黒檜山 | クロベイヤマ | 標 高 | 2541m | 山岳標高1003 | 山 域 | 南アルプス |
登 山 記 録 | |
登山月日 | 2014年7月22日〜7月23日 |
登山経路 | 7月22日 三峰川林道杉島ゲート(10:50)〜10.5キロ三峰川第二発電所(13:15/13:30)〜大曲ゲート(14:30)〜巫女淵・延命水〜塩見新道登山口(15:30)〜20.5キロ自転車デポ地点(16:10/16:20)〜23.5キロ幕営地(17:10) 7月23日 幕営地(5:00)〜徒渉地点(5:40/6:10)〜1650m付近の尾根(7:40)〜2054m小ピーク(10:30頃)〜黒檜山(11:55/12:25)〜徒渉点(15:50/16:10)〜幕営地(16:40) 幕営地(17:10)〜自転車デポ地点(18:00/18:10)〜大曲〜三峰川発電所(19:00)〜林道ゲート(21:10) |
行動時間 |
幕営地から黒檜山まで 登り 6時間55分 下り 4時間15分 合計 11時間40分(休憩含む) 林道走行一日目 6時間20分 二日目 4時間 行動時間一日目 6時間20分 二日目 16時間 合計22時間20分 |
天 候 | 一日目 晴 二日目 晴 |
メンバー | 単独 |
情 報 | |
アクセス | 林道は終点近くまで車は入れるが進入規制中 |
トレイル | 登山道はないが徒渉地点から1680m付近の尾根に上がれば尾根上に顕著な踏み跡とテープが付いている |
水場・トイレ | 黒檜山山中には水場はない 林道途中では延命水など随所に水場ある |
その他 |
登山道無き藪山と云われるが徒渉点から尾根に上がると山頂まで藪はない 林道が大曲まで開通すれば随分と楽になる その日も近いようだ |
山行記
南アルプス黒檜山(クロベイヤマ)と聞いてもその存在を知るものは稀であると思う。 私がその名を知ったのは、国土地理院の「日本の主な山岳標高1003山」である。山渓の「日本の山1000」も今では関東甲信地区に未踏の山は殆どなくなり、少しは名の知れた山はないかと「・・1003山」の長野県をクリックするとそこに名前が載っていたのである。天竜川の支流三峰川上流にあって、仙塩尾根の熊ノ平付近から延ばした支尾根の先端にある山で標高は2541mである。(平成26年標高点改訂されているので、最近調査登山がおこなわれたものと思う) 更にネットで検索してみると「激藪の隙間より」・「等高線の狭間から」など著名な藪山名人の山行記録を見ることができた。しかしこれらの怪人・超人ともいえる登山者に比べ、70歳を過ぎた非力な私にはとても無理な無謀な登山になりそうである。 激藪氏・等高線氏ともに、三峰川林道の15.5キロポイントの大曲ゲートからの記録であるが、現在は三峰川林道は起点の杉島から車両通行規制されている。最近の記録では今年の5月、林道を大曲を過ぎて25キロ終点近くまで自転車で入り幕営2泊、残雪の黒檜山に登ってきたと云う記録もある。 これからは体力の低下が一気に進むことを考えると、黒檜山への思いは強くなり、私も自転車引いて林道を歩き(下りが楽である)黒檜山登山を決意したのである。 更に私には林道10キロポイントにある三峰川発電所取水口堰堤の築造に18歳〜19歳秋まで1年半過ごした社会人スタートの思い出の地であり、ここを訪ねる楽しみもあるので少々苦難の林道自転車行脚もそれほどの苦にもならないのである。 そして7月22日梅雨明けを待って計画は実行されたのである。 一日目 三峰川林道起点ゲートから20.5キロ付近まで自転車を引き(2割くらいは自転車に乗れた)、3キロほど歩いて23.5キロ付近林道脇で幕営。(行動時間は約6時間) 二日目 三峰川を徒渉して尾根に駆け上がり、踏み跡薄い稜線を黒檜山山頂を10時間かけて往復、18時過ぎにテントを撤収し楽勝と思った下りの林道で悪戦苦闘の末三峰川林道起点のゲートに21時過ぎに帰還した。