祖父岳 ジイダケ 標 高 2853m 日本の山標高順53位

山 域

北アルプス
登 山 記 録
登山月日 2006年7月16日
登山経路 7月15日 折立7:30〜太郎平11:40/12:30〜薬師沢小屋14:45〜雲の平山荘18:05〜キャンプ場18:20
7月16日 キャンプ場7:00〜雲の平山荘7:20/10:05〜祖父岳11:40/11:45〜雲の平山荘12:30
7月17日 雲の平山荘6:45〜薬師沢小屋10:05/10:25〜太郎平13:05〜折立15:50
行動時間 雲の平〜祖父岳 登り1時間35分 下り45分 合計2時間25分(休憩時間を含む)
天  候
メンバー 単独(雲の平までは親子二人連れ登山隊)

情  報

アクセス 折立までは有峰林道有料道路 1800円 通行時間は朝6時から18時まで
トレイル 太郎平まで 三角点までは樹林帯を歩き、そこから上は石畳と木道が続く
薬師沢小屋まで 薬師沢までの下降はガラガラの砂礫の道 沢沿いは木道が6割の湿地帯を行く
雲の平まで 薬師沢を越えて厳しいゴーロ沢を440m登る 高層湿原の雲の平はほとんど木道
祖父岳まで 木道が山麓まで続き最後は巨石の中の登山道となる
水場・トイレ 太郎平から先、雲の平までは水場の心配はない トイレは小屋とキャンプ場にある
その他 何かが一番と思う、日本一高い高層湿原を持つ自然庭園である

 
雲の平山荘から見る祖父岳とケルンが林立する祖父岳山頂


雨にけむるスイス庭園と一瞬晴れた太郎平方面の眺め


長い縦走路を親子で黙々と歩く


木道脇に咲く、シナノキンバイとリュウキンカ

2006年夏 北アルプス・雲の平
(親子で連帯を深める)


「海の日」の休日を含めて4日間の「北アルプス最奥部・雲の平」周辺幕営トレッキングを計画した。

7月15日「折立〜雲の平まで」
7月14日、夜20時過ぎに家を出て、岐阜県高山市の旧上宝村の「道の駅」で仮眠。翌朝、有峰有料道路から薬師岳への登山基地・折立に入る。怪しい天気の中、3連休を山で楽しもうと、50台位の車が止まっていて、それぞれが登山の支度をしている。私たち親子もテントを担いで登山道に入る。目的地は太郎平を超えて薬師沢に下り、さらに400m登り返して、北アルプスの庭園「雲の平」である。1年ぶりの本格的登山に、ムスコも嬉しそうで、少し思い荷物も気にせずしっかりと歩いている。
気になる天気に一喜一憂しながら太郎平に着く。ここまで4時間かかり、小屋の休憩所でラーメンを作って昼食を取る。小屋にはラーメンもカレーライスも販売されているがなるべく持参のもので賄うつもりだ。

30分休憩し、所要タイム6時間の雲の平への登山道に入り、ピッチを上げる。一旦薬師沢に下り、沢沿いの登山道を薬師沢小屋までは2時間と少しかかり、14時半を過ぎていた。ここまでが1日目の限界であるが、テント場のある「雲の平」までは更に3時間半の行程である。
久しぶりの登山で疲れ気味のムスコを激励し、高度差440mの「雲の平」への登りにかかる。枯れたゴーロ沢の中、大きな石を縫って歩く。重たいザックを背負ってムスコも随分がんばっているが、どうしてもオヤジに遅れをとる。何回も声をかけ励ましながら、何とか木道設置された「高層湿原・雲の平」に登りつく。ハイマツと露岩が作り出した「アラスカ庭園」「奥日本庭園」などを横目に見ながら、夕闇迫る18時に「雲の平山荘」に到着した。
ここが最終到着地と思っていたのであるが、テント場まではさらに20分かかることが分かり、疲労困憊のムスコは少々おかんむりの様子である。薄暗くなった木道を小屋で仕入れたビールを握ってキャンプ場に急ぐ。

