黒部川下の廊下
第一日目(2019年10月17日 天候:晴)
(黒部ダムから日電歩道・水平歩道を阿曽原温泉へ)
黒部ダム | 丸山から流れる滝 | 日電歩道の始まり |
内蔵助谷出合 | 内蔵助谷 | 下の廊下へ |
対岸に落ちる滝 | 対岸に流れる滝 | 悪路の始まり |
歩道 | 黒部別山谷 | 白竜峡上流 |
白竜峡下流 | 十字峡 | 剣沢に掛かる吊り橋 |
日電歩道 | 歩道は続く | 黒四発電所 |
吊り橋渡って右岸へ | 仙人ダム | 関電宿舎 |
山行記 扇沢駅8時の電気バスで黒部ダム駅に向かった乗客は10数名で中国人観光客が多かった。駅ターミナルには向かわず、すぐに黒部川への出口を出ると立山に朝日が当たり輝いていた。15分ほど下ってダム下の桟橋を渡り黒部川左岸の日電歩道に出た。この時期黒部ダムの観光放水はされていなくて、黒部川の水量は極端に少かった。2年ほど前に2回もAttackした黒部別山への道で懐かしい。丸山から流れ落ちる滝も随分細くなっていた。朝の時間でテンションが上がらず、最初のポイント内蔵助谷分岐には1時間半もかかってしまった。分岐で腰を下ろして朝食をとっていると後続の中年登山者が「黒部駅から1時間で来た」と言って先行して行った。私は「阿曽原まで7時間半15時半が目標」と軽口たたいたが、後で見込み違いに大いに焦るのであった。 下の廊下、内蔵助谷からが起点で、通行不能時はここから通行禁止になる。今年も9月下旬になって開通し、10月末には閉鎖になる一年で1ヶ月しか歩けない稀少ルートなのだ。内蔵助谷を飛び石伝いに徒渉して暫くは河畔を行く、緊張するところもなく石ころ岩ごろを縫って歩きまだまだ余裕充分であったが、黒部川の川幅が狭まり岸壁に切られた歩道を行くようになると徐々に緊張が増してきた。被さるような岩場を行き、対岸に大岩壁と本流に流れ下る谷を見ながら緊張しながらも見どころ満載の中下って行く。内蔵助谷から1時間ほどすると「今朝6時に阿曽原を出た」と云う登山者数名と行き交う。そして若者二人組が追い越して行った。この時もまだ「阿曽原まではあと5時間」との目論見であった。しかし中々現れない次の目標地点黒部別山谷に少々焦りを覚え始めると、崩壊した登山道を3段の垂直梯子で高巻く地点に来て肝を冷やした。結局黒部別山谷には内蔵助谷から2時間もかかって到着した。ここで昼食休憩と思っていたのであるが、「危険地帯を早く突破したい」思いで休むことなく前進した。 黒部別山谷を徒渉して岩場の歩道に上がると先行していた単独行氏がいて、「初めて先行者を捉えたか」と思ったのだが、単独行氏、私に気付くと踵を返してすごい勢いで先に行った。黒部別山谷からは白竜峡の上部を歩くのであるが、下の廊下一番ともいえる滑落危険地帯で気を緩めるわけにゆかず、針金に掴まりながら慎重に歩いた。歩道上に「白竜峡」の看板が見えると危険地帯突破でようやく休憩をとる余裕が生まれ、13時過ぎに安全な場所で肩で息しながらおにぎりを一つ頬張ることが出来た。白竜峡から次の目標地点十字峡までは比較的安全な歩道が続いていたが、当初の「15時半に阿曽原小屋到着」の目論見が外れ、「俺の足で今日中に阿曽原に到着できるのだろうか」の思いが湧いてきて気もそぞろである。十字峡には14時過ぎに着いた。先行していた単独行氏が休んでいて、黒部別山谷の手前で追い越して行った若者二人が、川原まで下りて登り返してくるところであった。「阿曽原までコースタイム3時間」を聞かされ「まだ3時間も歩くのか」の思いに本当に焦りを覚えた。 十字峡の剣沢に掛かる吊り橋の上から十字峡の写真を撮った後、再び岩場の危険地帯が現れたが焦りを覚えながらも慎重に歩き続けた。やがて対岸に「黒四発電所」の建造物が見えてきた。歩道は急坂を下って行き、黒部川にかかる長い吊り橋を渡って右岸側に出た。右岸側には工事用道路跡と思われる車道があり、覆道を過ぎると仙人ダムはすぐであった。十字峡からは2時間の行程で16時過ぎで、黒部峡谷に夕闇が迫っていた。ダムの堰堤上には先行していた幕営装備を担いだ若者2名がいた。若者に「一緒に阿曽原まで行こう」と声かけて仙人ダムの管理施設内を通り、関電の大きな事務所・合宿所の前を通って水平歩道への登りに掛かる。テントを担いだ若者二人はぐんぐん先に行き、代わって高齢の男女2人パーテイが急坂に喘いでいた。「あと小一時間頑張りましょう」と声かけて水平歩道に出た。