(行動時間は約16時間) 71歳のロートル登山者には厳しい南アルプス黒檜山登山ではあった。 <一日目> 【三峰川林道を行く】 淡い期待を抱いて伊那市旧長谷村杉島の三峰川林道ゲート前に来た。しかし林道ゲートはしっかりと施錠されていてバイクの侵入も防ごうという造りであった。私はゲートの連絡先の長谷支所の道路管理所に電話を入れてみたが、「落石の危険があり以前車が大破したので当分通行解除はない」、「今復旧工事をしているのでいずれは一般車の通行も出来るようになる」とのことであった。結局予定通り自転車を引いて25キロの林道歩きを覚悟した。登山支度をしていると出入りする車もあり、「50年前に従事した現場を訪ねてみたい」と声かけると三峰川発電所工事関係者であって、「発電所は運転開始50年が経ったので水車などの設備更新作業中だ」ということを知る。 三峰川発電所関係者のゲートの開閉を利用して上手くゲート内に入り、背中には15キロ超のザックを担ぎ折りたたみ自転車にはテントなどを括り付けて、舗装道路の林道を行く。林道ゲートは起点標識より1.2キロほど手前であって里程標は0.5キロおきに立てられている。 2キロ地点までは舗装道路であったが、その先は砂利道であり、それなりに整備がされていた。3キロ地点で田城高原分岐になっていたが、柏木集落から林道がここに続いているようだ。さらに4キロ付近が丸山谷であって少し記憶がよみがえる。この辺から少しは自転車に跨ることができた。
ここら辺が小瀬戸峡であるが私が過ごした50年前に比べ随分と河床が上がっていて渓谷美もそれほどには感じなくなっている。
この対岸に「小瀬戸の湯」があったが今は何もない「。復活すればよいな〜」と思いながら。 そして10キロ1/2ポイントに来ると懐かしい風巻谷の三峰川第二発電所に到着だ。 ここまで2時間半、歩いても変わらぬ時間であった。 半世紀以上も前の18歳の春から19歳の秋まで過ごした懐かしい現場跡である。 この左側の河畔林の中に現場事務所・宿舎があり、いわゆる飯場があった場所である。 昭和36年「伊那谷豪雨災害」では、目の前の荒れ狂う三峰川本流と、支沢の土石流に生きた心地のしない恐怖を覚えた場所でもある。
発電所の設備更新作業で沢山の工事関係車両が現場事務所に有って、車進入禁止の林道も随分整備されている理由も分かったのである。
思い出の地に懐かしく20分ほどの休憩をとってさらに林道を行く。 傾斜がない林道を連続1キロくらい走れる場所もあって、三峰川発電所から5キロ先の15.5キロポイントの大曲ゲートには1時間で着くことができた。ここは塩見岳への登山基地であり川原に大きな駐車場があったが林道閉鎖の今、ここに車があるわけはない。いずれ林道が開通し塩見新道を登る人の朗報になればよいなと思う。 ゲート脇には登山者用に通路があって自転車でも入れることができた。
ゲートの先は大曲橋である。今は車道用に架け替えられているが、私がいた頃は森林鉄道が走っていて、その奥で工事中の建設資材は全て森林鉄道で運搬していた。
大曲を過ぎると両岸が切り立った岩場で、下を流れる三峰川には淵が連続する「巫女淵」である。昭和36年、伊那谷豪雨も収まり、清流を取り戻したお盆休みに産業医として現場に詰めていた信州大学の伏見先生と誰はばかることなくスッポンポンになって水浴びしたことが思い出させられる。 巫女淵のすぐ先には岩場から滲みだす延命水だ。火照った疲れた体には何とも言えない上手い延命水である。 車両進入規制された三峰川林道であるために釣り人にも遠いところとなった。最近の新聞には三峰川上流には天然イワナの魚影も濃いというニュースも伝わっている。 延命水を過ぎると林道の傾斜が少しずつ増してきて自転車を押すのも少しは億劫になってきた。 