毛勝山・猫又山

猫又山 ネコマタヤマ 標 高 2378m 山岳標高1003 山 域 北アルプス
登 山 記 録
登山月日 2016年9月9日〜9月10日
登山経路 9月9日
馬場島7:35〜(ロス約20分)〜大ブナクラ谷出合8:00/8:10〜ブナクラ峠12:40/12:55〜幕営地(標高2000m付近)14:30
9月10日
幕営地6:30〜猫又山7:50/8:45〜幕営地9:45/10:35〜ブナクラ峠11:30/11:50〜大ブナクラ谷出合14:15〜馬場島15:00
行動時間 第一日目 7時間 第二日目 8時間30分 合計 15時間30分 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候 第一日目 曇・霧 第二日目 晴
メンバー 単独
情   報
アクセス 馬場島まで山岳観光道路
トレイル 大ブナクラ谷出合までは砂防工事作業道路 ブナクラ峠までは荒れてはいるがしっかりした登山道 猫又山までは笹藪・小灌木被さる煩い登山道も道迷いの心配はない 山頂直下は美しいカールを行く
水場・トイレ 水場はブナクラ峠中間点付近まで沢水取れる トイレは登山口の馬場島で
その他 剱岳のすっきりした姿を見るには山中幕営が必須


剱岳


(左)釜谷山・(右)毛勝山


大猫山登山口・ブナクラ谷


ブナクラ峠直下からブナクラ谷・赤谷山方面との分岐ブナクラ峠


被さるような岩場のブナクラ峠


岩稜帯と藪を漕いで標高2000m付近で幕営


猫又山方面←幕営地点付近から→剱岳の雄姿


猫又山カール


猫又山山頂


毛勝山方面←猫又山山頂から→後立山連峰


山行記

一日目
前夜は馬場島の駐車場で車中泊した。台風一過の好転を予想してきたのだが、朝起きてみると小雨が舞っていて、テンションが上がらない。今日は猫又山山頂までテントを担いで登り、釜谷山を往復してくる予定であるが、早々に諦めるしかなかった。
7時過ぎには雨も小止みになって剱岳の早月尾根を登る登山者もボチボチと始動である。私もパッキングを済ませ7時半には馬場島を出ることができた。駐車場の直ぐ上で赤谷山・猫又山への道が左に分かれていて、すぐ先に車道規制のゲートがあった。車道は白萩川やブナクラ谷の砂防工事などの工事用道路であって舗装されていた。30分ほど歩くと白萩川にかかる仮橋を渡り、工事事務所の前で道が二つに分かれていた。事務所で聞けば間違いないのに勝手に判断して白萩川沿いの車道に入ってしまい10分ほど歩いたが、行き止まりになり道間違いに気付いて分岐地点に戻り、工事事務所に猫又山への道を確認してブナクラ谷への道に入った。往復20分ほどのロスタイムであった。
ブナクラ谷を15分ほど歩くと大猫平から猫又山に登る登山口があったが、登山口は草叢に隠されがちである。今日の行程は急登が続くこのコースを登るのでなく、ブナクラ谷沿いをブナクラ峠まで歩くコースである。豪快に流れるブナクラ谷を見ながらさらに車道を進むと、「大ブナクラ谷」が左側から合わさる地点で車道終点になっていた。馬場島からは既に1時間半ほどかかっていたが、順調に歩けばここまで1時間の行程である。赤布の下がる入山口で一息入れた後、川原を少し歩いて「大ブナクラ谷」を徒渉して登山道に入った。登山道は草木が被さる煩い道で、さらにすぐ先で木の根の絡まる急登になって、この先が思いやられるのであった。急登を登りあげると傾斜も緩み確りした登山道が続いていた。その先も水の流れる沢を歩いたりするところも多々あったが、道迷いの心配のない登山道が続いていて安心して歩けた。戸倉沢ともう一つの沢を徒渉すると灌木帯とゴーロの中ブナクラ峠に高度を上げて行く。やがて巨石累々の中に出るとブナクラ峠はすぐであった。振り返ると歩いて来たブナクラ谷が一望できた。車道終点から3時間ほどかけて猫又山と赤谷山分岐のブナクラ峠に到着した。猫又山方面は巨岩が被さり恐ろしいほどである。順調とは言えなくとも着衣を濡らすこともなくここまで登り着いて一安心である。お地蔵さんの前でゆっくりと昼食を摂った。
ブナクラ峠から猫又山への道は今まで歩いてきた道とは一変していた。標高1750mのブナクラ峠を出てすぐに笹藪をかき分けると、瞬く間に着衣が濡れてしまった。それでも巨岩の被さり、ロープも下がる急坂を一気に登り、岩稜交じりの痩せ尾根を登りきって1910mピークに着いた。肩で息しながら暫し休憩し再び笹藪漕ぎをしながら高度を上げて行く。着衣はびしょ濡れになり体が冷えてきて一気にテンションが下がり、登山道脇にテントが張れる場所があったらそこにテントを張ろうと思うようになった。ブナクラ峠から1時間半ほど歩いて標高標高2000m付近にテントを張れる場所があり、ここで躊躇する。「山頂まであと標高差300m1時間少々我慢すれば」と思えば前進もしたい。意を決して山頂を目指すがすぐ先の急登の途中で霧雨が舞いだしては前進を諦めた。テントが張れる場所に戻ってテントを張った。全身ずぶ濡れで体の震えが止まらなかった。テントを張り終えた後は着替えを済ませると生気が戻るのであった。こんなこともあろうかと思って寒さ対策にロングタイツを持参したのは助かったが長袖の肌着を忘れたのは痛かった。結局夜間には上半身の寒さが身に堪えた。まだ早い時間であったが湯を沸かし焼酎のお湯割りで体を中から温めた。暫し体を休めた後はビール・日本酒などを飲み、レトルトのカレーでお腹を満たした。
疲労と心地よい酔いで寝袋に潜り込むと爆睡状態に陥るのであった。

