霞沢岳・六百山・奥又白池

日本二百名山 霞沢岳 カスミサワダケ 標 高 2646m

山 域

北アルプス
登 山 記 録
登山月日 2001年10月21日
登山経路 10.20上高地12:00〜明神12:50/13:40〜徳本峠小屋15:20
10.21徳本峠小屋6:15〜ジャンクションピーク〜k19:00〜霞沢岳9:40/10:30〜徳本峠13:20〜明神14:40
   〜上高地16:00
行動時間 徳本峠から登り3時間25分 下り2時間50分 合計7時間05分(休憩時間含む)
天  候  晴
メンバー 単独

情  報

アクセス 上高地から
トレイル ジャンクションピークへの登りはきつい急坂、そこから先もアップダウンが続く
水場・トイレ 徳本峠小屋から先にはない
その他 穂高連峰の展望随一
山行記

    
          K1峰から霞沢岳・穂高岳

この秋も週末は天候に恵まれて山登りも楽しみです。
10/20〜21予定通り徳本峠〜霞沢岳に登り穂高の大展望を楽しんできました。
根橋さんはガスの中だったようですので写真をお楽しみ下さい。
釜トンまでの梓川渓谷は紅葉の真っ盛りでしたが、上高地に入ると唐松の金色の葉だけが名残の秋を感じさせてくれました。根橋さんも、私も一番好きな景色です。
息子は施設の催事があり、オヤジ一人のさびしい単独行かと覚悟していったのですが素晴らしい人とのふれあいがありました。
大阪の70歳を越えたかたで夫婦登山隊です。まだ週2回の勤めがありながら、今年だけで、すでに300名山の内から難しい山をピックアップし70座を越えたそうです。大の信州ファンて来週は鳥甲山に行くと言うのでアドバイスをしておきました。世の中には上には上がいるものだと思いました。最終的に300名山が目標とか。
も一人、千葉の58歳の単独行者職業農業
今年奥穂〜西穂、北鎌尾根から槍ヶ岳登山をしたそうです。山を始めて私と同じ五年くらいだそうです。
百名山達成なんて自慢になりません、恐れ入りましたと脱帽です.
これで今年の初めに立てた山行計画はすべて予定通り達成致しました。


六百山  ロッピャクサン  標 高 1450m -

山 域

 北アルプス

登 山 記 録
登山月日  2015年9月29日
登山経路

 上高地バスターミナル7:05〜河童橋7:20〜標高2100m付近樹林帯9:35/9:45〜六百山10:50/11:40〜稜線直下樹林帯12:30〜河童橋14:10

行動時間   登り 3時間30分 下り 2時間30分 合計 6時間50分 (河童橋からの行動時間・休憩時間を含む)
天  候  晴
メンバー  単独

情  報

アクセス  沢渡駐車場から上高地までシャトルバス
トレイル  登山道はないが中畠沢に入ると踏跡あり、稜線付近からはしっかりとした登山道がある
水場・トイレ  河童橋にトイレ自販機などある
その他  上高地を囲む山々の絶好の展望台 中畠沢に入るまで少々難あり
山行記