今年テントを張るのは私たちが初めてだという「雲の平キャンプ場」に着いたとたん、心配していた雨が降り出し、すばやくテントを設置する。これはほとんどオヤジの仕事であってムスコは見守るしかない。ようやく雨宿りのできるテントを張り終わる頃になると雨は激しさを増してテントを大粒の雨がたたき不安な気持ちが募る。
しかし親子二人の連帯感を確かめ合う夕餉はここから始まるのだ。まずは小屋で仕入れたビールで乾杯、そして持参した日本酒をお燗する。ムスコは「疲れた体に酔いが回るのでやめておく」と言うので、500mlの酒は結局オヤジ一人の胃袋に収まる。ムスコにはアルファ米に熱湯を入れ、中辛のカレーライスを作る。空き腹に息子は「うまい・うまい」と喜んで食べてくれる。
1時間もすると雨はさらに激しさを増して、キャンプ場は水浸しとなり、テントの下に水が回り始める。いかんともしがたい状態となるが、とにかく明日の朝まで我慢をしなければならないのだ。私は疲れと酔いが手伝って夕飯は口にすることができなかった。
私は折角の親子登山でこんな惨めな思いをさせてしまい後悔する。「こんなところに連れてきてごめんね、小屋泊まりにすれば良かったね」と息子に声かける。しかしムスコは「いいよ、いいよ。僕、お父さんと一緒だからいいよ」と泣かせることを言って私を安心させようとしている。
温かいスープを飲むと、疲れからムスコは雨も気にすることなく、寝袋に体を入て大きな寝息を立て始める。
夜半になっても雨足は衰えず、キャンプ場を流れる小川は大きな音を立てて流れている。私は生きた心地せず、まんじりともしない夜を過ごすのであった。しかし雨が小康状態となった朝方には3時間ほどの睡眠をとることができた。

7月16日 「雲の平山荘で停滞する」
夜明けには滲みた水で、テントの中はびしょぬれである。テントの外に出ると周囲の様子がつかめる。キャンプ場はどこもかしこも水溜りでここではもう停滞はできないと判断し、小屋に避難する事を決心する。ラジオで聞く天気予報でも、この先さらに大雨が続くようでは計画変更も仕方ないところである。
テント内でパッキングを済ませ、雨着をつけてテントを撤収しザックにくくりつける。これも全てオヤジ一人の作業である。ムスコはただ心配そうに見守るだけであるが、それでいいのだ。

びしょぬれの体で小屋に逃げ込み、休憩を申し入れる。まだ若い小屋の主人は快く引き入れて、休憩所のストーブで暖めてくれる。濡れた衣服を全部着替えると生きた心地がする。朝飯の準備もできなかったことを伝えここで自炊をさせてもらう。若いアルバイトの女性従業員も温かい声をかけてくれた安心だ。昨夜の宿泊者は全て朝早く山を下っていったようであり、私たちもそうしようかと思うのであるがもう折立まで帰り着くには遅い時間であることを告げられる。
もともと山中3泊、雲の平から三俣蓮華岳そして黒部五郎岳を周遊して太郎平から折立に下る予定であって、食料も十分あることだから、ここで1日停滞し、様子を見ることにする。そしてとり合えず今日の宿泊手続きをする。ムスコも久しぶりの山小屋泊で嬉しそうだ。女性従業員2名の方とは話も弾み談笑してくれるのが嬉しい。実はそれとなくムスコの事情は話してある。小屋の主人にもその話をすると「ちっとも気になりません、ゆっくり寛いでください」とこれも物分りのよい返事が返ってきて嬉しい限りである。

私は、もう一つの目的である祖父岳の登頂だけは果たしておきたいと思い、2時間ほどの休憩の後に、カメラと少々の食料をサブザックに詰めて、霧雨に代わった外に出る。
木道をテント場近くまで戻り、さらに案内板に導かれて祖父岳目指す。植生復旧のため、新しく拓かれた登山道はスイス庭園などを見ながら大きく迂回していた。随分と方角が違うので2度ほど後戻りして案内板を確認するほどであった。ようやくキャンプ場から直登する旧ルート(廃道)と合流し、さらにその先10分ほどで黒部源流への分岐(三俣山荘直行ルート)から祖父岳登山道を登り、ケルンの林立する祖父岳山頂に立った。山頂標識も三角点もない荒涼とした山頂であっても、そこは日本の山標高順53位標高2853mの堂々たる山頂である。ガスの中すばやく山頂をカメラに収め、急ぎ足で下る。登りはガスの中迷いながら1時間半以上かかったのに下りはその半分で、小屋に戻ることができた。

