毛猛山

毛猛山 ケモウヤマ 標 高 1517.1m 越後百山

山 域

越後山脈
登 山 記 録
登山月日 2009年5月10日
登山経路 末沢・尾根取り付き4:50〜762m峰6:00〜足沢山7:45〜太郎助山10:05/10:15〜百字ヶ岳10:55/11:10〜中岳11:40〜毛猛山12:40/13:00〜百字ヶ岳14:30/14:40〜太郎助山15:25〜足沢山17:20/17:30〜762m峰〜末沢19:40
行動時間 登り 7時間50分 下り 6時間40分 合計 14時間50分(休憩時間を含む)
天  候 晴・薄曇
メンバー 単独(足沢山〜毛猛山〜入山口まで地元のベテランがつかず離れずに歩いてくれた)

情  報

アクセス R252末沢発電所から2キロほど六十里越え峠方面に向かう
トレイル 太郎助山までも薮の中に踏み跡鮮明にある。残雪歩きは殆ど出来ない
太郎助山〜毛猛山までのヤブ漕ぎは踏み跡薄いこの時期50%位は残雪拾える
水場・トイレ 入山口付近には無い
その他 2週間前の太郎助山までの下見登山を生かすことが出来た

山行記


足沢山〜太郎助山方面


太郎助山からみる毛猛山三山と桧岳


百字ヶ岳からの厳しい薮を凌いで難関毛猛山に立つ


毛猛山から来し方を振り返る


毛猛山から未丈が岳に延びる稜線

今年中には何とか毛猛山に登りたいという思いが断ちがたく、2週間前の太郎助山までの下見登山のときと入山口に車をつけた。車を停めて登山の支度をしていると後続の車が私の車の後ろに停車した。同じ毛猛山をやるものが来たという期待で心強く思うのであった。しかし私が只見線の線路に出て入山しても車からは降りてこなかった。「渓流釣りの者かな?」と少々がっかりしながら尾根に取り付く。
2週間前と同じ道だから安心して歩ける。ユキツバキの中の残雪は消えていたが、しっかりした踏み跡は続いていた。1時間ほどで726mピークについて、倒木に腰を下ろして、朝食をとる。今日は天気の崩れは心配なし、ココまでも朝露を浴びることなく、乾燥した中を歩くことが出来て快適だ。次の目標は足沢尾根が合わさる地点であるが、ここまでも1時間少しで予定どうりである。分岐の先で一息入れていると、後続の登山者が追いついた。入山口で後についた車の方であった。
足沢山直下には雪渓が残っていた。二人で話をしながら足沢山に着いた。足沢山で大休止をとると言う後続に「足が遅いからお先に」と言って、又先を行く。少し残った足沢山付近の残雪行き、尾根道の薮に入る。内桧岳への分岐を分けながら、黙々と太郎助山を目指す。途中では少しは残雪を拾えるだろうかと期待したが、もう薮道の脇には残雪は残っていなかった。太郎助山の直下には僅かに残った雪渓があり、これを踏んで太郎助山に着いた。私に遅れること僅かで後続氏が登りついた。

毛猛山を眺めながら、色々話し込む。越後の藪山名人のようで、N氏と名乗ってくれた。
太郎助山からは酷くなった藪道を15分ほど下ると、雪堤が繋がっていた。雪提をN氏と快適に歩き百字ヶ岳に向かう。2箇所ほど藪山に入るが、概ね百字ヶ岳まで雪の上を歩くことが出来た。百字ヶ岳で、N氏は「これからの薮は手強いから」と言ってサブザックを取り出し、「必要品だけ持って毛猛山を往復する」と言う。私もつられて、雨具やツェルト等を出して軽荷にする。
ここからも私が先行し、毛猛山を目指す。雪提が中岳の鞍部まで繋がっていたが、中岳山頂付近は藪山に入る。中岳を越えると再び雪提が現れ、これも毛猛山の鞍部まで繋がっていた。雪提が切れると、いよいよ毛猛山への最後のヤブ漕ぎである。N氏はここで私に追いつき「ここから先は上を目指して突破するしかない」と言って、踏み跡も無い小潅木とクマザサの混じる蜜薮に突入して行った。私も後に続くが、力の差は歴然としている。悲鳴を上げ、薮と格闘し進む。
目の前が明るくなると潅木もクマザサも背丈が低くなり、草原状を思わせる山頂稜線に飛び出した。膝下までのチシマザサと小潅木の中を先を行くN氏が山頂に立つところであった。私も遅れること5分で12:40毛猛山山頂に立った。

奥只見や南会津の山々が霞みの先に良く見える。N氏は山座同定をして私を楽しませてくれる。山談義と昼食を楽しみながらの山頂ステイであるが、帰りを考えるとゆっくりもしていられない。15分で毛猛山山頂を後にする。

