっかり給水し、下りに掛かった道を走り始めますが一度ランニングを停止すると、もうあんなにゆっくりであったペースでも、それを取り戻すことは出来ません。中年の女性ランナーとシーソーゲームのウォーク&ランになりました。道路のセンターラインに30mピッチくらいに置かれたカラーコーンを目印に80%はランニングで前進です。(5区間走って1区間ウォーキングのパターン)35キロ通過は4時間10分。
そして残り5キロ地点までこぎつけました。給水の後、長野マラソンのラストを想定して「残り5キロ、足を止めないで走りきろう」と決意しました。沿道の応援も乏しくなって、コース上にぽつんぽつんと置かれたランナーが必死にもがいています。
市内に入ると少しは市民も応援してくれるので張り合いがあると言うものです。一段と拍手が大きくなって「私が65歳になる高齢者ランナーだから応援してくれるのかなー」と嬉しい気持ちになると、私の脇を視覚障害者が伴走者と共に追い越して行きました。「まだまだ同情の拍手はいらないぞ」と思いながら40キロ手前の給水所に到着しました。ゴールの競技場も目の前です。40キロ通過は4時間53分。
最後も足を止めることなく競技場脇を700mほど行過ぎて、折り返しました。そして堂々の競技場入りです。35キロ地点で併走していた女性が「お先に」と私の前にゴールインしました。場内放送が「ゼッケン527番・ナガイクニヒロクン長野県からの出場です」のアナウンスを聞くとこみ上げるものがありましたが胸を張ってゴールインしました。
フィニシュタイムは5時間10分37秒です(自己計測・スタート時間を調整)。
公式記録は5時間11分31秒でした。
総合順位515位 年代別順位は60歳の部46位です。

<レース後>
さすがに疲労困憊でしばし芝生に腰を下ろして息を繋ぎました。6回目のフルマラソン完走ですが今までよりか一番の感激が沸いてきます。少し感傷的になり、ウルウルするものがありました。続々と後続の選手が入ってきますが、途中でウォーキングに入った選手ばかりで私は最後まで走りきれたことを誇りに思いました。
完走メダルを首に下げてその雄姿を(?)カメラに収めた後着替えを済ませ、タクシーでホテルに戻りました。バスルームで汗を流した後、オリオンビールを3本ほど飲み干すと一気に疲労が出てベッドに横になりました。交流パーティも出てみたかったがもうその気分にはなりませんでした。

カモシカ永井フルマラソンのグランドフィナーレは4月の長野マラソンです。しばらく休養した後、再び走りこみを始め、本番では納得の行く結果を残して自らのラストランを飾りたいものと思っています。


ゴール地点で


JOさんと慰労会

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