大曲ゲートから3キロ、18.5キロポイント付近が塩見新道の登山口である。私も1999年、ムスコと二人、この登山道を6時間かけて塩見山荘に入った。三峰川林道閉鎖の今、ここを登る登山者は皆無に近いであろうと推測される。塩見山荘は旧長谷村が立てた山小屋であるから、塩見岳最短登山道に賑わいが戻ることを祈るばかりだ。 塩見新道の先、大黒橋を三峰川右岸に渡り、更に傾斜が増した林道を行く。歩いたほうが早そうなので、20.5キロポイントで自転車を引くのをあきらめて林道脇にデポした。 自転車に付けたテントなどをザックに括り付けるとさらに重くなり、なかなか足が進まない。 少し歩くと上流側から4駆のSUVが下ってきて驚く。学術調査の車かと思ったが、この先の第二発電所の取水口で作業を終えた工事関係者であることが後で分かった。 11時前に林道起点を出て6時間、17時を回ってはもう限界であった。丁度林道脇に引水した水場がある23.5キロ付近で幕営することにしてザックを肩からおろした。自転車を引いた疲れはそれほど感じなかったが、自転車を漕いだ足には大分ダメージがきていた。テントを張って持参したロング缶のビールと四合の日本酒を飲み、レトルトの中華丼を食べると疲れと酔いで一気に睡魔が押し寄せ、三峰川本流の瀬音を枕に爆睡状態に陥るのであった。 <二日目> 【黒檜山アタック】 前夜は疲れと心地良い酔いで十分睡眠がとれた。4時前には起きて雑炊などでしっかりと腹ごしらえした。何しろ道の無い標高差1000mの黒檜山を往復するにはシャリバテとナーバスになったら挑めないのである。テント内を整理したあと5時には気合十分で幕営地を出た。 林道を10分ほど進むと24キロ地点に三峰川第二発電所の取水施設があって、ここも設備点検中で沈砂池は水が払ってあり、ユニック車が駐車していた。昨日林道途中であった車両はこの工事関係者であると思う。 三峰川第二発電所の取水口
三峰川林道はここまでが車両通行可能で、その先は崩落土砂が道を塞ぎ、1キロほど上流で左に道を分けた後三峰川の川原に消えていた。川原には鋼鉄製の砂防施設が土砂や流木をせき止めていた。地形図を広げて見ると徒渉点を過ぎてしまったようである。林道の対岸に取り付けそうな場所を確認しながら少し戻ると絶壁の続く岩場に樹林帯が伸びている場所を見て川原に下った。
対岸には青テープが見えたので迷うことなく地下足袋に履き替え膝上までの水深の三峰川を10mほど徒渉した。青テープはまだ新しく、最近つけられたものだ。 三峰川徒渉点には最近つけられた青テープがあった
さあいよいよ黒檜山山頂アタックである。地下足袋は川原に乾して登山靴に履き替えて靴ひもをしっかりと締めると気合が乗ってきた。等高線氏(等高線の狭間よりの管理者)のルート図が頭に入っているので迷うことなく樹林帯に入り、被さるような岩場の下部に取りつく。岩場で上方に続く道が見えなければ左右を確認しながらザレた岩屑の斜面を横切り、次の岩場に取りつきながら高度を上げて行く。結局2か所のザレ場をトラバースし岩場を登りきると杣道らしきが見える小尾根に着いた。「下山時が大変だな〜」と思いながらも間違いなく「等高線氏」のルートに乗ったようである。小尾根の樹林帯を右に10分ほど登ると顕著な尾根に出た。黒檜山山頂に続く尾根であることを確信すると胸をなでおろし、下山用に2か所赤テープを付けた。
