2006年 第8回長野マラソン敢走記
(歩かずに完走できた!!)
朝4時半には目が覚める、玄関を開けてまだ暗い外をのぞくと案じていた通り、小糠雨が玄関前の石を濡らしていた。「なーんだ!雨の中のレースか」と少しがっかりする。5時にはムスコも起きてきて朝食をとる。おかーさんは今年も腹持ちの良いお雑煮を作ってくれた。「私たちと一緒に自分も長野マラソンに参加しているのだな」と思うと、どうしてもやらなければと思う。特に今年は、NHKから「親子で完走目指すランナー」として紹介されたのであるから、なおさらの思いが募る。
6時前の信濃鉄道に乗り込むとマラソン出場者の貸切り電車の趣だ。長野で乗り換え、北長野で降りる。ようやく明けた町中をランナーがそれぞれの思いを胸に黙々と歩く。15分ほどでスタート地点の運動公園に到着した。運動公園につくころには雲も切れて青空がのぞいてきた。6000人のランナーの念力が通じたのかと思う。
ウォーミングアップをしていると「テレビで見ましたよ」と何人かに声かけられる。スターと地点の近所に住むTさんと顔をあわせ励まされる。そして愛知県からのNさんとは一年ぶりの再会で、お互いに健闘を誓い合う。荷物を預けて、今年も最後方のスターティングブロックに付くと、K君が「今年こそ膝痛が出ないことを祈りながら」と挨拶に来る。私も祈るばかりである。
招待選手の紹介が始まり、最後に人気の千葉真子選手の挨拶があり会場がどよめきと大きな拍手で盛り上がる。63歳になってもこうして若者と同じスタートラインに立つことの幸せをかみしめるのである。
(タイムは自己計測によるネットタイム)
スタート〜5キロ(5キロ通過タイム31分05秒)
号砲がなってスタートを切る。今年は昨年より500名くらい出場者が増えているので最後方からのスタートでは結局5分遅れてスタートラインを踏む。毎年のことではあるが応援がすごい。市民の熱気も高まっているのだ。最初はゆっくりと1キロ6分30秒で入ろうと思うが、周りのランナーにつられてか、それとも気合が乗っているのかペースが速い。少し早すぎるかなと思いながら5キロ通過。
善光寺前の交差点を曲がって中央通りへ。ここは下り坂のためにスピードに乗る。市内中心部とあって、さらに応援が素晴らしく、いやがうえにも気合が乗る。早い早いと思いながらも、「少し貯金を作るか」という気持ちも湧いてくる。NHK前がちょうど10キロ、ここまでも快調に走る。
母袋の交差点をくぐり、大豆島のゴミ焼却場へ。ようやく回りも落ち着いて自分のペースを取り戻す。犀川の堤防道路に出ると五輪大橋を爆走する先行集団がみえるが、こちらとは違う競争をしているのである。天気も完全に回復してきて日差しがまぶしいくらいだ。しかし気温が余り高くないので走るにはベストな状態である。落合橋北側を2回回ってエムウェーブへの道に出ると15キロ地点で、ここまでも思い通りの走りが続く。
15キロ〜20キロ(20キロ通過タイム2時間07分17秒 ラップ33分10秒)
エムウェーブまでは対面走行である。先を行っているムスコに檄を飛ばそうとランナーを目で追うが、見つけることはできない。エムェーブの周回コースに入ると、先日のテレビを見て応援の電話をくれたエムウェーブの社長が二人の女性従業員と共に沿道で手を振ってくれる。「ガンバルゾ!」と応えて走りぬく。再び一般道路に出ると、T君・S君が小旗を振って応援してくれる。応援とはありがたいもので本当に、勇気百倍になるのであって、ここらあたりでの感触は昨年をずいぶんと上回るのである。五輪大橋中間付近が20キロ地点でここも余裕の通過となった。
昨年は中間点過ぎから足色が鈍ってきたが、今年はまだまだ大丈夫。22キロ地点で仮設トイレに入って用を足す。しっかり水分補給をしているためで決して悪いことではないと思っている。ここからも往復3キロ近い対面走行となる。昨年はここで息子と顔をあわせるが今年は顔をあわせることがなく、さらに先を走っているのかと思うと、うれしい限りである。厳しい折り返しを乗り越えて25キロ地点のホワイトリングへ。ここで足を少し緩めて水分とバナナを口にする。
再び走り出すと、膝痛が発生して走られなくなったK君がリタイアで無念の顔を見せて寄ってくる。さらに千曲川の堤防道路に出るとM君がコースアウトしていた。二人とも若く素質があるのに、やはり走り込みが不足しているのである。捲土重来を期待しよう。千曲川の堤防道路は左岸側を上流の岩野橋まで6.5キロ、岩野橋を渡って右岸側を松代大橋まで4.5キロの長丁場を走らなければならない。長距離練習はいつもここに来て練習していたので勝手知った場所ではあるが、それがまた、ここの厳しさをこなさなければとプレッシャーになる。心の中では「一キロずつ、一キロずつ」と念じながら足を進めるが、少しずつダメージを受けていた足の上がりが鈍くなる。とにかく次の給水ポイントまでの気持ちで走る。
ゴールの競技場を右手に見ながら、さらに堤防道路を走る。ペースはがくんと落ちたが、まだまだ余力はある。昨年足が止まった33キロ過ぎの岩野橋は、苦もなくクリアーできた。34キロの給水ポイントで足を止めて給水とバナナを摂る。千曲川の堤防道路を右岸側に回ると向かい風となるが、気にするほどでもなく、火照った体には気持ちが良いほどだ。そして「歩かず走りきる」という目標の35キロ地点まで走りきる。4時間に10秒ほど残しているので、全く予定通りの走りである。
昨年収容された35.9キロの関門は閉鎖時間まで8分の余裕があった。ここで始めて完走できると実感する。しかし気を緩めることはできない。幸い足はまだ上がっている。一昨年出した最長走破距離の36キロを過ぎても足は上がっている。桜堤通のブラスバンドに勇気をもらって、とにかく走る。もう歩いているのと変わりないペースであるが、走っているのである。そして大きな水門を過ぎると残り5キロの看板である。ここで「45分の残りタイムがあれば大丈夫」と思うのであるが3分足りない。ウォーキングに入りたくなるが、とにかくこらえて足を上げる。ウォーク&ランで行く周りのランナーの方が早いくらいであるが我慢する。残り4キロ地点で5時間まで残り34分、大丈夫かナーと不安になる。長野インター線に出て、松代大橋の傾斜のきつい取付け道路も足が上がっているのである。松代大橋を渡り終えると残り3キロだ。ここで目標を「歩かず完走しよう」に切り替える。そしてゴールの南長野運動公園への直線道路に出て最後の関門を通過する。閉鎖3分前であった。40キロまでの5キロは41分も掛かってしまったが満足である。
ゴールまでの2キロは余裕の走りだ。スタートからずーと捜し求めていたゼッケン7865の女性ランナーRさんとも遭遇する。一声かけたが、彼女は私の先に遠ざかって行った。後ろを振り返ると私の後方300mくらいが最終ランナーである。前に進まなくなった足を上げて気分はランニングを続ける。競技場への入り口に来ると大きな声で「やったー着いたぞ」と大きな声を上げる。どのようにフニッシュを飾ろうかと考えるが、うまい方法は浮かばない。ふわふわの人工芝の上を一番大外回りでゆっくりと走る。そしてゴールイン。
私は65歳になる再来年までは続けて走るつもりである。それまで節制と練習を重ねなければと思うのである。