小屋に戻ると案の定?ムスコが談話室で、今朝薬師沢小屋を立ち、11時に小屋に登りついた京都からの中高年登山隊を前に得意顔で話をしている。私にはすぐ事情がつかめたのである。「お父さんお帰り」と言う息子の声で10人位の登山者が一斉に私を注目する。そして口々に「ムスコさんのの百名山話とお父さんの山自慢の話を聞きました」と声かける。思わず私は目頭を熱くし、「ご迷惑はかけませんでしたか」と返事をする。二言三言、会話を交わせば大概の方はムスコの事情を察することができるのである。「ムスコさんに色々楽しいお話聞きましたよ、お父さんもすごいですね山の話を聞かせてください」と嬉しい言葉がかかるとまたしても私は目頭を熱くし、声は上ずり、返答に窮するのであった。それでも私の拙い山自慢を何人かの方が聞いてくれた。
昼食のラーメンを食べた後、部屋に入り、横になって昼寝を決め込む。
私はムスコが「生き生きと自分の自慢話ができて、それを聞いてくれた人がいた」という、今日の事がとても嬉しくて、又布団の中でそっと涙を拭うのであった。

15時過ぎには、黒部五郎小舎から、10名近くが雨の中の縦走を果たし、びしょぬれになって小屋に到着し、二人きりの貸切かと思った部屋も賑やかになる。
17時を回ると「夕飯の支度ができました」の案内がある。同宿者が食堂に集まる中、二人で自炊だ。ムスコも決してうらやましい顔などしないのであるが、「食べてみたいナー」と思っているのが手に取るように分かる。少し不憫に思うのであるが、ここは「若い者は小屋泊まり・小屋飯での登山などは登山のうちに入らない」と強がりを強いて納得させる。丁度遅い時間に小屋についた、東京からの若者も、キャンプ支度で小屋に避難し、自炊を始めたところであり、息子もそれなりに分かってくれたようだ。
そして食事を終えた京都の中年女性に「小屋の食事はおいしかったですか」と屈託のない声をかけるムスコに、粗末なレトルト食品の夕食を作るオヤジは身の置き所がない思いをするのであった。女性も「そうおいしかったわよ」と一言返事をするだけでしかなかったのである。
食事後、一瞬周囲か開け太郎平方面の展望に歓声が上がった。
東京の若者と山談義を楽しみながらゆっくり時間を過ごし、7時には布団に入って昨夜の分までゆっくりと休むことができた。

7月17日 「雲の平からの脱出」
その晩もまた激しい雨が降り続き、朝になっても雨足は少しも衰えない。小屋の前の小川は昨日よりさらに水かさを増していて恐ろしいほどである。「しまったなー、昨日のうちに薬師沢小屋まで下っておけばよかったかなー」と思っても後の祭りである。
小屋の朝食に合わせて私たちも朝食を作り、腹ごしらえする。キノコご飯に豆腐の味噌汁・お餅3個入りである。これで今日の行動はシャリバテすることはない。
小屋の主人は防災無線を使ってしきりに情報収集に勤めてくれる。そして出した結論が「今日は小屋を出るのはしばらく待って欲しい」という事であった。3連休を利用して四国から来たという、黒部五郎小屋からの縦走者は何が何でも出発する気配で、「午後3時に折立にマイクロバスを予約してあるので出発する」と言って聞かない。さらに主人が薬師沢小屋に連絡を取り「その旨連絡したので十分気をつけて行動してください」と見送る。そして又、京都の中高年登山隊は「三俣山荘まで行く」と言って強雨を突いて出発して行った。私たちも、もうここここに停滞する理由もなく、折立に向かうことにする。丸1日お世話になり親切に頭の下がる思いであるが「軟弱物と思われたくないので出発します」と強がりを言って小屋を出るのであった。小屋番の主人は、「まったく分かっちゃいないよなー。この雨の中を行動するとは・・・」とこの暴挙ともいえる小屋立ちを憂うのであった。
「是非又来てくださいお気をつけて」の声に深く頭を下げながら・・・。
東京の若者は「1日様子見して高天原目指します」と言って、女性従業員と並んで見送ってくれた。
結局、今朝雲の平小屋を出たのは薬師沢に下り、折立目指すものが4グループ13人、三俣山荘目指すもの1グループ13人である。

カメラに収めたい「雨の雲の平」は随所にあるのだが横殴りの強風下では諦めて木道を急ぐ。昨日一日休養したせいか、先を歩くムスコの足色は随分とよく、私を置いてきぼりにする。「早く帰りたい」一心からも知れない。
しかしアラスカ庭園を過ぎて急坂の登山道に入ると様相ががらりと変わる。一昨日登る時には水など少しも流れていなかったのであるが、今日は2日分の雨水を集め、完全な沢に変わっていた。ここからは私が先を歩きながら安全確保に勤めなければならない。
昨日乾燥室で乾かした靴ももう完全に濡れてキュウキュウと音がする。巨石がゴロゴロする沢の中を慎重に道を選びながら下り、滝のようになったところは脇の薮を掻き分ける。普段でも下りの苦手なムスコは離れがちになり、私の苛立ちも募るのであるが、ここは我慢我慢、ムスコを激励しながら慎重に下る。私のペースとは3倍くらいの時間をかけて、登りよりも30分も時間をかけて雲の平から薬師沢に下ったのである。

