三条市旧下田村の山々
(八十里越・番屋山・袴腰山・光明山・白根山)

八十里越 ハチジュウリコエ 標 高 新潟百名山 山 域 会越国境
登 山 記 録
登山月日 2019年7月9日〜7月10日
登山経路 7月9日
只見町入叶津8:10〜自転車(ロス約20分)〜入山口9:15〜松ヶ崎12:10〜木ノ根峠(八十里越峠)13:10
7月10日
木ノ根峠4:45〜田代平5:30〜小松横手6:10〜鞍掛峠6:40/6:50〜田代湿原7:40/8:00〜木ノ根峠8:55/9:55〜入山口13:20〜自転車〜入叶津13:40
行動時間 7月9日5時間 7月10日 8時間55分 合計 13時間55分 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候 7月9日 曇/霧雨  7月10日 霧/晴
メンバー 単独
情   報
アクセス 只見町入叶津まではR289 入山口まで約4キロの未開通の国道
トレイル 泥濘、小沢の横断・徒渉あるが緩い勾配のトレイルも、福島県側は刈り払いされていたが、新潟県側は草の被さる煩い登山道
水場・トイレ 沢水随所で取れるが飲用は? toiletは国道ゲートの手前登山者駐車場に仮設トイレある
その他 新潟県の吉ヶ平まで通り抜けできれば良いが車の回収不可のため往復縦走した
山行記

1日目




浅草岳登山者駐車場から4キロ自転車に乗って八十里越古道入口へ


歴史を感じる古道・掘割の小沢が障害


松ヶ崎・八十里越


八十里峠(木ノ根峠)に立つ石碑


新潟百名山八十里越は新潟県側の吉ヶ平から番屋乗越〜鞍掛峠〜八十里峠を越えて只見町の入叶津に通り抜けるのが正規ルートだと思う。しかし車の回収などを考えると単独行では少々無理がある。先月吉ヶ平から番屋乗越まで歩いて越後側の八十里越を歩いているので、今回は会津側を歩こうと思い立ったのである。加齢による体力脚力低下でテントを担いで歩くことに一抹の不安があるが、山中一泊の幕営山行である。
入叶津の浅草岳登山者駐車場に早朝車をつけた。4キロのR289の車道歩きには折り畳み自転車利用である。登りに引いて行っても下りは楽々と下ってこれるのが魅力だ。幕営装備を背負って自転車を引いて車両規制のゲートに入り工事区間を抜けると自転車にまたがる事が出来た。約4キロの入山口まで90%位は自転車に乗って走る事が出来た。入山口を見落としてさらに500mほど国道を進むロスもあったが、駐車場から1時間ほどで八十里越古道に入る事が出来た。
古道入口には山菜取り禁止や森林管理署の案内看板などがあったが、八十里越古道の標識は何もなかった。古道は当初は車が走れるほど広く緩く登って行き、林道として利用されていたものと思う。やがて古道は泥濘が連続し、洗堀されて掘割状になった小沢を横断・徒渉を繰り返すようになる。両岸が悪場になって足場がおぼつかないのである。そのたびに踏ん張るので体力消耗が激しい。古道に被さる草を刈り払いしてあることが助かるのである。1時間おきにしっかりと休憩を挟みながら歩き、やがて「松ヶ崎」という石祠の立つ休憩ポイントに着いた。松ヶ崎からはほとんど勾配の無い古道を1時間ほど歩いて、駐車場からは5時間、古道入口からは4時間ほどで木ノ根峠に到着した。峠には「八十里峠(木ノ根峠)」と「木ノ根茶屋跡」の石碑が対に立っていた。
1日目の行程はこの先1時間の田代平と思っていたが、天気怪しく周囲は霧に包まれて、いつ雨が降り出すかわからないほどで、結局ここにテントを張ることにした。テントを張り終えると案の定霧雨が舞い始めた。テントの中でゆっくりと寛ぎ4時過ぎからは持参した日本酒を飲みながら夕食をとり明るい内からシュラフに潜り込んだ。
実はこの先の新潟県側の古道の刈り払いがされていないので、ここにテントを張ったのは正解であった。