ビジターセンターから見る六百山方面・落石監視装置を越えて中畠沢に入る


ガレ場の中畠沢を上り詰め右の樹林帯に入る


焼岳← 2200m付近の稜線から →六百山


昨年踏み跡のある中畠沢に入りそびれて岩場に突き当たり敗退した六百山の再アタックである。

河童橋の公衆トイレの脇のコンクリート擁壁の天端が入山口であるが、看板などは一切立っていない。笹の被さる踏み跡を追うとすぐに巨大な落石防護堰堤に突き当たる。堰堤の下を左に巻いて樹林帯に入るとかすかに登山道らしき道が付いているが、落石監視施設の監視路のようである。堰堤を二つほどやり過ごし落石監視施設のある堰堤を乗り越えて沢に入ると、薄いながらも踏み跡があった。六百山に続く間違いない道に入って一息入れた。ダケカンバやトウヒなどの鬱蒼とした樹林帯を歩き、やがて明るく開けた川原状の中畠沢に出る。中畠沢は足場がおぼつかないガレが続くが、左岸側(向かって右側)の小灌木帯の境目を登り上げて行く。下りに迷いやすい所には確りとケルンが積まれ赤布が下がっているが、登りには適当に歩いても踏み跡を外すことはない。ガラガラと音を立てながら沢を1時間ほど登りあげると、沢が二俣になる場所が見えてきて、標高2000m付近である。ここも右側の灌木帯の境目を歩くと赤布とケルンがあって樹林帯に導いてくれる。(私は登りに見落としてしまい、さらに上流から強引に灌木帯に入り藪を漕いでトラバースして樹林帯の踏み跡に出ることが出来た)ダケカンバの大木が茂る樹林帯の踏み跡は薄いながらも顕著であって、稜線に近付くころには確りした登山道になっていた。
稜線に登り付くと反対側に焼岳が姿を現していた。少し進んで小灌木やハイマツ帯をかき分けると、左上方には六百山が被さるように聳えていて標高差250mの一気の直登が始まるのであった。
急登は最初は木の根の張る足場もあるが、やがて樹林帯を抜けて草付きとなり、そして岩稜交じりになる。最初に現れた岩場は狭いバンドを左に回り込むと六百山の北面の岩壁が見えてきて。この辺りが六百山の核心部であって岩稜が続き気が抜けない。岩場に足場を確保しながら登り、一枚岩の岩盤を登りきり再び左に回り込むとロープが下がっていた。ロープには手をかけず、足場を確保して登りあげると山頂に続くハイマツ帯であった。滑落の危険地帯を突破して一安心しだ。山頂直下はハイマツ帯になっていたが、枝をかき分けると足元には登山道があって、わずかな時間で六百山三角点峰に登り着いた。
梓川を挟んで穂高岳が聳えているが山頂には雲がかかってしまった。同じ高さの焼岳はスッキリと姿を見せていて、河童橋から帝国ホテルなどが眼下に見える。後方には霞沢岳が大きく羽を広げている。六百山、まさに上高地を囲む山々の大展望台である。三角点から六百山最高点まではわずかな距離であるが、藪が酷いので三角点から先に足を延ばすのは諦めた。
穂高の雲が取れるのを待って、軽食をとりながら50分ほど滞頂したが、雲が厚くなるばかりなので正午前に山頂を後にした。下りの岩場は登りより緊張させられるが、一歩一歩と確実に足場を確保して下り、草付きの急坂は尻もちつきながら慎重に下った。ガレ場の中畠沢も石車に乗らないように慎重に下り、迷うことなく落石防護堰堤に下り着いた。河童橋の喧騒が聞こえる中でズボンをはきかえて人混みの河童橋に下り立った。



急登を登り岩場は左に回り込む


山頂直下の岩場


ハイマツをかき分け三角点へ


穂高岳・焼岳


後方の霞沢岳・眼下の上高地

奥又白池 オクマタシロイケ 標 高 約2500m

山 域

穂高連峰

登 山 記 録
登山月日 2013年8月2日〜8月3日
登山経路

8月2日
沢渡12:40=バス=上高地13:20/14:00〜徳沢15:30
8月3日
徳沢5:40〜ロス20分〜新村橋6:15〜パノラマ新道分岐7:10/7:15〜奥又白池9:20/10:30〜新道分岐12:00〜徳沢13:00/13:40〜上高地15;10/15:30=バス=沢渡16:00

行動時間 第一日目(上高地から)2時間10分 第二日目(上高地まで)10時間20分
合計 12時間30分 (休憩時間を含む)
天  候 第一日目晴 第二日目晴
メンバー 単独

情  報

アクセス 沢渡のバスターミナルは新設された
トレイル パノラマ新道分岐からは急坂の奥又尾根を行くが、奥又白池までしっかりしたトレイルが続いている
水場・トイレ パノラマ新道分岐が最終水場 奥又白池の水は飲用不適(要煮沸)
トイレは徳沢が最後
その他 奥又白池はクライマーの領域だが一般登山者も問題なく入れる

山行記


奥又白池に姿を映す前穂高岳岩稜


周囲200mの天空の奥又白池


(左)新村橋を渡り梓川右岸道路へ
(右)「氷壁」のモデル、ザイル切断事件若山五郎氏の慰霊碑・荼毘に付された地点に立つ


樹林帯を抜けると前穂北尾根が見える・奥又尾根取り付き付近と松高ルンゼ


奥又尾根をひたすら攀じ登る・小潅木帯を抜けると北尾根が眼前に


汗を拭いながら振り返ると梓川の対岸に常念岳が・奥又尾根に取り付き2時間で奥又白池に着く

久しぶりの沢渡からの上高地入りである。沢渡には大きなバスターミナツが新設されていてびっくりする。国際山岳観光基地上高地の玄関には相応しい施設が出来たという事で納得である。
上高地のキャンプ場のベンチでラーメンを作って昼食とした。真夏の観光シーズンなのに愚図リきみの天候のせいかあまり人ではないようで静寂の梓川右岸道路をゆっくりと歩いた。喧騒の明神には立ち寄らずそのまま休憩なしで徳沢まで1時間30分ほど歩き続けた。徳沢のテント場も閑散としていて、その数10張りくらいであった。持参したビールとお酒を飲みながらゆっくりと寛ぐことが出来、夜もしっかりと睡眠が取れた。

