第7回長野オリンピック記念長野マラソン敗退の記

 
愛知県から参加のNさんと稲垣さん 今年もスタートラインにつきました

<スタート前>
3年ぶり出場のムスコと二人、今年も雑煮を食べ、朝6時前戸倉発の電車に乗って長野運動公園のスタート地点に来た。ネットで知り合った山友達の稲垣さんが体育館で待っていてくれた。愛知県からの初レース・初参加である。自分のペースで何とか完走してもらいたいものと思う。
練習場所仲間の同じ歳の宮下さんもサブフォー狙いで気合の出場だ。初めて聞くと糖尿病予防のため50歳からのランニングだということである。
リラックスしながらウォーミングアップをする。今年もそれなりの練習は積んできたのであるが完走への期待は5分5分というところである。3年ぶりのムスコには是が非でも完走してもらいたいと思うのであるが彼は少し走り込みが足りないので、これもまた完走は5分5分というところである。
荷物を預け、最後尾のスタートブロックにつくと、昨年途中棄権の小林君がリベンジを誓って静かに闘志を燃やしていた。彼もまた私がマラソンに誘い込んだ仲間である。
連続7回のスタートになるがスタート前の心の昂ぶりは一つも変らない。この昂ぶりこそが年齢を感じない素晴らしさなのである。8
:35分号砲なって一斉にスタートを切る。最後尾からの私は、今年は丁度5分遅れでスタートラインを踏んだ。

<レース報告>
1キロ6分30秒を目標に20キロまで走り、その後は成り行きに任せながら35キロまで走りきれば何とか完走の期待も膨らむという目論見である。
応援の観客で溢れかえる善光寺下の5キロまでは気合も乗って上々の滑り出しである
(5キロ通過 32分16秒)。

昨年よりは快調であるようだ。
市内を走って10キロ地点のビッグハットにはムスコがお世話になっているSさんが応援に来ていてくれた。「息子はどうした」「先に行ったはずだ」と声をかけながら通過する
(10キロ通過 1時間4分34秒)

10キロまで何とか目標時間をクリアーしている。
犀川の堤防に架かると上にかかる五輪大橋をサブスリー狙いのランナーが爆走している。「早い人はいいなー」と思わず声が出る。
落合橋北を2回曲がって15キロ地点に出るとエムウェーブを周回してきたランナーと対面走行になる。小林君が「がんばりましょう」と元気に走り抜けていった。そういえば彼は昨年ヒザ痛のためここでリタイアしたのだが、今年はお釣りの来るリベンジを果たしそうで私も嬉しい限りだ。
(15キロ通過1時間37分47秒)

エムウェーブ周回に入る手前で松代の好漢M君が駈け抜けていった。彼は今年の出走についてはお忍びであった。完走の自信がなかったのだろうか、「ゴールで待っています」と声をかけられると又気持ちが昂ぶるのであった。
勤務先のエムウェーブを周回すると職場の同僚が応援してくれる。何とか手を振る余裕もあって応援に答えることが出来た。五輪大橋の中間が20キロ地点でそろそろ足が上がらなくなり始めた。
(20キロ通過 2時間11分51秒)

気温も上がりだして体力の消耗も激しい。水分補給は十分にする。中間点通過は辛うじて2時間20分を切るが、この先の半分を走りきるのは難しそうだという気が強くなる。しかし、一縷の望みを捨てず、「行けるところまで行ってみよう」と心に決める。
ホワイトリング横の折り返し地点では先ずM君に続いて稲垣さんそして息子という順番で走っている。その差はそれぞれ500mくらいか、全員疲労が足に来ていることが分かる。ホワイトリング前の25キロまで来た。
(25キロ通過 2時間47分05秒)

何とか堪えながら千曲川の堤防道路に入る。ここが26キロ地点で33キロまで追い風の中を7キロ走る。ここまで来れば何とか堪えてと思うのであるが、足は益々重くなり前に進まなくなる。堤防道路は歩く者とまだ足が上がっている者が半分半分というところか、「ここで足を停めたら完走はおぼつかない」歩いているのと殆ど変りは無い速度であるが必死にランニングを続ける。
八幡原史跡公園ではサクラが満開になって花見客でにぎわってはいるが先頭から2時間も遅れて走るランナーには興味がないのか、誰も応援してはくれない。「さびシー」
松代大橋を走る抜けるランナーはサブスリーに敗れたランナーであろうかと思う。
28キロ地点でとうとう息子が歩き始めていた。檄を飛ばして一緒に走り出す。やはり「走りこみ不足がたたっているナー」と思う。ムスコは思いなおしたように先を行く、このひたむきさだけは自慢してあげたいものだ。
(30キロ通過 3時間25分14秒)

次なる関門36キロまでは50分の持ち時間である。何とかそこまで走り続けたいと思うのであるが益々足が重くなり痺れがきつくなってきた。
後方から来た観察車がランナーを縫うようにして追い越してゆく、そしてその後ろからは白バイが3台、これもランナーを追い越してゆく。まるで「これに追い越されるようでは完走は無理だよ」と無言の言葉を投げかけて行くようだ。これで気分は完全に切れてしまうのであった。
33キロを通過して岩野橋に出る。昨年足が止まった場所である。昨年より100m先まで足を延ばして今年もランニングを停止する。昨年はここから思い直して36キロ地点まで走ったのであるが今年は完全にグロッキーとなり、再走の気持ちが起きない。時間切れが分かっているからである。
それでも34キロ地点まで歩を進め、時計がスタートから4時間を刻んだことを確認してストップウォッチを停める、今年の長野マラソンは終了したのである。
(34キロ通過 4時間00分00秒)

<レース後>
砂埃を浴び堤防道路を振り返りながら息子を待つ。35キロ手前で「お父さんまだ次の関門まで時間が有る」といって必死に走って行った。彼なりに悔しさがあったのだろうと思う。
35キロを過ぎると土手に腰を下ろしたM君がこれも無念のリタイアに涙していた。
二人でゆっくりと
35.9キロ関門まで歩きRCチップを外す。息子も関門閉鎖に間に合わなくて涙にくれていた。
無念の収容バスに乗り込む、しかし皆全力を出してここまで走ったのだから悔いない。又来年の健闘を期しているのであった。
収容バスでゴール地点に戻る。私は貧血気味で今にも倒れそうであるがフィニッシャータオルを肩にかけた完走者をまぶしく眺めながらしばし休息する。
愛知県の稲垣さんに電話を入れると「最終関門の39.8キロを通過できなかった」と嘆いていた。休暇を3日もとり、お金も沢山かけて長野まできたのに本当に残念であろうと思う。「又来年トレーニングを積んで出かけてきてください」と声をかけるのが精一杯であった。
篠ノ井駅行きのシャトルバスに乗る前にM君の父上と初対面する。59歳で3時間59分
48秒というすばらしいタイムでゴールし、余裕のマッサージを受けて私たちの前に凱旋する。これはもう驚きでただただうらやましい限りだ。50歳のときに糖尿病を気にして走り始めたという。スタート前にあった宮下さんと同じ動機である。考えてみると私も走り始めたのが50歳からである。二人とも4時間そこそこで走りきる脚力とは。このギャップを思い知らされて自分の体力・脚力不足を嘆くのであった。
これで私のランニング人生が終わったわけでは無い。又トレーニングを積んで次の目標と来年の長野マラソンリベンジに向けて新しい挑戦が始まったのである。
又ムスコと二人三脚の挑戦でもある。

女房は今年もまた「もう止めなさい」の一言であります。

 

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