2日目


小松横手と守門岳烏・帽子山


ヒメサユリを観て鞍掛峠へ


鞍掛峠


田代平に咲くトキソウ


2日目は幕営地の木ノ根峠から田代平〜鞍掛峠を往復して入叶津の古道入口に戻る行程である。
夜明けと同時に起床して湯を沸かしてお茶を飲んだ後、サブザックに飲料水などを入れた軽荷を背負い、雨着の上下を付け出発した。木ノ根峠から先の新潟県側は会津側とは打って変わって、細く荒れた道になり刈り払いもされていない厳しい道であった。5分ほど進み小沢を渡りカヤトの新芽が延びる湿地帯に入って行くと、雨着のズボンはすぐにびしょぬれになった。それでもカヤトが踏み倒された跡もあり最近歩いた者があることが分かる。10分ほどで湿地帯を抜け、樹林帯を進むと入広瀬村大白川からの道が合わさっていた。霧に煙る幽玄なブナ林を進むと広場に出て「田代平」の案内看板が地上に落ちていた。この付近は入広瀬村が管理していることが分かった。田代平湿原の散策は帰路の楽しみにして古道を急ぎ、松の木が立つ「小松横手」に着くと眼前に守門岳と烏帽子山が見えてきて、振り返ると浅草岳もよく見えた。さらにその先には登山道脇にヒメサユリがひっそりと咲いていた。洗堀された小沢をいくつか横断し木ノ根峠からは2時間で今回の最終目的地の「鞍掛峠」に到着した。眼前に番屋乗越方面が開けているが番屋山などは特定できなかった。この先少し進んでみようかと思って来たが、峠から先の古道は一気の下りになっていた。
朝食用のパンをテントに忘れてくるという失態で、ポカリを一飲みして鞍掛峠を後にして往路を戻る。小松横手付近まで戻ると朝霧も張れて周囲の展望も開けてきた。田代平の湿原分岐から湿原に足を延ばした。朽ちた木道もあるがあまり来る人もないと思われる湿原にはトキソウが群生していたが、他に咲く花は無かった。10分ほど散策の後古道に戻り木ノ根峠には往復4時間の行程で戻る事が出来た。
木ノ根峠でラーメンを作って腹ごしらえの後テントを撤収、一夜を過ごした峠を後にした。泥濘の古道と連続する沢の横断で難儀しながらもしっかり休憩を挟んで下り、木ノ根峠からは3時間半ほどでR289の国道に出た。デポした自転車にまたがり約4キロを20分ほどで駐車場所に下り着いた。


番屋山 バンヤサン 標 高 933m 新潟百名山 山 域 旧下田村
登 山 記 録
登山月日 2019年6月14日
登山経路 吉ヶ平山荘4:25〜八十里越・番屋乗越付近(7:05/7:50)〜椿尾根番屋山分岐9:20〜番屋山10:20/10:50〜吉ヶ平山荘12:20
行動時間 合計8時間 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候
メンバー 単独
情   報
アクセス 吉ヶ平山荘まで舗装道路
トレイル 八十里越古道は番屋乗越までは問題なかったが、その先は少し荒れていた
椿尾根の登山道は裏道で荒れていた 表登山道の雨生池コースはよく整備された快適トレイル
水場・トイレ 八十里越古道は沢水とれるが飲用は?toilet飲料水は吉ヶ平山荘で
その他 番屋山までなら雨生池コースが快適
山行記




吉ヶ平山荘・八十里越の古道


番屋乗越・その先から見る烏帽子岳


椿尾根を登って番屋山へ・番屋山山頂


番屋山からの守門岳・ブナ林に静かにたたずむ雨生池

「八十里越」の田代平から木の根峠まで日帰り往復するつもりで前日吉ヶ平山荘に着いた。駐車場で車中泊し後翌朝夜明けを待って登山道に入った。八十里越の古道は15分ほどで番屋山への道を分けていた。天保古道などが交錯しながら番屋山の山麓を巻きながら進む。鬱蒼とした樹林の中、あまり歩く人は少ないと思われる古道であるが、割と整備が行き届いていた。小尾根を乗越たびに、「ここが番屋乗越では」と思いながら進むが最初の目標ポイントの番屋乗越は現れない。1時間半ほど歩いて登山道に腰を下ろしてしっかり朝食をとった。石碑の立つ番屋乗越までは2時間の予定であったが、2時間半以上かかってしまい、日帰り往復には赤信号である。石碑の前でも小休止の後、番屋乗越からは少し下って行き、右前方には烏帽子岳が望まれるようになるとトラバース道は荒れていた。番屋乗越付近で「日帰りは難しい」と思っていたので、潔く前進をあきらめた。番屋乗越に戻って大休止である。2年ほど前のヤマレコに「八十里越の峠まで日帰り往復した」という単独女性の記録を見て計画したが、「今の自分にはとても無理な計画だった」と頭をかくばかりであった。八十里越はテント担いで次回の楽しみである。
八十里越古道を戻り、椿尾根分岐から番屋山を目指した。古道からの分岐には標識が無かったが、薄い踏み跡追って少し登るとと炭焼窯跡の標識があり、番屋山への案内標識も立っていた。番屋や目への裏登山道ともいえる道は荒れていたが迷うことのない道が続いていて、番屋山の肩の鞍部に着いた。鞍部からは一気の急登となって番屋山山頂に登り着いた。山頂からは守門岳が眼前に聳えていた。木陰で一息入れた後、表登山道ともいえる雨生池コースに下った。10分ほど下ると福島県から来たと云う、3人組の高齢者男女パーティが登ってきた。お互いに励ましあって交差した。所どころロープも下がるブナ林の急坂を下りきると、森の中に静かにたたずむ雨生池であった。池のほとりで小休憩の後吉ヶ平山荘への道を下り、八十里越古道と合わさって吉ヶ平山荘に着いた。往復8時間の行動であったが疲労の濃い八十里越と番屋山登山であった。