二日目
夜間テントの外に出ると満天の星が輝き好天が約束され夜明けが待ち遠しかったが、その分夜明け前の冷え込みがあって寒さに震えるほどであった。今日は猫又山までテント担いで登り、(釜谷山往復は諦めて)大猫山経由で下山しようと思ったが、前日の疲労残りと数日前から再発した腰痛で熟睡できず少々寝不足気味のため、テンションは今一つである。幕営地点からアタックザックで猫又山に登り引き返して往路を下ることにした。
簡単な朝食を摂り、アタックザックに必需品を詰めて6時半に幕営地点を出た。笹藪漕ぎは相変わらずであるが、昨日ほどの濡れはなくて助かる。少し急登を登って振り返ると剱岳が朝日を浴びて輝いていた。一度歩いた早月尾根や、いつかは歩いてみたい北方稜線もくっきりと手に取るように見えて感動的である。笹藪帯を抜けるとダケカンバなどの灌木帯になり、幕営地点から1時間ほどで猫又山カールに出た。草付とモレーンの中気持ちの良い中ペンキマークを追いながら高度を上げて行く。剱岳を振り返りながら快適トレイルが続いていた。山頂直下に登り着くと小さな池塘が現れ眼前に毛勝山・釜谷山が姿を見せていた。思わずカメラを出してシャッターを押した。池塘の周りは絶好のテントサイトになっていて、「昨日ここまで担ぎ上げれば今日は釜谷山を往復して・・・」と思うのだが後の祭りである。
池塘のある場所からはわずか登りあげると猫又山山頂であった。剱岳に向かって石の地蔵さんが手を合わせていた。釜谷山への稜線も良く見えて1時間少々で登り着きそうだ。大展望を満喫しながらパンとリンゴを食べながら暫し休憩である。朝の8時では大猫山経由で登って来るであろう登山者も現れず、独り占めの猫又山であった。剱岳の展望も朝一番の展望を得るには山中幕営が必須であることを知ったのである。40分ほど滞頂の後猫又山を後にするが、池塘のある場所に戻ると、剱岳や後立山連峰そして毛勝山の雄姿に立ち去りがたく動画を撮った。
カールを下り灌木帯に入ると早朝馬場島を出た60歳前後の単独行氏が登って来た。山中幕営した私に敬意を表してくれた。当然夜明け前に馬場島を出たものと思う。幕営地点には山頂から1時間で戻り、テントを撤収した。濡れたフライシートも乾いていて点とも水気が切れていたのは嬉しかった。パッキングを済ませ幕営地を後にする。結構な急坂が続き滑落に気を付けながら慎重に下り1910m地点からはロープにつかまりながら草付の急坂をブナクラ峠に下り着いた。幕営地点からはここも1時間ほどであった。ザックを下ろし残った食料と梨などを食べていると大きなザックを担いだ屈強な岳人が登り着いた。「赤谷山・池ノ平山から北方稜線を剱岳に登る。今日は白ハゲで幕営だ」と意気軒昂である。25キロ超のザックを担ぎ休憩中もザックを下ろすことをしなかった。暫し山談義の後赤谷山を目指して登って行く岳人がまぶしく覚えたものである。「私ももう少し若ければ・・・」と思うのであった。
ブナクラ峠直下の巨石累々の中を下って灌木帯に入りゆっくりと下って行く。途中単独行氏が登って来たが挨拶しても返事が返ってこなかった。山には猛者もいれば変人も多いものだ。1時間ほど歩いて最初に出会う小沢で水分補給した後はあれつぁ道を休みなく下って車道終点の大ブナクラ谷にはブナクラ峠から2時間15分ほどで下り着いた。朝からず〜と穿いてきた雨合羽のズボンを脱ぎTシャッツ姿になって車道を馬場島まで下った。馬場島のキャンプ場の水場で汗を拭い着替えを済ませて馬場島を後にした。