夕闇迫る中、何とか明るいうちに阿曽原に到着できそうで安堵しながら水平道を歩いた。阿曽原峠と思われるトンネルを抜けると阿曽原への下降点になり荒れた急坂を下って行く。疲労困憊ながらも黒部ダムからは9時間掛かって阿曽原温泉小屋に到着した。 宿泊の手続きをして荷物室で汗でぬれた下着を着替えた。温泉につかりたかったが丁度女性入浴時間になって入浴できなかったのは残念であったが、すぐにビールを購入し喉を潤した後、同宿舎と山談義をしながら持参した3合ほどの日本酒を飲み、夕食のカレーライスを食べ、部屋に布団を敷くと疲労と心地よい酔いで、あっという間に爆睡状態に陥ったのである。 「行動時間」 扇沢ーバスー黒部ダム駅8:20〜内蔵助谷9:40/9:55〜黒部別山谷12:00〜十字峡14:10〜仙人ダム16:10〜阿曽原温泉小屋17:15 |
阿曽原温泉小屋 | 折尾谷 | 核心部へ |
太鼓(上流側から) | 太鼓(下流側) | 太鼓(対岸の奥鐘山) |
志合谷 | 志合谷(トンネル坑口) | 水平歩道 |
奥鐘山大岩壁 | 終点・起点の欅平駅 | 太鼓 |
山行記 阿曽原温泉小屋の夜は宿泊者50名ほどあったが、ゆっくりと休むことが出来て少しは疲労も抜けた。夜明け前の5時前には早出の登山者がheadlamp灯して出かけて行った。私は6時の朝食時間に合わせて起き、食事を済ませて6時20分に阿曽原温泉小屋を出た。「入浴できなかった」の悔いは残ったが、正午前には欅平駅に着きたかったからである。小屋のオヤジに所要タイムを聞くと「6時間見ておいたほうが良い」ということで納得である。 キャンプ場を抜けると水平歩道への登りで急坂に掛かる。朝一番急坂に音を上げながらも小一時間ほど踏ん張り、さらに梯子を上り下りして水平歩道に出た。水平歩道、当初は樹林の中快適トレイルが続いていて、樹林の間の対岸には奥鐘山が絶えず姿を見せていた。1時間半ほど歩くと若者の男女パーティが足早に追い越して行った。折尾谷と思われる滝の流れる落ちる付近で最初の休憩をとった。 そして水平歩道の核心部に来ると岩場に切られた狭い歩道を行く。ここもしっかり針金に掴まりながら慎重に歩いた。やがて水平歩道一番の見どころであり一番の緊張を強いられる「太鼓」に着いた。恐る恐る岩壁に体を預け写真を撮って慎重に渡り切った。太鼓の看板には「阿曽原まで5.3キロ」の表示があり、工程の半分を歩いたことになった。その後も危険地帯は志合谷に続いていた。 志合谷は吉村昭のノンフィクション小説「高熱隧道」で、ここに設けられた工事用事務所・飯場が泡雪崩(ホウナダレ)に遭い、黒部川の対岸奥鐘山の大岩壁まで500mほど吹き飛ばされたという舞台である。私も建設会社勤務で山中で3年ほど過ごしたことがあり、身につまされながら読んだものである。志合谷はトンネルで抜けるようになっていて、坑口で懐中電灯を灯して入坑した。トンネル内部は天井から水が落ちている箇所が多く、通路も登山靴を濡らすほどの水量であった。トンネルを抜けて来し方の水平歩道を眺めながら休憩をとった。 「あと2時間半」というコースタイムに気合を入れなおして再び水平歩道を行く。対岸には奥鐘山の大岩壁を見ながらで、奥鐘山の後方南越から藪を漕いで山頂に立った思い出が蘇るのであった。水平歩道は相変わらず岩場を刳り貫いたた危険地帯が続き、送電鉄塔が交わるころには下降点も近くなる。3基目の送電鉄塔を過ぎると今朝欅平を出た登山者2人組と10名くらいの団体と行き交った。4基目の送電鉄塔が下降点で、岩ごろの急坂を一気に下って行くと、関電黒部ルート見学者と思う20名くらいの団体がパノラマ台で景色を楽しんでいるところであった。疲労と膝に痛みを感じながらも欅平には予定通り、阿曽原から6時間弱の行程で正午の到着となった。欅平駅に着く前に汗に濡れた着衣を着替えさっぱりした格好で観光客で喧騒の欅平駅に入った。 10分ほどの待ち時間でトロッコ電車に乗り宇奈月温泉に下り、富山地方鉄道で黒部市内に、「愛の風鉄道」で魚津から泊に、「越後ときめき鉄道」で糸魚川に移動した。糸魚川からは「大糸線増強バス」で南小谷まで乗って、南小谷駅から大町までは大糸線で戻った。雨の降る中大町市内の無料駐車場に止めた車を回収し帰路に就いた。 {行動時間} 阿曽原温泉小屋6:20〜折尾谷付近8:10〜志合谷9:40〜欅平12:00 |