2004年長野マラソン挑戦の記録
スタート前
第5回大会までは志賀高原の玄関山の内町から南長野運動公園までのコースであったが、今年からは長野市内周回コースに変わって又興味が尽きない大会となった。
昨夜は興奮のせいか熟睡できぬまま朝を向かえた。朝食は今年もオカーサンがお雑煮を作ってくれた。消化がよくて腹持ちがよいのである。あまり私の趣味に口出ししないのだが温かい心遣いに二感謝する。
5時55分の戸倉発の電車に乗り長野に向う。戸倉駅からは昨夜上山田温泉に泊まったランナーも何人か乗り込む。車内は東信地区から参加のランナーが席を埋めていて、みんな静かにイメージしているようである。長野駅で電車を乗り換えて北長野駅で下車する。夜が明けたばかりの市内を20分ほど歩いて長野運動公園に到着した。
既に周辺にはランナーが集まっていて思い思いにウォーミングアップを始めている。支度を整えて念のためトイレに入り最終チェック終了である。
最後尾のスターティングブロックにつくと山と走る仲間の根橋さん・糸賀さんとがっちり握手して健闘を誓い合う。仕事仲間の小林君も故障の右ひざをかばいながら「行けるところまで行ってみる」と悲壮な決意でスタートラインに並ぶ。
スタート直前には、塚田さんがカメラを携えて応援に駆けつけてくれた。弟からのプレゼントの「KAMOSHIKA NAGAI」のネーム入りのランニングシャツ姿をカメラに収めてもらう。
スタート直前の選手紹介が始まる。今年もチュグワネ君トロバさんが3年連続招待されて熱気が一気に高まるのであった。老いも若きも同じスタートラインについて、「この熱気が止められないのだよなー」と思う。
スタート〜5キロ(32’05”)
8時35分号砲がなってどよめく歓声の中を一斉にスタートする。最後尾のスタートは今年も4分近く遅れてスタートラインを踏んだ。根橋さん・啓ちゃん・小林君も自分のペースで飛び出して行く、私もペースを守ることだけが完走への道と思いゆっくりと走り出す。
昨年までの湯田中のスタートも応援がすごく勇気百倍を頂いたのであるが、今年からの市内コースはそれに数倍勝る観衆が大声援で見送ってくれて涙が出るほどの感動なのである。平林街道を500mほど走って折り返し、JRのアンダーパスを抜けると5キロ地点である。ここまで32分思ったとおりの入りになって安心だ。
5キロ〜10キロ(10キロ通過1:04'31" ラップ32'26")
善光寺下の交差点も大観衆で応援が素晴らしい。中央通りを駅前の交差点まで走るのだが、これを最後のフルマラソンにしようと心に決めているのでここを走るのも最初で最後かなと少し感傷的になりながら市内の町並みを見ながら走る。
駅前を曲がると会社の所長が沿道に立っていた。大きく手を振って「頑張ります」と声かける。
バスターミナルと九反の交差点を左折して10キロ地点のビッグハットにに向う。車で走ることはあっても道の真ん中を自分の足で走ることはない。新鮮な発見が随分とあるものだ。ここの5キロも快調に走りきる。
10キロ〜15キロ(15キロ通過1:37’27" ラップ32'55")
10キロを過ぎた給水場でドリンクと水を補給する。しかし冷たいせいかお腹がググとなる。一番心配したことが本物になりそうなのである。今朝から家で2回、スタート前に1回とトイレに入るがいつものような快便がないのである。
レース中の便意はたまらないのである。ここまで来る間もなんとなく腹の調子が悪くトイレを横目に走ることも有った。そのときはそのときと気を取り直して母袋の交差点を越え、長野市の清掃工場の周りを走って犀川の堤防に出る。
五輪大橋の上を先行するランナーが見える。「サブスリー狙いのランナーだな」と自分とは違った目標で走るランナーをうらやましく思う。
落合橋北詰を左折し更に右に廻ってエムウェーブへの道に出ると15キロ地点である。ここも踏ん張って目標タイムをクリアーできた。
15キロ〜20キロ(20キロ通過2:11'05" ラップ33'38")
勤務先であるエムウェーブの周回に入る。昨日きれいに清掃した後が清清しい。遠来のランナーも気分よくここを廻っていったと思うと嬉しい限りだ。
エントランスを写すカメラに向って大きく2回手を上げる。仲間へのシグナルである。西側の妻戸の脇で仲間が待っていてくれた。昨年まではここが26キロ地点で、疲れも見え初め足が上がらなくなっていた地点であるが、今年はここが17キロ地点でまだまだ余力は十分なのである。「ガンバルゾー」と一声かけて駆け抜ける。来年は高橋君にバトンタッチだ。ここもトイレを横目に見ながら通過した。
18キロ地点には信大養護学校の太鼓クラブが少し調子の外れた応援で盛り上げてくれている。
五輪大橋の手前19キロ地点で先行していた小林君がひざの激痛でレースを中断していた。「無理するなよ」と声かけると、「20キロまで行きます」と足を引きずりながら懸命に走り出した。彼をこのレースに誘ったものとして残念ではあるが、まだまだ30歳、彼のような根性マンは体調回復を図って必ずリベンジを果たすものと思う。捲土重来を祈るばかりである。五輪大橋の中間が20キロ地点でここも快調に通過する。
20キロ〜25キロ(25キロ通過2:46'13" ラップ35'07")
五輪大橋をわたると中間点である。2時間15分以内の通過が目標であったが3分遅れて通過する。
ここからが難所の大塚南交差点までの折り返しコースである。疲れと暑さで歩き始めたランナーも大分見えてきた。
