黒部川源流域の山
鷲羽岳 | ワシバダケ | 標 高 | 2924m | 日本百名山 |
山 域 |
北アルプス |
三俣蓮華岳 | ミツマタレンゲダケ | 標 高 | 2841m | 日本三百名山 |
山 域 |
北アルプス |
黒部五郎岳 | クロベゴロウダケ | 標 高 | 2840m | 日本百名山 |
山 域 |
北アルプス |
北ノ俣岳 | キタノマタダケ | 標 高 | 2661m | 日本の山1000 |
山 域 |
北アルプス |
登 山 記 録 | |
登山月日 | 2008年8月13日〜17日 |
登山経路 | 8月13日 飛越トンネル登山口7:20〜神岡新道分岐9:25〜寺地山10:35〜避難小屋分岐11:35/11:55〜稜線14:15/14:25〜太郎平小屋16:00〜薬師峠キャンプ場16:20 8月14日 薬師峠6:55〜太郎平7:20〜薬師沢小屋9:30/9:40〜A沢出合11:30/12:00〜B沢出合12:15〜高天原峠15:15〜高天原山荘16:20 (山荘17:00〜高天原温泉17:20/17:35〜高天原山荘18:00) 8月15日 高天原山荘6:00〜水晶池7:10/7:25〜岩苔乗越10:00/10:10〜三俣山荘12:40/14:10〜鷲羽岳15:15/15:25〜三俣山荘16:10 8月16日 三俣山荘8:35〜三俣蓮華岳9:35/10:15〜黒部五郎小舎12:40 8月17日 黒部五郎小舎6:40〜黒部五郎岳9:10/9:20〜中俣乗越〜赤木岳〜北ノ俣岳13:25/13:35〜稜線分岐13:45〜避難小屋分岐15:25/15:30〜寺地山16:25〜神岡新道分岐17:35〜飛越トンネル19:40 |
行動時間 | 第一日目 9時間25分 第二日目 9時間25分 第三日目 10時間10分 第四日目 4時間05分 第五日目 13時間 合計 46時間25分(休憩時間を含む) |
天 候 | 第一日目 晴 第二日目 晴/雷雨 第三日目 曇/晴 第四日目 晴/雨 第五日目 曇/晴 |
メンバー | 親子二人連れ登山隊 |
情 報 |
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アクセス | 飛越トンネル登山口まで舗装道路 |
トレイル | ・飛越新道・神岡新道 北ノ俣避難小屋までは泥濘が酷いが緩やかな登山道稜線まで途中は高層湿原の荒れた道が続くが稜線近くになるとハイマツ帯になる。 ・太郎平まで 人気の西銀座ダイヤモンドコースで整備されている ・太郎平〜薬師沢出合 西銀座ゴールデンコースで木道などでよく整備されている ・薬師沢出合〜B沢出合 黒部川の川原を歩く ・B沢出合〜高天原温泉 山腹をまきながらアップダウンを繰り返し高度を上げてが荒れている ・高天原〜岩苔乗越 前半樹林帯、後半はお花畑の中割合歩きやすい ・岩苔乗越〜三俣山荘 ゴーロ沢を下る少々難路 ・三俣山荘〜鷲羽岳 ザレタ登山道もジグザグ切って歩きやすい ・三俣山荘〜三俣蓮華岳 人気の裏銀座コース整備されているが急坂 ・三俣蓮華岳〜黒部五郎岳〜北ノ俣岳 人気の西銀座ダイヤモンドコース |
水場・トイレ | 水場 登山口の先飛越トンネルの先に有峰有料道路料金所にトイレ水場ある 北ノ俣避難小屋他各小屋及び沢水随所で取れる トイレ 各小屋 |
その他 | コースタイムはムスコに合わせたので標準タイムよりは3割くらいは余計に掛かっている。 |
山行記 第一日目(8月13日) R471飛騨市神岡町の双六谷に掛かる駒止橋から完全舗装の飛越大規模林道を1時間ほど走ると登山口の飛越トンネルに着いた。途中で水を確保するのを忘れてしまいトンネルを抜けた有峰有料道路料金所の横にあるパーキングで水を貰いながら朝食をとり,ついでにトイレも借りることが出来た。料金所の係りはこの時期小熊が出没するので気をつけるようにといってくれた。 飛越トンネルまで戻り、支度を整えて登山口に入る。ムスコを連れて3泊4日の長丁場を歩くので少々緊張する。トンネルの上部送電鉄塔までは一気に高度を上げる。そこから神岡新道の分岐点1843m地点まではアップダウンを繰り返しながら樹林帯の中をゆく。重い荷物を担ぎながら一向に高度を上げないので憂鬱な気分になる。分岐につくと先行していた登山者が休んでいた。分岐からも殆ど水平に近い稜線を進む。ミニ湿原もあり「北ノ俣水の平自然環境保護地区」の看板も立てられていて寺地山まで続いていた。ここら辺りは酷い泥濘の登山道である。30分に一本立ながら緩く登ってゆく。
寺地山を過ぎると鞍部に下る。樹林の合間から北ノ俣岳の山麓の草原が見えてくる。 再びぬかるんで荒れた登山道を登り始め樹林帯を抜けると北ノ俣避難小屋の分岐点についた。既に標高は2050mである。ここで昼食をとる。昼食をとった後、避難小屋に向かい、水を補給する。小屋には管理人が入っていた。
湿原を抜けるとハイマツ帯になり稜線まで続いていた。稜線に登りつくと北ノ俣岳の山頂が直ぐそこに見えるが帰りのお楽しみで太郎平方面に向かう。稜線の登山道脇は素晴らしいお花畑になっていて、この時期でもハクサンイチゲの大群生が見られた。北ノ俣岳は山麓の湿原と山頂付近の高山植物が素晴らしい花の名山を実感できる。