少し遅れたN氏だが、すぐに私を追い越して行く。私は疲労で足色が鈍ってきた。先を行くN氏は振り返り、振り返り、私の居所を確認しながら進んでくれていることがわかる。百字ヶ岳まで戻ると、私はN氏が私に気遣いして歩いていてくれることに御礼を言った。百字ヶ岳で昼食をとると言うN氏より先に出る。快適な残雪歩きをして太郎助山に戻る。振り返るとN氏は私よりは30分くらいは遅れて百字ヶ岳を出たようだ。
太郎助山から足沢山までの下りも厳しいヤブ漕ぎの連続である。行く道が見えているが中々進まないジレンマがあると言うものだ。足沢山には17:30に到着し、何とか先も読めて、少々安堵の胸をなでおろす。1リットルのポカリと1リットルの水を持って入山したが、その水も底をつき、雪渓の雪をビニール袋に入れてかじりながら下る。
726mピークに続く尾根で陽が落ちた。しばらくは明るさの残った尾根を行く。朝食をとった726mピークの雷に直撃された倒木の上でヘッドライトを取り出し装着する。そしてビニール袋に残った最後の雪を口に放り込む。「N氏は何処かな〜」と気になり、夕闇迫る尾根を振り返り「ヤッホー!」と声を上げてみる。すると僅か先から「オーイ!」と返事が返ってきた。私の熊除け鈴の聞こえる後ろを歩いているようだ。安心して726mピークを下る。
ここからは顕著な尾根道からユキツバキの林の中であるが、慎重に踏み跡追いながら下る。再び尾根道に出ると、ずーと後ろを歩いてくれていたN氏が追いついてきた。「ここから先は一緒に下りましょう」私も「最後の尾根が一寸怪しいので後を歩かせてください」とお願いする。最後の20分ほどは今日の山物語や、越後百山の話をしながら、連帯を深めながら只見線の鉄路に下りついた。

私はN氏が山中であった私の年齢を知り、力量を推し量り、「私を残して、先に下りることは出来ない」と判断し、後ろについてしっかりとエスコートしてくれたことが分かり、なんともいえない感激に浸るのであった。越後の本物の岳人の心意気を知り、大きなお礼を言って分かれたのである。

 


太郎助山 タロスケヤマ 標 高 1417.6m 毛猛山前衛

山 域

越後山脈
足沢山 アシザワヤマ 標 高 1107.1m -

山 域

越後山脈
登 山 記 録
登山月日 2009年4月25日〜4月26日
登山経路 第1日目 JR只見線・足沢尾根取付7:00〜762m峰〜足沢山10:20/11:15〜太郎助山13:20/13:50〜足沢山15:50
第2日目 足沢山9:00〜762m峰〜足沢尾根取付11:35
行動時間 第1日目8時間50分 第2日目2時間35分 合計 11時間25分 (休憩時間を含む)
天  候 第1日目曇/雨 第2日目雨/曇
メンバー 山友かめ・ふーさんと二人

情  報

アクセス R252末沢発電所から2キロほど六十里越え峠方面に向かう
トレイル 足沢尾根には踏み跡ある。太郎助山までも薮の中に踏み跡鮮明にある
この時期、残雪は足沢山直下と太郎助山までの3割位は拾える。
水場・トイレ 入山口付近には無い
その他 今年は少雪で残雪を拾えなくて目的の毛猛山には届かなかった

山行記

 
R252の道路脇に駐車し、只見線を越えて足沢尾根に取り付く

 
いきなりの急登が続くが20分ほど凌いで、762m峰から派生する尾根に登りつくと鮮明な踏み跡がある。
762m峰を越えてヤセ尾根を進むと、標高900m付近で右側からの尾根を合せる。尾根分岐から少し登ると足沢山山頂まで500mほどの雪渓が続いていた。


足沢山山頂からはこれから登る太郎助山への稜線が良く見える。
その奥には百字が岳、そして桧岳も姿を見せている。
足沢山の山頂付近の窪地の雪原にテントを張り、軽荷で毛猛山ピストンを決断する。


太郎助山までは残雪が拾えるものと期待したのであるが、雪提はいたるところで途切れ、
稜線の薮をこぎながら進まざるを得なかった。
それでも太郎助山山頂付近に来ると何とか雪提が繋がっていた。


足沢山から2時間かかって太郎助山に登りつくと眼前に毛猛山が姿を現した。
標高1500m程の山とは思えない堂々たる姿である。
右側百字が岳〜派生する尾根上には越後マイナー12名山の桧岳も素晴らしい山容を見せている。


怪しい天気の下、同行のふーさんとしばし余韻に浸る。


ここから先は毛猛山まで雪渓を歩くものと期待してきたのであるが、百字が岳方面に歩を進めると、残雪はなく、完全な密薮の中に突入しなければならなかった。太郎助山までの尾根のように薮の中の道も見られなかった。それでも15分ほど進むが、先を行くふーさんが後ろを振り返って私の顔を見たときに、お互い納得の撤退を覚悟したのである。

百字が岳に背を向け、太郎助山に登り返す。風と雨が少し強く感じられるのであった。

毛猛山よさらば!来年又元気で有ったら、必ず来るからと心に刻みながら・・・。

苦労して登ってきた太郎助山への尾根を今度は足沢山目指して下るのである。
登りよりは少しは早いだろうと想ったのであるが、雨足も強くなった中、足色衰えて、結局同じ2時間を要して足沢山のテントに帰着したのである。



濡れた着衣を着替えるとようやく生気が戻る。
山友新潟のEVA父さん差し入れの栃尾の油揚げを焼いて、持参の酒で体の中から温める。
外は風雨が強くなりテントを揺するが、山オトコ・ふーさんと男と男の話で夜は更けるのであった。


嵐の夜もゴアのテントの中は天国であった。
雨も収まるのを待ってテントを撤収、下山に掛かる。途中から雨も上がり、周囲の山々も見渡せるようになる中、往路をゆっくりと下り、正午前には只見線の鉄路に下りついたのである。

 

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