23キロ地点で折り返してきた根橋さんが手を上げながら余裕で走っていった。私は1キロ以上後を走っていることになる。折り返して25キロ地点のホワイトリングにつく頃には大分疲れを感じてきた。温度も上がり、体力の消耗が激しいのだと思う。今年はTシャツにするかランニングシャツにするか迷ったが、オカーサンの薦めと弟の好意でランニングにしたことがこの暑さ対策には本当に効果的だったと思う。
大きなブラスバンドの声援を受けながらホワイトリングに到着し、ここで足を止めてポカリとバナナを口にする。
どうやら腹の具合は収まったようである。
25キロ〜30キロ(30キロ3;23'45" ラップ37'32")
ホワイトリングから1キロ走ると千曲川の堤防に出る。昨年足が止まった35キロ地点は今年は26キロでここで足を止めるわけには行かないが、なんだか足が重くなってきた。周りを見るとウォーキングに切り替えているものの方が多い。しかしここからウォークでゴールできるわけがない、「俺の根性はここからが見せ所」とばかり次々と抜いてゆく。
3日前にここらが一番きついところと思いイメージトレーニングをしたところでもあり、苦しいながらも走り続ける。
堤防下の八幡原史跡公園は桜が満開で、走りもがくランナーを見ながら花見を楽しんでいるのである。「ウーン俺はこのレースを完走しなければ花見が出来ないのだ」と言い聞かせる。
松代大橋の下に差し掛かると、橋の上をサブスリーに挑戦したランナーが爆走しているのが見える。
30キロ手前でばらけたランナーを尻目に土手下で小用をたす。品がよくないが1秒でも惜しいのである。30キロ地点からはゴール会場のざわめきが伝わってくる。早く私もあそこまでと思うも少しも足が出なくなる。
30キロ〜35キロ(35キロ通過4;03'18" ラップ39'32")
いよいよ足が前に出なくなる。残り10キロの32キロに来て、時計を確認すると1時間20分の残り時間である。5キロを40分でと言うことは少し厳しいものがあり、一時もウォーキングを入れることは出来ないと思い、しびれ始めた右足をとにかく上げて走り続ける。
岩野橋の取り付けの坂はさすがに足が上がらなくなり、初めてウォークが入った。しかしここで走りを止めるわけにはいかない。昨年の最長走破距離35キロもクリアーしていない。橋に出て又走り始める。
橋を渡れば34キロ地点もう殆どのランナーがウォーク&ランで進んでいる。私も歩いているのと代わりがないくらいの速度になっているが気分はいまだにランニングなのである。35キロを4時間以内で通過できれば完走は出来ると踏んでいたのであるが3分遅れでは厳しい状況である。
35キロ〜40キロ(40キロ通過4:43'29" ラップ40'11")
例年の結果を見ていると最終関門さえ通過出来れば競技場の関門は少しは時間を容赦してくれている。その延長時間を5分と読んでいる。何とか足さえ上げていればぎりぎりでいけるぞと思う。
35キロを過ぎて500mほど走って私の気持ちの中の最長走破行距離は終わった。足が止まったのである。昨年の記録を0.5キロ伸ばせたのだからいいやと言う気持ちを持ちながらウォークで200m進む。35.9キロも収容関門は12時55分であったが5分前に通過することが出来た。
いよいよ仕上げの距離に近づいてきた。気を取り直して周りのランナーに遅れをとらないようにウォーク&ランで必死に進める。ウォーキングでは遅れをとるので、とにかく足を上げていなければならない。残り5キロを45分のもちタイムでと思ったが4分遅れだ。
38キロ地点で2回曲がって長野ICに出る。ここから松代大橋までの取り付きはきつい登り坂となっていて、殆どのランナーが時計を気にしながら歩いている。橋の途中から又走り始める。残り3キロで25分の残りタイムがあり少し安心してゴール会場に向う道路に出る。
39.8キロの最終関門は競技役員にせかされるように励まされて2分前に通過できた。
最後の給水場で水とポカリで喉を潤し、25キロ地点からずーと手にしてきたスポンジに水を含ませる。菅笠を被った同年輩のランナーが「アーよかった、もうここから歩いて入っても大丈夫だ」と笑わせる。私も同じ気持ちになってはじめて完走が本物となったことを喜ぶ。
40キロ〜ゴール(ゴール5:00'31" ラップ17'02")
ようやく完走も見えて一安心。しかしここから続くゴールへの花道は歩くわけには行かないのである。
最終関門を通過できたランナーが最後の力を振り絞ってどんどん先に行く、そして私を追い抜いてゆく。おまけに競技役員が競技場ゲートの閉鎖をメガホンで連呼する。「そんなにせかすなよ」と不満を覚えながらも足を前に進める。
41キロ地点では最後に来て力尽きたランナーが倒れていて、私が競技場に入る前に救急車が大きなサイレンを鳴らして走っていった。ここまで走ってきた残念だろうなと思い、そして無事であって欲しいと願うのである。
とうとう5時間かけてゴール会場にこぎつける。人工芝のふかふかとした中を気持ちよく走ってゴールを踏んだ。
時間は自分の持った時計で5時間に30秒遅れではあったが走りきるということでは満足のタイムであった。
フィニッシャーズタオルをゲット
荷物交換所で荷物を引き取り、木陰に腰を下ろして静かに今までのことを振り返る。フルマラソン挑戦は今回を最後にしようと心に決めたレースを無事完走できたことの満足感がひしひしと涌いてくる。しかしこれで走る目標を失ったら、そのほうが大きなデメリットかもしれない。少し休んで又新しい目標を定めてランニングを楽しもうと思っている。
|