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第二日目(8月14日) 周りの者につられて5時には食事を始めたがテント場を出たのはやはり最後になってしまい7時近い出発となった。
吊り橋を渡ると直ぐに雲ノ平への分岐となる。今回は高天原目指して大東新道を行く。黒部川の川原の中をペンキを頼りに進む。水量が多い時は徒渉もあり、大変と思うが今日はその心配もない。やはりこういうところは息子の足が鈍る。後ろを振り返り、励ましながら私が先を行く。
小屋で宿泊手続きの後、今回の山行の主目的である高天原温泉に向かう。山荘からは20分以上掛かって温泉沢の川原の掘っ立て小屋の中に湯船はあった。女性用の湯船と男性用湯船そして混浴露天風呂があったが男性は皆混浴湯船を利用して、7〜8人の先客が白濁した温泉に浸かっていた。私たちも急いで湯船に浸かったが山荘の夕食時間が気になり5分も入っていられなかった。それでも目的を達成して満足して山荘に戻る。
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第三日目(8月15日) 小屋の朝食は5時過ぎには済ませた。パッキングを済ませ、昨夜の雨で登山道は濡れているので雨着のズボンだけを着用し、6時には朝霧に包まれた高天原山荘を出ることが出来た。小屋の前は湿原になっていて岩苔平と呼ばれていてお花畑の様相であるが、この時期はそれほどの花も見られなかった。
10分ほど休憩し、三俣山荘への道、黒部川の最上流である沢を下り始める。巨石・巨岩のゴーロ沢で、ここはムスコの一番苦手としている道路状態である。遅くなることは覚悟していたが我慢の限界を超えると「早くこ〜い」と怒り声が出る。ムスコも必死であるがやはり出来ないものは出来ないのである。いらいらしながら先で追いつくのを待つというパターンを続けながら下り、時には自分のザックを置いて引き返しムスコのザックを担いで下るようなことをしながら、雲ノ平からの登山道の合流地点についた。岩苔乗越からは2時間近く経っていたであろうか?何組の登山者に先を譲ったであろうか?私は冷静さを失うほどであった。 そして思案する。
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第四日目(8月16日) 風もない静かな夜を過ごした三俣山荘のキャンプ場であったが朝は霧に包まれていた。6時過ぎにはテント場を後にそれぞれの方向に縦走をして行った。私たちは朝食もしっかりとって、テントを撤収・パッキングを済ませると8時過ぎの出発となって既に双六小屋や黒部五郎小舎そして水晶小屋を出た登山者がそろそろ三俣山荘に到着する時間であった。そして朝霧も晴れて目の前には鷲羽岳が光り輝いているのである。今日は黒部五郎岳小舎までの3時間コースで少しも慌てることはない。
チングルマなどの群生するお花畑が広がるハイマツ帯を30分も歩けば黒部平への急下降となる。巨石のゴーロ沢には展望・ゆっくりコースの巻き道もあり、そちらを下る。生暖かい風が吹き付けて天気の変わり目を感じながら、13時前に黒部五郎小舎に到着した。今日の行動時間は4時間であった。
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第五日目(8月17日) 雨の上がった黒部平の朝は周囲がガスに包まれていた。4時過ぎにはざわつき始めたテント場も6時には殆どのパーティが出発して、私たちは6時半の出発である。今日は途中エスケープルートのない飛越トンネルまでの長丁場でムスコにもしっかり歩くように伝えてある。小舎で用足しを済ませ、黒部五郎カールへの登山道に入る。 昨夜の雨で濡れたゴーロ沢を登ってゆく。最初は潅木滞の中であるが直ぐに草地になりお花畑が広がっていた。お目当てはミヤマクロユリだが、今日はコバイケイソウばかりが目に付いて他の花が余り見つからない。カールを流れる小さな沢をいくつも越えて行く。そして少しずつ傾斜を増してカールの奥に進む。
30分ほどで黒部五郎岳を下り、傾斜の緩んだハイマツ帯の縦走路になる。ここら辺りにはトウヤクリンドウが沢山咲いていた。(咲く直前) やはり黒部五郎岳はお花畑の素晴らしいカールに魅力があるというものかと思わせられる。縦走路の次の目標は中俣乗越であるが小さなアップダウンを繰り返しながら、高層湿原も見られるようになる。朝、太郎平を出た縦走者と出会うのこの辺りである。晴れそうで晴れないガスで遠望が利かない中、1時間に一本立てながら進む。中俣乗越が特定できないまま進み、正午を待って昼食休憩取る。カップラーメンにお湯を注ぎソーセージをかじる。もうこれしかない食料だ。私の背中のザックには大きなゴミ袋が括り付けられている。
北ノ俣岳で西銀座ダイヤモンドルートが全線つながり感動を味わう。しかしここで余韻に浸っている時間はない。10分ほどの滞頂で北ノ俣岳を後にする。縦走路を10分歩いて神岡新道の分岐だ。実際はここで完全に西銀座ダイヤモンドコースはつながったのである。
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