しっかりした踏み跡と赤布が下がる稜線 尾根上には踏み跡鮮明で、「この尾根を忠実に辿ればよいのだな」と思うと気が楽になる。しばらく進むと徒渉点にあった青テープが現れて導いていた。登山道のない山にしては少々目障りではあるが、まああるものは利用しなければと思い、これから先山頂まで青テープを追うことになった。もちろん所々で地形図を見ながら位置確認は忘れない。KUMO氏・激藪氏・等高線氏などが歩いた時は、まさに登山道のない山で有ったのであろうが、今は後を追うものが多く何の問題もなく高度を上げて行くことができる。シラビソ林の中は藪は皆無で時々岩場も現れるが特に問題はない。樹林に木漏れ日浴びて咲くシャクナゲなども可憐である。 地形図にみられるように川原から150mほどかけ上がって尾根に取りつき、尾根上を高度を上げて行くと1870m付近が台上になり、さらに2054mには小ピークを持った台地があり、最後は500mの直登であることが分かる。最初の台地1870m付近に来ると木の間越しに仙丈岳方面が見えてきて、後方を振り返ると風巻峠から小瀬戸山・丸山などの三峰川の中間にそびえる山々が肩を並べる。 倒木帯等もあるがそれほど苦になることもく、時々現れるシャクナゲの岩稜は上手く回り道が切ってある。
しかし昨日23キロ超自転車を引き、時々は跨って踏ん張ってペダルを踏んだ脚の疲労は思いのほか大きいものであって、足が重いのである。何しろあまり使わない大腿四頭筋が疲れ切っているのだ。
まあ激藪氏や等高線氏は三峰川徒渉地点から3時間強で山頂に立っているが、私は4時間半か5時間はかかると思っているので慌てることはなかった。2054mの小ピークに登りつくころには膝に纏わりつく雑木もなくなりシラビソの巨木の下を行く。2054mピークから僅かに下ると右上方に黒檜山が姿を現したが山頂はさらに奥である。 2054mピークを下って山頂方面が見えてきたがここからが黒檜山の核心部を登る
ここからが最後の修羅場の直登500mであった。尾根を忠実に辿ると岩稜帯が現れるが危険を感じるほどでもなく先述の青テープが導いてくれる。しかしさらに足は上らなくなり、歩数数えながらの連続歩行が50歩も続かないのである。
尾根状の岩稜帯を登りきると尾根は消えて、上方に木の間に青空が覗かれるようになり山頂が近いことが分かる。 シラビソ林の中青テープを追って高度を上げて行くと山頂稜線に登りついた。 山頂直下は若木のシラビソ樹林
傾斜の緩んだ稜線をわずかに進み、テン泊場から7時間・徒渉地点から5時間半・尾根に上がってから4時間15分ほどかかって、正午前に三等三角点の黒檜山山頂に立った。
刈払われて小広い山頂と「KUMO」氏の山頂標識 シラビソ林に囲まれて展望のない地味な山頂には見てみたいと思っていた「KUMO氏」の山頂標識を見て感動ものである。 私も「KUMO氏」・「激藪氏」・「等高線氏」そして林道を自転車利用で稼ぐ静岡の「わたぼう氏」などの藪山マニヤと同じくこの南アルプスに人知れず佇む黒檜山に立てたことに誇りを感じるのであった。 山頂をカメラに収め、ドコモの電波が届くスマホでFACEBOOKに登頂報告を投稿し、昼食をとった。 山頂には黒檜谷方面の尾根から登ってきたと思われる踏み跡があったが、尾根続きの仙塩尾根方面には踏み跡はなかった。 予定よりは1時間以上遅れていたが下山に問題はないと思えば慌てることはなかった。 往路に追った青テープを再び目印に下山にかかる。迷いそうな場所には持参したテープを付けてきたので心配はない。しかし疲れた足は下りになっても重いのである。登る時には気付かなかった2054mピーク付近から仙丈ケ岳が見えた。 山中唯一の仙丈ケ岳展望 適当に休憩を入れながら1870m台地に下り、ここでルートミスを犯してしまう。 青テープに補足した自分のテープを追加してあった尾根を下ったつもりが、途中から踏み跡もなくなり、尾根を間違ったかなと気付いた時はすでに100m位は下っていた。しかし顕著な尾根は下方に下っているので、委細構わずそのまま下った。 やがて右下方に三峰川の川原が見えてきて、川原の上流には朝見た鉄製の砂防堰堤が見える。下り道を探しながら慎重に下ると川原に流れ下る小さな沢の縁に樹木が続いているのが見えた。ザレた小沢に踏み入れて足場を確保しながらぐんぐん下り、最後は小木や草の根にをつかみながら川原に下り立つことができた。