日本の屋根を走ろう!

第24回 大町アルプスマラソン 
ハーフの部出走記録 (200710/14)


大会終了後の会場

1998年10月、初めてフルマラソンに挑戦し、33キロ地点で敢え無く途中棄権したほろ苦い思い出の舞台が大町アルプスマラソンである。あれから10年、長野マラソンに目標を変えて、何度かの挫折を繰り返しながら、フルマラソン完走に挑戦してきた。その結果、5年後の第4回長野マラソンで完走の美酒を味わった後、今年の大会を含め都合4回のフルマラソン完走を果たすまで脚力アップを図ることができた。しかしそれは考えるだけでも厳しい冬場の壮烈な練習があってのことである。
いくら練習しても脚力アップが望まれることのない年齢が押し寄せてきているのだ。来年は65歳、高齢者の仲間入りである。ここらあたりで50歳から始めたランニング人生の区切りをつけようと思っている。近郊の健康マラソンは継続してもフルマラソンの引退宣言である。そのラストシーズンが始まったのである。今春の長野マラソンを走った後も脚力維持の為にランニング練習を継続してきた。シーズンの走る初めに10年前の残念な思いを払拭しようと大町にやってきた。先ずは小手調べにハーフマラソンである。

10月も半ばになると、北アルプスの麓、大町はぐっと冷え込む。スタート会場の大町市運動公園の9時の気温は9℃であった。ジャージの長ズボンをはいて走ろうかと思うほどの冷気の中での発走となった。招待選手は川島伸次・早田俊幸の二人であった。
いつもの通り、ムスコと二人、最後方から出走する。平坦な道路を1.5キロほど走った後、8.2キロの折り返し地点まで標高差約80m下る。17キロ地点の第二折り返し地点まで140m上り、ゴールまでは60mほど下るアップダウンの厳しいコースである。まさに「行きは良い良い、帰りは怖い大町マラソン」なのである。下りの主体の10キロは1時間03分42秒で快調に通過したが、上りの続く後半はピッチが上がらず結局2時間17分20秒と言う不本意なタイムでのゴールとなった。しかし秋のハーフマラソンの完走タイムとしては過去3年間に比べると一番良いタイムである。この秋、まだ走りこみの足りないムスコは1分ほどの先着であった。前半の下りで靴の中で足が泳ぎ、足指痛を起こしてしまった。そういえば10年前も足指痛発生が途中棄権の一つの理由であったことを思い出した。

ラストシーズンは12月ホノルルマラソン・1月石垣島マラソンを走った後、4月の長野マラソンがフィナーレである。気候もよくなって、これから走り込みを加速させてゆけば、「我がランニング人生の有終の美を飾る」ことが出来るであることを確信したのである。



シーズン最初のレースを二人で完走果たす

ランニングの記録に戻る