袴腰山 ハカマゴシヤマ 標 高 526m 新潟百名山 山 域 旧下田村
登 山 記 録
登山月日 2019年6月123日
登山経路 八木鼻登山口11:15〜三角山12:15〜袴腰山12:40/12:50〜高城13:30〜ヒメサユリ小径登山口14:20〜八木鼻14:55
行動時間 合計 3時間40分  (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候
メンバー 単独
情   報
アクセス 八木鼻までR289
トレイル 三角山コース・ヒメサユリの小径どちらもよく踏まれている
水場・トイレ 登山口にtoilet・自販機あり
その他 ヒメサユリは5月末が見ごろで見損なった
山行記


八木鼻の大岩壁・袴腰山山頂


守門岳・高城

三条市下田の八木鼻の大岩壁の下に駐車場が完備した袴腰山登山口であった。サブザック担いで登山道に入ると岸壁の下部を行き、八木神社からの道を合わせて岸壁の脇をジグザグ切って登って行く。尾根に登り上げ、道標に導かれて進むと三角山への道であった。最後は急登を凌いで三角山に登り着いたが、袴腰山はまだ先に見えた。
馬の背などの尾根道を行き、山頂直下は荒れた急坂を登り切ると袴腰山山頂であった。粟ヶ岳が眼前で守門岳の展望も良かった。山頂で一息入れた後はヒメサユリの小径への道を下った。途中山城跡と思える高城では先行者が休憩していた。ヒメサユリの小径は高城までであって、緩い小径が登山口まで続いていたが、ヒメサユリの見頃は5月下旬まででと云うことであった。ヒメサユリの小径登山口に下ると大きな駐車場が有り、シーズンには大賑わいするのだろうと思った。
駐車場から一般道の車道を30分ほどかけて八木鼻登山口に戻った。来年はヒメサユリの咲く時期に訪れたいと思う。


光明山 コウミョウサン 標 高 879m 越後百山

山 域

中越・五十嵐川
登 山 記 録
登山月日 2006年11月14日
登山経路 笠堀ダム登山口6:30〜万之助山8:30〜光明山9:30/9:40〜万之助山10:35〜登山口12:05
行動時間 登り3時間 下り2時間25分 合計5時間35分(休憩時間を含む)
天  候
メンバー 単独

情  報

アクセス 笠堀ダムまでは問題ない舗装道路
トレイル 稜線までは傾斜のきつい山腹をトラバース残雪期は要注意 稜線上もやせ尾根が続き結構緊張させられる
水場・トイレ 水場は稜線につく前にある トイレは登山口で
その他 傾斜のきつい山腹は低山とは思えないアルペンムードが漂う

山行記


粟が岳を見る万之助山(前光明山)と光明山山頂


低山とは思えないアルペンムードが漂う稜線


雪を被った越後山脈と越後百山随一の難関矢筈ガ岳

旧下田村の笠堀ダム脇の登山口から登山道に入る。雑木林の中を30分も歩くと稜線から笠堀ダムの谷まで一気に傾斜を落とす山腹に取り付く。その標高差は500mくらいはあるだろうかと思う。斜面には小潅木が自生しているから滑落しても下まで落ちることはないとは思うが、残雪期などは一気に斜面を滑り落ちるだろうと思うと身震いするほどの恐怖を感じる。しかし山腹を行くトラバース道は安全に整備されていて危険を感じることもなく、進むことが出来る。そして小さな沢では水もとることが出来る。少し広く開けた炭焼き小屋跡等は休憩するには丁度よい場所となっている。
トラバース道を過ぎると少し傾斜をまして、汗を搾り取られるが長い時間ではない。風通しの良い尾根に立つと眼前に雪を被った越後山脈の守門岳が飛び込んでくる。それから先は常にこの景色を見ながらの稜線歩きとなる。前光明山(万之助山)では笠堀ダムを隔てて粟が岳が朝日を浴びて輝いていた。
更に稜線を歩き、やがて岩稜となった尾根を歩いて中光明につくとやっと目指す光明山が見えてきた。ここら辺りで天候が怪しくなり気を揉みながら先を急ぐ。最後は痩せた岩稜を登って光明山頂に着いた。900m足らずの低山ではあるがアルペンムードが漂う山頂からは越後百山では最難関と言われる川内山塊の矢筈ガ岳や青里山が見ることが出来る。とてもあの峰を目指すことは無理であることを思い知らされる。そして越後山脈も目の前である。初冬の越後の山々をいつまでも眺めていたいのであるが、天候の崩れがすぐそこであることがわかるとゆっくりすることも出来ずに、往路を急ぎ足で戻ったのである。登山口に戻ると案の定雨が降り出して近くの「健康温泉ランド・いい湯らてい」に駆け込んだ。