川原に下り着く前には踏み跡追有ったのでここを下りた者も何人か居たものと思った。朝徒渉した地点より200mほど上流で朝徒渉した後に取りついた岩場よりは、ははるかに安全なところを下れたことは結果オーライはまずいがラッキーであったことは言うまでもない。 登山靴を脱ぎ靴下履いたまま三峰川を対岸に渡り、下ったところを振り返ると周囲は断崖絶壁の岩場が続いていてまさに一点突破の幸運であったことが分かる。絶壁の岩場を強引突破で下ってきて、最後の3mほどをトラロープ張って胸丈まである淵に飛び込んだと思われる登山者の残置ロープが下がっていて、この登山者の悲運を嘆くとともに、自分の幸運を素直に喜ぶのであった。 200mほど下流の徒渉点まで下って再び靴下のまま対岸に渡り、地下足袋を履いて渡り返した。素足のまま登山靴を履いて幕営地テント泊場に30分ほどで下った。 【三峰川林道を下る】 時間は17時を回っている。「下ろうか・もう一泊しようか」逡巡する。 食料は十分あるが酒がない。「下り3時間あれば林道起点のゲートに戻れる」と思うと、急いでテントを撤収し、3キロほど下流の自転車のデポ地点まで歩くと18時過ぎになっていた。 ここでも逡巡するが、闇夜にヘッドランプつけての下山を覚悟して自転車に跨った。林業関係者のオートバイが軽快に下ってきて、声もかけずに追い越して行った。 さすがに自転車、下りは速いものである。一度も降りることなく延命水で水分補給した後、大曲ゲートを超えて、中間地点の第二発電所まで10キロを45分で下り19時ジャストに通過した。残り10キロ、「20時には林道起点に帰りつくかな」と思ったのが、取らぬ狸の皮算用であった。林道8キロ地点の小瀬戸谷付近に下ると林道路面補修で敷いた砂利に突っ込んで転倒した。その後も下り勾配であっても締りの無い砂利道を自転車引いて下るしかなかった。 すでに夜の帳は降りてヘッドランプを点けていて、灯りに蛾が寄っきてわずらわしいことこの上もない。時々は自転車に跨ったが時間短縮するほどでもなくただ疲れが増すばかりである。 田城高原分岐を過ぎると完全に登り勾配となっているので黙々と自転車を引いてゆく。3キロ地点になりようやく舗装道路となり、快適に下れるものとほくそ笑んだのもつかの間、グレーチングの外れた横断側溝に突っ込んでしまい、ザックを担いだまま大きく転倒した。気を取り直して自転車を起こすとなんと後輪パンクである。「まさに泣きっ面にハチ」「好事魔多し」である。舗装道路の下りを自転車引いてゆく惨めさである。アクシデントは林道起点までは1.5キロ付近で有った。途中で沢水の瀬音を聞いて林道に大の字になって休憩し水分補給した。疲労困憊である。0.5キロおきに立つ里程標を頼りに歩数数えながらようやく起点まで下ったが、修羅場はさらに続くのである。林道起点の0キロポイントかと思ったら、1.5キロポイントの里程標が立っていた。登る時に少しは気付いていたが、まさか林道起点から先のゲートまで1.5キロもあるとは思わなかった。 それでも死力を振り絞ってゲートに到着した。時間は21時10分であった。今朝5時に幕営地を出て12時間で黒檜山を往復、テントを撤収、自転車に跨って3時間、行動時間は16時間を越えていたのである。ゲートをザックを担いで越え、さらに自転車もなんとかゲートを越えてザックや自転車を車に積み込む。 濡れた作業着(今回は藪山であるから作業着で登山した)・下着を全て着替えてさっぱりとした。 疲労と空腹を抱えて21時半過ぎに杉島の三峰川林道ゲートを後にして高遠に下った。高遠のコンビニで食料・酒肴を調達の後、美和湖畔の「道の駅・南アルプス村」に戻ってお腹を満たした後、車中で休んだ。 翌日予定していた地蔵尾根から松峯小屋泊の仙丈ケ岳登山は当然諦めざるを得ないほどのダメージを受けていた。 |