毛勝三山の釜谷山と大猫山を踏めなかったのは心残りであるが、朝日に輝く剱岳を眼前にできた喜びは大きかった。願わくは池ノ平から赤谷山・馬場島へ下山してきたいという思いも強くなった。


日本二百名山 毛勝山 ケカツヤマ 標 高 2414m

山 域

北アルプス
登 山 記 録
登山月日 2002年5月12日
登山経路 本谷川車止め5:35〜最終堰堤〜毛勝谷〜稜線1040毛勝山11:15/12:10〜車止め14:05 (登り休憩・装備1時間15分含
行動時間 登り5時間40分 下り1時間55分 合計6時間30分(休憩時間1時間15分含む)
天  候 快晴
メンバー 立木青年と二人

情  報

アクセス 片貝山荘脇を通過し林道終点まで
トレイル 最終堰堤から先は雪渓
水場・トイレ なし
その他  
山行記


毛勝山から剱岳を望む

今年の残雪山歩きは,堂津岳・笈ヶ岳・毛勝山を計画していたが、堂津岳には4月29日登頂した。笈ヶ岳は今年残雪が少なく5月に入った今ではもう薮漕ぎが激しく厳しい状況だと聞かされたので来年の楽しみに伸ばした。
残る毛勝山はその二つとは比較にならないほどの手ごわい山だと認識していた。
しかし何としても今年登りたいものと、色々情報を収集していたのである。結論としては、私のように雪山経験の少ない者の単独登山は受け付けない危険な山であると言うこと。何しろいままでアイゼンをつけて登ったのが半月前の堂津岳が始めてで、それも6本爪の軽アイゼンで、12本爪のアイゼンは買い物袋に納まったままである。
しかしアイゼン無でも日光白根山・燧ケ岳・会津駒ケ岳等の雪山経験はあるので、気持ちとしてはそんなに恐れることもないだろうと思っている。
そんな折、絶好のパートナーが私のHPに訪れたのである。堂津岳を4月27日(鬼無里の奥裾花自然園開山祭)にラッセルして、トレースをつけたと言う書き込みが掲示板にあった。自宅も近くの上田市で、昨年戸隠の八方睨で会っていて、今年から信州百名山を本格的に始めた立木青年である。
自己流といいながらも本格的に冬山も経験していて、今年すでに40回を越える山行をこなしていると言う。そんな立木青年に毛勝山の同行と雪山訓練をお願いした所、二つ返事で快諾を頂くことが出来る幸運にありつけたのである。

長野を22時過ぎに出て、白馬・糸魚川を経由し、深夜のR8を富山県に入り、ナビゲーターの通りに進めば5月12日1時半過ぎには片貝山荘脇を通過、目的の登山道車止めに到着した。
星降る空に明日の好天が期待でき、安心して車中で3時間の仮眠をとる。
5時前に起き出して仕度を始めていると、小型マイクロバスと2台の車が到着した。
どうやら団体さんらしい。先に声かけて出発するも、団体さんも出発だ。案内人が2名を含め15人ほどである。その内女性が6人だ、「こんな厳しい山に良くくるものだなー」と感心する反面「この小母さん(失礼)よりは、俺の方が体力はあるし根性もあるはずだ」なんて勝手に思いこみ「俺も登頂出来る」安堵し緊張感も緩むと言うものだ。