 


白根山 シラネサン 標 高 918m 新潟百名山+10 山 域 下田山地
登 山 記 録
登山月日 2023年7月17日
登山経路 三条市下田大谷地登山口9:30〜林道登山口9:55〜稜線11:20〜638mピーク11:55〜山頂13:20/13:30〜林道15:50〜登山道入口16:40
行動時間 登り 3時間50分 下り 3時間10分 合計 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候
メンバー 単独
情   報
アクセス 大谷地迄一般道その先砂利道の林道を0.5キロほど入る
トレイル 林道を約2キロ 登山道はいきなりの急登が続くがよく踏まれている 稜線上も問題ない
水場・toilet 林道で沢水取れるが飲用は?toiletは登山口には無い
その他 真夏の登山で熱中症に陥った 更にヤマビルの数か所食いつかれた
山行記

白根山山頂


眼前の粟ヶ岳と稜線から観る白根山



旧下田村大谷地の先に登山道入口の案内看板が有った。林道を0.5キロほど進むとチェーンゲートが有り車両進入規制されていた。ゲートの手前に数台の駐車スペースがあったので車を止めて、支度をしていると地元の者と思われる車が着いたが挨拶もしないで出発した。林道は広くよく整備されていて快適に歩いていると、20分ほどすると後続の車の方が追い付いてきた。地元の釣り師であるが、この辺りを良く知っていて色々とアドバイスしてくれて登山道入口まで一緒に歩いてくれた。
登山道はいきなりの急登で一区切りの500歩を歩くと汗が噴き出してTシャッツになった。真夏の陽気でその後も汗が止まらず稜線に登りつくころには全身びしょ濡れになるほどの汗であった。稜線に着くと「熊狩りののぞき場」等の休憩ポイントなどで休憩しながらアップダウンを繰り返した。前衛の638mピークに着くと汗と疲労で足が重く登頂を諦めようと思ったが、山頂までの勾配が緩く見えるので、「もう一度この山に来るのは御免だ」と思い、もうひと踏ん張りしようと覚悟した。50歩も歩けば息をつなぎながら歩いて、登山口の林道ゲートからは4時間近くもかけて白根山山頂に着いた。(コースタイムは2時間半ほどと思われる)
山頂の後方には10年以上も前になるが残雪拾いながら登った下田山塊の主峰ともいえる矢筈岳や青里山が望めて、苦労しながらも登りついた山頂で感動を味わえた。眼前には粟ヶ岳がドーンと構えていた。軽食摂って立ち上がると右足が攣りだしたので「ツムラ68」を服用したが効果はなく、しばらく腰を下ろして回復を待った。何とか歩けそうなので山頂を後にしたが、50歩も歩けば足が攣り、そして痺れがきて立ち止まりながらの下山となった。2リットルの飲料水とアクエリアスを飲みながらの登山であったが稜線を下る頃には水切れとなって更に窮状となった。何度か登山道に寝転んで休憩し、這う這うの体で林道に下り立った。林道の横断側溝を流れる水をがぶ飲みして生気を取り戻すことが出来たが、いかんせん足が上がらないのである。林道を300mほど歩いてザックを担いだまま林道に寝転んでいると、強者が登って来て介抱してくれた。持参の冷たいお茶を飲ませてくれて、登山口までザックを持って同行してくれた。まさに地獄で仏に会った思いであった。
頭がまだよく理解できない中だったので名前を聴くのも忘れてしまった。完全に熱中症・脱水症状で命に危険を及ぼす状態であった。「助かった」という思いで登山口を後にして、「道の駅漢学の里」に走った。着衣を全部脱いで着替えたが下肢に数匹のヒルに食いつかれた跡がありズボンは血だらけになっていた。真夏に登る山でないことを知った下田白根山ではあった。

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