キャンプ場の朝はいつも先発するものの支度で騒々しいものであるが、徳沢は芝生(草付き)のテン場のためか足音がしないので静かである。4時半頃から朝食の支度をするものが居たが私は5時に起きてコーヒーを沸かし昨日勝ってきたおにぎり等をを口に入れて朝食を取った。
5時40分には軽いザックを背負って徳沢出発した。5分ほど進み梓川の川原に出ると前穂高の岩稜に朝日が差す時間であった。カメラに収め工事用の橋を渡って右岸側に出るが有るはずの右岸道路に繋がっていない。あまり深入りしてはいけないと左岸側の登山道に戻った20分ほどのロスタイムである。
横尾に続く登山道を10分ほどで新村橋に着き吊り橋をわたって右岸に渡ると車が数台止まっていた。他県ナンバーも見られ林業か砂防工事かそして山小屋関係者の車と思う。右岸道路(車道)を10分ほどでパノラマ新道への登山口についたが入り口には「パノラマ新道は残雪のため通行不可」のプレートが下がりロープで進入規制されていた。しかしここにも数台の車が止まっているところを見ると涸沢の山小屋関係者の車と判断する。きっと涸沢への長い雪渓のトラバースはアイゼン装着して行っているのだろうと思う。上高地からここまで歩けば2時間近くは掛かるわけで山小屋関係者の気持ちも分かるというものだ。
ロープををくぐり涸沢に続く広い登山道に入る。以前は奥又白谷の砂防堰堤工事用に作られたと思われる広い道が続いていた。やがて樹林帯に入り本格的登山道になると、すぐ先に小さな慰霊碑がたっていた。昭和30年代初めに冬の前穂高東壁で起きたナイロンザイル切断事件の若山五郎さんの遭難慰霊碑であって、事故から半年後の夏発見された遺体がここで荼毘に付されたという慰霊の場所であった。井上靖の小説「氷壁」はこの事件をモチーフに書かれたという事を下山後知ることが出来た。慰霊碑に手を合わせダケカンバの樹林帯を行き樹林帯を抜けると奥又白谷の上部に前穂高北尾根が見えてきてゴーロ沢を少し進むとパノラマ新道と奥又白池への分岐になっていた。
奥又白池へのゴーロ沢を100mほど進むと左側に涸れた松高ルンゼがあり、奥又尾根への取り付き点である。踏み跡が薄くガスリ気味のときは分かりにくい場所であるが、尾根の取り付きの岩盤にはめ込まれた熊本登高会の遭難慰霊のレリーフが良い目印である。このレリーフにも2名の氏名が刻まれていた。やはりここは遭難の巣窟だったのだという事を思い知らされて緊張させら、ここでヘルメットをつけた。露岩の尾根に取り付くとすぐに小潅木帯に入り一気の急坂が続いていた。岩を掴み木の根に摑まりながら必死に高度を上げてゆき、やがて奥又尾根に着くと少しは傾斜も緩んでいた。しかし一つも気を許せることの出来ない急坂であることは間違いない。松高ルンゼを合わせる頃になると草地にフウロやニッコウキスゲが疲れを癒してくれる。再び小潅木帯に入り急坂を汗を滴らせながら攀じ登る。まだかまだかと思う頃潅木帯が開け草地になった。右上方には北尾根の岩稜が被さるように聳え、モレーンのカールには草花が咲き乱れていて絶景である。再び小潅木帯に入って少し進むと完全に森林限界を抜ける。大きく深呼吸し休憩を取った後草付を進むと、右に前穂高北尾根岩稜の五・六のコルを経由して涸沢に至る、登山道が分かれていた。少し涸沢への道に入りかけたがすぐに戻って、ベニバナイチゴなどが群生する細い道を登りきると台地上に立つと小さな池が目に飛び込んできた。標高2500m地点にある周囲200mほどの小さな奥又白池である。
池の畔はテント場になっていて二張りのテントが張られていた。前穂高北尾根や東壁などを攀じるクライマーの基地である。一般登山者はあまり足を運ぶものもなく静寂を保つ穂高に残された秘境でもある。テントの主はクライミングに出かけたのか声をかけても返事がなかった。池の畔を散策した後、巨石に腰を下ろして岩稜を眺めながら軽食を取る。しばらくするとテントの主が3人で戻ってきた。「北尾根を前穂高まで登ろうと五・六のコルまで出かけたが涸沢への登山道は崩壊が激しくコルまで行くことが出来なかったので引き返してきた」と残念そうである。私には出来ないことに挑戦しているクライマーがまぶしく映ったのである。1時間以上休憩しテントを撤収するクライマーに声かけて下山に掛かる。潅木帯に入ると2名のパーテイが奥又白池目指して登ってきた。そしてその後も後続が続々と詰め掛けていたが殆どがクライマーのようであった。松高ルンゼ分岐に来るとルンゼを登ってきたものの後が見えて驚きであった。パノラマ新道分岐で奥又白谷の冷たい水で喉を潤した後、梓川河畔にくだり、新村橋を渡って徳沢園に下山した。

テントの脇で昼食を取り、テントを撤収し昨日とは打って変わった喧騒の登山道を上高地に下った。上高地ではバスを待つこともなく沢渡行きに乗り込むことが出来た。

 

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