第9回長野オリンピック記念長野マラソン完走の記録
来年の第10回大会を50歳から始めたランニングと55歳からのマラソン人生のフィナーレと決めている.。今回の大会は是が非でも完走をして、その基礎固めにしておきたい大事な大会である。今回も昨年11月から約半年間800キロ近い走り込みをこなしての出走であるが完走への自信は6割と言うところである。何しろ、いくら走り込んでも1キロ6分30秒ペースを上回ることが出来ないうえ、一月前の最終課題の30キロ走では、最後はよれよれで、もうこれ以上走れる訳がないというほどであった。しかしここ数日、昨年と同じようにひそかな自信も湧いてきて、本番を迎えた今日は絶対完走出来ると言う自身に変わったのである。
今年も家内がお雑煮の朝食を作ってくれた。消化が良く腹持ちが良いからである。家内も「いつも一緒に参加している気持ちなのだ」と思うとうれしい限りだ。
戸倉駅を6時前の信濃鉄道に乗って長野駅で乗り換え、北長野駅から15分ほど歩いてスタート地点の長野運動公園に着いた。天気は少しも心配ない絶好の晴天で、日中の気温上昇が少し心配になるほどである。
会場の片隅でムスコと二人ゆっくりと支度をしながらウォーミングアップを始める。知り合いのランナーも何人か出場するがこの時間は自分のペースを守ることが大切なのである。荷物を預け今年も最後方のスターティングブロックにつく。途中棄権3回を続けている小林君が「今年こそ完走」と意気込んでいる。そして周りの高まりに合わせてテンションを高めてゆく。例年通りのスターティングイベントをこなし、号砲がなってスタートになる。
出走前の堂々の宣誓
5キロ地点まで(5キロ通過タイム 31分09秒)
目標は昨年と同じ5キロラップ31分台である。最終ブロックからのスタートはこれより遅いペースであるのが分かる。少しランナーをかき分けて前に進むが中々自分のペースには成らなくて気がもめる。やはり参加者が多くなった為だろうかと思う。信越線のガードをくぐり5キロ地点を通過。何とか目標タイムをクリアーする。
10キロ地点まで(10キロ通過タイム 1時間02分40秒 ラップ31分30秒)
善光寺大門の交差点を左に曲がり、善光寺の表参道を1キロほど下る。ここが一番の観客と声援が多いところでランナー冥利に尽きると言うものだ。オリンピックの表彰式会場になったセントラルスクエアでは市民合唱団が長野県歌・「信濃の国」を歌って励ましてくれていた。長野駅前では元上司が応援に駆けつけてくれていた。ここらあたりは気分も高揚していてまだまだ自分のペースではない。九反を左折しNHK前に来ると10キロである。ここまでも順調に走って設定タイム通りに通過する。
15キロ地点まで(15キロ通過タイム 1時間34分50秒 ラップ32分10秒)
NHK前には、ムスコがお世話になっている「ポーチ有旅の丘」の篠原施設長が激励に出てくれていた。「ムスコはどうしたまだ見えないぞ」と声が掛かる。10キロ過ぎてムスコが私の後塵を踏んでいるわけがないと思い「5分は先に行っているはずだ」と応えて走り去る。12キロ地点に来ると先に行っているはずのムスコが私を追い越してゆく。どうやらトイレタイムを取ったようである。足色は悪くないので大丈夫だ。
13キロ地点に来ると今回一番楽しみにしていたT先生のナンバーカードが目の前だ。なんて声を掛けようかと躊躇する。「rommyさん」・「ロミちゃん」・「T先生」・・・。200mほど後をつけたが結局声をかけることが出来なかった。彼女はこの4月から新任教師として新しい環境の中で相当ストレスも感じているのだろうと思う。昨年はゴール寸前に追いついたが今年はまだ15キロ前で追いついたと言うことは、走りにそれが影響しているものと感じる。走りも確かにピッチが上がらないのである。14キロ地点で心の中で「rommyさんお先に、頑張ってね」と声かけて先を行く。(ごめんね)15キロ通過タイムも順調そのものだ。
20キロ地点まで(20キロ通過タイム 2時間08分22秒 ラップ33分32秒)
昨年までの勤務場所エムウェーブ周辺には絶好の応援場所となっている。今年も大勢の観客が集まって応援してくれる。昔の職場仲間も周回コースに出て応援してくていた。給水場で初めてバナナを口にする。そして又元気に走り出す。「今年も大丈夫いけるぞ」と言う感触が湧いてきた。
五輪大橋の中間が20キロ地点である。登りが少し急坂でペースダウンがあるがここも難なく通過する。
25キロ地点まで(25キロ通過タイム 2時間42分52秒 ラップ34分30秒)
中間点は2時間15分40秒で全く予定通りの通過となって益々快調だ。
ホワイトリング脇の折り返し道路に掛かる前、22キロ地点で気温が上がって火照った体を冷やす為に頭からコップの水を浴びる。今回はこれが良かったようでこの先何回か同じことを繰り返した。火照った体が「シャキ」となって再び鋭気がみなぎるのである。折り返し点では1キロほど前を息子が走っていた。昨年はもっと早く折り返し、ここですれ違うこともなっかたがトイレタイムが響いているのだろうかと心配になる。「ヨシフミー頑張れー」と大きな声をかけると手を上げて元気に応える。息子も1月から相当の走り込みをしているので完走には自信を持っているので安心だ。大応援団のホワイトリングが丁度25キロである。ここでランニングキャップに入れておいたアミノバイタルを取り出して口にする。水を含んで腹に流し込む。「うーんよし!これで残りの17キロも大丈夫」と気合を入れる。
