2003年長野マラソン敗退の記録
天気が気になり前夜寝る前に夜空を見上げる。星空とは言えないが星の瞬きも見えれば、明日の天気は何とか持つだろうと期待してぐっすり休むことが出来た。
夜明とともに起きだして、気になる天気予報をTVで確認すると「今日は終日雨、降水確率70%」の予報にがっくり来るのであった。昨年のゲンを担いで雑煮を食べる。あまりマラソンに興味のないオカーサンもそれとなく気を使ってくれていることが感じられ有り難い。それに今年も町内会のどぶさらいと重なりいやな顔もしない。3年連続で日程が重なっているのである。
6時過ぎに家を出る頃にはとうとう雨が降り出して気が重くなる。
ゴール近くの消防学校の臨時駐車場に車を停めて選手専用バスで湯田中のスタート地点に向う。
もう5年連続になるが高ぶりを抑えたランナーが静かにイメージしているのはいつもと同じだ。高速道路を走るバスは、しのつく雨を浴びてしぶきを飛ばしている。湯田中に着くころには雨脚し衰えて少し気が楽になる。
ブドウ畑のハウスが急遽開放されて、着替え場所に提供されていた。大事な畑を提供してくれた地元の好意が嬉しく感じ、他県から遠征の選手に少しでも好印象を持っていただけただろうと思うと、地元の人間としても嬉しい限りである。
少し遅れて到着したNさん、Bチャンと合流してハウスの中でスタートの準備をする。時々大粒の雨が落ちてきて不安になるが、ベテラン二人の雨中ランニングのアドバイスを受ければ少しは安心だ。何しろ雨の中ではレースはもちろん練習もしたことがない。
しかしいつものように路上に腰を下ろしてウォーミングアップが出来ない。
スタート時間が迫ればスタッフが盛んにスタートブロックへの誘導を案内するがこの雨ではなかなかスムーズには行かないようだ。ゴミ袋を即製の雨衣にし手荷物を預けて最後方のスタートブロックに並ぶ。
スタート5分前の選手紹介が始まる頃にはうその様に雨が上がってきた。
ゴミ袋を脱ぎ捨てると号砲1発スタートが切られた。
最後方からTVカメラに両手を振って元気に飛び出す。濡れた道路は滑りやすいが湿った空気は息をするのには好都合である。雨の中では集まりにくかった観衆も熱心に応援してくれて勇気が出る。何とかゴールまでたどり着けるようガンバローと思う。
中野市内に入る頃には心配した腰、左すねが痛み出して先が案じられるが、かまってはいられない。5キロの入りは31'17"ちょっと早いかなと思うがそんなに早く来た感じはない。
少し小雨が落ちてきて、応援がにぎやかな中野市内を抜けて小布施町に入る。
りんご畑の中と高速道路の側道を抜けて15キロの小布施橋にかかる。矢張り腰・ひざの痛みは収まらず、少しかばいながら走るのでペースが上がらない、千曲川サイクリングロードに出ると今年もTさんから「永井さんガンバレ、いいペースだ」と声がかかる。16キロ手前の給水所でしっかり給水をとる。
これから8キロ続く単調な堤防道路は1番の難所で延々と先行するランナーが目に入ってうんざりするのである。
20キロの給水所ではバナナをほおばり一息つく。
中間点の村山橋は工事中で転げ落ちるような急坂を下って地下道に入る。招待選手や1一流ランナーはここを高速で飛ばしたのだろうかとびっくりするのであった。
中間点通過は2時間20分を越えて昨年より5分遅い、少し焦りが出てくる。
中間点を過ぎると堤防の水防小屋の前でNさんの奥さんがダンボールに名前を書いた応援してくれていた。更に24キロまでの堤防道路を黙々と走るが、この辺で疲れが出てきて足が重くなってくる。
屋島橋からエムウェーブに通じる道は何回かトレーニングで走った道である。25キロを過ぎていよいよエムウェーブに差し掛かる。昨日ここを「11時55分に通過しなければ完走は無い」と宣言してきたが・時計は12時を廻っている。仲間の声援を受けるが、もうよれよれで余力が無い。それでも「これからが根性の見せ所だ、何とか完走するぞー」と一声かけて駆け抜ける。
五輪大橋の手前28キロの給水所で後ろから着たNさんに抜かれる。お互いに一杯一杯のようで、Nさんから「30キロまで走って様子を見る」と声がかかるが私にはもう限界が近づいている。トイレに入って先行するNさんを追う。五輪大橋を何とか走りきって30キロ通過、大きな計時板は3時間30分を刻んでいる。スタートの誤差が5分と見ているが、「残り12キロを1時間20分か、ぎりぎりだナー」と思う。
遠くで雷が鳴り、降り出した大粒の雨を浴びながら「こうなったら昨年より1mでも長く走ろう」と気持ちを切り替える。南大塚の32・5キロの折り返しも何とか堪えて走り、ホワイトリングの34キロ地点に到着した。「昨年より最長走破記録が伸びたぞー」と少し気分を良くして屈伸運動をする。気を取り直して再度走り始めるが、堤防道路の35キロ計時を踏んで足は止まった。4時間4分30秒ノンストップで走るのがやっとであった。
昨年より10分くらい遅いのだろうか、「残り7キロを55分ではきついナー」と思いながら、回りのランナーに遅れないようにウォークランに入る。もうランニングを続けているランナーはいない、皆同じくらいのペースでゴールを目指している。更埴橋を渡って千曲川右岸堤防に出るとKさんら3人が応援に待ってくれていたが、力なく手を振るだけであった。「Nさんが200m先を行くから頑張って追いかけてー」というがもう完全に足があらない。
残り5キロの給水所で時間を確認するが5時間まで残すところ35分では到底無理な時間になっていた。更に次の最終関門39.8キロまで20分しかない。最後の気力を振り絞って走り始めると、スタッフが「ガンバレー!でも関門まで2キロを10分では厳しいナー」の声に、「頑張ったけど駄目か」と言う諦めが初めて体を走り、疲れがどっと出るのであった。
暫くウォーキングの後、38キロ地点でストップウォッチを停めた。
今年の長野マラソンは終了した。4時間32分。
コースを外れ松代大橋の歩道を歩きながら最終関門地点の39・8キロで歩いて収容バスに乗る。
バスに乗り込むときに右足ふくらはぎが、筋肉のこわばりによる激痛が走ると、やっとこれが「今年の限界まで頑張ったのだ」と自分に納得するのであった。
残念ではあるが、「やれることはやった」と言う爽快感も有り、バスの中で他のランナーと話を交わす余裕があるのはどういうことであろうかと思う。
2キロの道をバスに乗って競技場につくとちょうど最終ランナーがゴールする時間であった。又降り出した雨の中汗と雨でぬれたシャッツを着替えて応援団と記念写真を撮った。
更に来年の健闘を約して競技場と応援団に別れを告げた。
PS
5月1日、本番と同じランパンをつけて残りの4.2キロを走ってきた。痛んだ腰も違和感が残っていたがどれほどもない4キロを汗流しながらゴール会場の南長野運動公園の長野オリンピックスタジアムに到着しけじめをつけた。
来年は付け焼刃的なトレーニングから脱して毎月コンスタントな練習を積み脚力をつけて挑戦する覚悟だ。来年も元気に出場できればこれに勝るものはないのであるから。
5月1日残り4.2キロをを走って完走しました
|