本谷川左岸を20分ほど歩くと最終の砂防堰堤を越えて、右に大きく回りこんでいる。
両側の岩壁が切り立って、谷幅が非常に狭まっている。ここから毛勝谷に続く谷で、稜線まで雪渓が続いているのである。
落石や谷に流れ落ちる滝から流木や巨石が落ちていて、恐怖感と緊張が走る。とにかく落石・雪崩は避けられないから、発生したらお終いだと思う。
谷の中を30分ほど歩いてアイゼンの装着だ。収納袋をあけて新品のアイゼンを取り出すと値札が付いたまま、立木青年には見られたくないものと苦笑い。それでも購入した時に教わっているから装着は簡単ワンタッチである。ピッケルについたままの「保護キャップもはずして」と青年に注意を受ける。延々と続く雪渓登りの開始である。
30分ほど歩いてアイゼンの履き方の間違いに気づく。簡単ワンタッチがなんと、右・左逆である。すでに傾斜の増してきた雪渓上ではピッケルを立てて、荷物の滑落防止が必要だ。ちょっと休憩もはさんでいると、団体さんが到着しアイゼンの装着を始める。良く観察しているとガイドが3人ほど付いているようで、適切なアドバイスを送っている。是から先の注意事項もしっかりしているので、前々日の雨でトレースが消えた雪渓を先行するよりは、後を付けたほうが安全と判断し,団体さんを先にやる。
実際は私の力量不足と、足が団体さんよりは遅い事を知った立木青年の好判断である。「あの小母さんなんて」と馬鹿にしたが、このスーパーウーメンには只々脱帽である。特に最後尾をいつも離れて進むご婦人は常に送れ勝ちで下から見ていると脱落しそうである。「あんな人がパーティの足を引っ張って迷惑がられるんだ」なんて話していたら、結局最後まで何事もないように雪渓を登っていった。余計なお世話だごめんなさい。脱帽!!
大明神沢分岐、二股と順調に進みいよいよ稜線直下の急斜面となる。ここでは途中息も入れるわけにも行かないので、一気に登らなければならない。さすがのスーパーウーメンもスピードが鈍り勝で「お先に」と雪渓を直登して追いぬく。心の中で、「今まで先を歩いてもらって悪いですね」と感謝する。しかし皆が見ている前での直登は息が上がって苦しいばかりだ。稜線直下の笹薮わけて、ほうほうの態で稜線へ。

眼前には剱岳が開け、その後方には後立山連峰がきれいに並んでいる。いつも信州側から見ているので並びが逆であるのは、違和感があるものだ。わずか左に登った小ピークで小休止。ガスが上がってくる前に写真をとりまくる。
団体さんの後も2パーティが頂上に向かうのを見送って、11時10分、5時間半かけて難関の毛勝山の頂上を踏んだ。
後立山連峰や剱岳はわずかの間にガスの中に隠れてしまったが、釜谷山・猫又山の毛勝3山の兄弟峰、右側には僧ヶ岳・駒ケ岳がよく見える。富山平野は雲の下で日本海も見ることは出来ない。北アルプスの主脈を眺められる餓鬼岳や霞沢岳と同じにこの毛勝山も絶好の北アルプス北部展望台であることに気づく。
暫し峰峰を眺めていると、心が昂ぶり感激して久しぶりに涙がこぼれる。立木青年に感謝しなければと思う。
いまこの毛勝山にも稜線伝いに登山道がつけられようとしている話が他の登山者から聞こえてきた。厳しい登登山道を登りついての代償として、この素晴らしい景色との引き換えであって欲しいものだと心底思うものであった。

小1時間の休憩の後、先に下るパーティに急かされるように、12時10分頂上を後にする。下りの雪渓は足もすくむような急斜面に恐れを感じたが、立木青年にロープで確保されていれば安心である。稜線直下の300mの急斜面を慎重に下れば先行の団体さん追い越す。矢張り下りは私のほうが早い、こう見えても雪の下りは実は得意なのである。2年前、尾瀬の雪の燧ケ岳を、息子の手を引いてスキップして下ったことを思い出す。
アイゼンに着いたダンゴ雪を何回も落としながら、時に尻持ちをつき、又前につんのめったりしながらも、二股・大明神沢とくだり、登り5時間以上かけた雪渓を1時間40分で最終堰堤の雪渓まで下った。
車止めについたのは頂上から2時間後の14時5分であった.。

最近寂しい単独山行が続いていたが、立木青年と言う素晴らしいパートナーを得て、感動を共有する仲間がいる山行の素晴らしさを再認識した。


毛勝谷の長大な雪渓


感動を共有した立木青年

 

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