30キロ地点まで(30キロ通過タイム 3時間20分26秒 ラップ37分35秒)
26キロで千曲川堤防道路に出る。ここからは今までのように応援団はいない。周りのランナーを見ながら孤独な自分との戦いになる。疲労も徐々に効いてくる。歩き始めるランナーも結構出てくるのがここら辺りからだ。
「ここで歩くようでは完走は無理だよ」とつぶやきながらひたすら進む。八幡原の史跡公園付近は花見の観客がお酒の勢いも手伝ってか大きな声をかけて応援してくれる。松代大橋をくぐる。橋の上はゴールまで残り3キロ地点であり、今ここを爆走しているランナーは3時間半ランナーで羨ましい限りだ。「これからこれから」と言い聞かせながら、昨日最後のイメージトレーニングをした30キロまできた。
35キロ地点まで(35キロ通過タイム 3時間58分49秒 ラップ38分23秒)
30キロを過ぎると右側からゴール会場の喧騒が聞こえてくる。「早くあそこへ」と言う思いが募るが足はだんだん重くなる。白バイがランナーの間を縫って先に行く。「もっと早く」とせかされているようで少し癪にさわる。33キロを過ぎると岩野橋で千曲川を右岸に渡る。一昨年リタイアしたいやな思いが湧いてくる。しかししっかりと走っていると後ろから「カモシカさん頑張れ」と駆け寄る声を振り返ると「ロミの父親です」とrommyさんのお父さんが杏干を口にほおり込んでくれた。甘酸っぱい味が口中に広がる。そしてデジカメにポーズをとる。お父さんは私と同じ歳である。(本当に応援有難うございました)「ロミチャンは後ろです」と声かけて又走り出す。
千曲川の右岸道路に出ると風向きが変わり、向かい風となる。それほど強いものでなく、かえって火照った体には心地よい風である。35キロは4時間を切って通過することが出来た。「ここから1時間あれば大丈夫」始めて完走を確信できた。
40キロ地点まで(40キロ通過タイム 4時間39分17秒 ラップ40分28秒)
35.8キロの関門手前で信濃町の小林君が今年も右膝痛が発生してストレッチングしていた。「後7キロ一緒にゴールしよう」と励ますと。彼も意を決して、右足を引きずりながら走り始めた。彼は私が長野マラソンに引きずり出したランナーだ。33歳の若者で根性も脚力も十分あるのだが冬場の練習場がなくて(信濃町では当然だ)走り込み不足がたたって、ここ3回ほど右ひざ痛が出て完走を逃している。しかし今年の彼は違うのである。昨年、私と同じ歳の父親を肺がんで亡くし、今年はなんとしても完走報告を墓前に届けようとしての出場なのである。彼はこの後、最後まで足を引きずりながら見事ゴールしたのである。
35.8キロの関門閉鎖までは10分くらいの余裕があった。
「あと5キロ」地点に来る。ここから45分あればと思っているのだが、5時間まで残り44分位で、いよいよ貯金もなくなって、今年も制限時間ぎりぎりのゴールを覚悟する。最後の難所松代大橋取り付き道路の登りもまだ足は上がっている。今年も昨年と同じように「歩かずに完走」は心に決めているのだ。
38.9キロの最終関門の閉鎖には5分の余裕があって通過する。そして大きな安堵をする。
ゴールまで(ゴールインタイム 4時間58分44秒 ラップ19分26秒)
最終関門を通過すればもう大丈夫、後はヴィクトリーロードが待っているだけだ。足は上がってもさっぱり前には進まないもどかしさは有っても、「時間もたっぷりあるし、最後はゆっくり楽しもう」と言うのはとんでもない間違いである。本当に前に足が伸びないのである。歩いた方が早いのだが最後まで歩かずに走らなければ駄目なのである。昨年11月から800キロ近く走った思いが頭をよぎる。「42キロのゴールでなくて800キロのゴールなのだ」ヤッタゼ!ヤッタゼ!」と自分が誇らしい。周りからの「後少し!あと少し!」{頑張れ!頑張れ!」の声に励まされながら思い切り手を振りながら漸くゴール会場の入口に到着する。ここで「やっと着いたか」と大きな雄叫びを上げる。時計を見ると5時間にはまだ少し余裕がある。そしてふかふかの人工芝踏んで天にも昇る気持ちでゴールイン。
2分ほど前にゴールした小林君と握手を交わして足を引きずりながら会場の外へでる。疲労困憊で心臓は破裂しそうである。係員から手渡されたアクエリアスを一気に飲み干すと漸く生気が戻る。
フィニシャータオルを肩にかけながら荷物引換所で荷物を受け取り、芝生に腰を下ろして小林君とレースを振り返る。これこそがなんともいえない誇らしい時間なのである。記念のヴィクトリー写真をカメラに収めてお別れした。彼も亡き父に十分供養が出来たと大喜びであった。
三々五々家路につくランナーを見送った後、先着していたムスコがまだ着替えもせずに場内を散策していた。急いで着替えて二人で篠ノ井駅に出て売店で缶ビールを買って乾杯し、意気揚々と家路についたのである。
初完走の小林君と誇らしげに
「又来年この歓喜を味わいたいものだ。そのためには節制をしなければと心に決めている。