今朝小屋を出る時から一番心配した薬師沢超えである。濁流が渦巻く薬師沢が目に入る。ここで失敗したら薬師沢の藻屑、黒部ダムに直行である。
先発した3グループ11名の姿が見えないのは無事通過して行ったのだろうか、それとも黒部ダムに直行したのだろうかと考えると不安で心臓が高鳴る。そして支流が滝となって本流に注ぐ、濁流渦巻く薬師沢の川岸に立つ。
上部からは小さな落石も見られれば更に危険が差し迫っている。幸いロープがしっかりと張られているが滝の水をかぶりながら3mほど本流の川岸を下流から上流に渡らなければならない。「お父さんが先に行くから良く見ておけよ」と私はしっかりロープを握り滝を浴びながら徒渉する。幸い余り水深は深くはなく、それでも腰まで水に浸かり渡りきる。
そして今度はムスコの番である。「良いか、絶対ロープを放してはいけないからなー」とムスコに決心を促す。ムスコはロープを握ったまま泣きながら行動に出られない。「思い切れ絶対ロープを放すな」と私は何回も声をかける。ムスコも意を決して濁流の川岸に足を入れる。しかし前に進めない、次にどうしたらよいのか分からないのである。ロープにぶら下がりながら体が水の中で浮いているのである。「足を踏ん張れ!足を前に出せ!」といっても行動できない。ムスコの顔に失望と絶望の色が浮かぶ。濁流に飲み込まれようとしているのである。私も必死である。「絶対手を離すな!」と叫びつつ、左手でロープを握り、右手を思い切り伸ばすと何とかムスコの手に届く、そしてその手を握り渾身の力で引き寄せると、ムスコは足を水中に立てることができ、何とか徒渉することができた。
恐怖と安心感で涙するムスコをなだめ、少し息を入れる。
そして岩場にかけられた狭い梯子を超えて、さらに薬師沢にかかる吊橋を渡って川畔に立つ薬師沢小屋にたどり着いたのである。首から下は滝を浴びて全身びしょぬれである。小屋の入り口を借りてスッポンポンになって着替えをする。さっきの恐怖でまだ心臓の高鳴りがやまないのだ。
後で分かったのであるが先発した7人グループが後続はいないと勘違いし、それを聞いた薬師沢の小屋番が鋼製足場を撤去したために後の3グループ6人が非常に危険な徒渉を強いられたのである。やはり山に入ると良く前後の状況を把握して行動しなければと思わせられる薬師沢の徒渉であった。

薬師沢の小屋から少し上がった木道の休憩ベンチで腰を下ろして息を整える。よくがんばってきたムスコを愛しく思う。雲の平の小屋を出てからすでに3時間半、10時半に近い時間となってはゆっくりしてはいられない。
次の休憩ポイントは太郎平の小屋までを確認し、ムスコを先に沢沿いの登山道を緩やかに登ってゆく。谷間のせいか風もなく雨も小降りとなって、ようやく心に落ち着きが戻る。登山道の脇に咲くシナノキンバイ・チングルマ等の花にも目をやる余裕が出るのであった。
薬師沢の小屋から1時間少し歩いて木道終点のベンチで小休止し、太郎平への登りにかかる。ここも標高差300mはあるのだろうか疲れた体にこの登り返しは厳しいものがある。ゆっくり、ゆっくりと登って稜線直下で雪渓を横切る。そして又風雨が激しくなった中、13時に太郎平小屋に到着した。入口の扉を開けると小屋番が7〜8人顔を出して「お疲れさま、どちらからですか」と労ってくれる。事情を話し、「折立まで下る」と言うと、「休むと気力が萎えるから、この勢いで下ってください、折立から先の有峰林道は降雨総量規制で通行止めですが下山者に限り通行許可しています」と言う。

ザックを下ろす間もなく、少し不満顔のムスコをせきたてる。「走って下れば2時間もあれば大丈夫、後8キロ頑張ろう」と促すと、ムスコもしぶしぶと立ち上がり、私の後に続く。
太郎平から折立の中間点に近い、三角点までは木道と石畳の登山道で歩きやすい。私一人であれば本当にザックを担いで走るように下るのであるが、久しぶりに重たい荷物を担ぎ、長時間歩き詰めのムスコには、もはや余力はないのであって、私は何回も叱咤激励する。後ろを振り返り、霧の彼方に消えそうになるのを待って大きな声を上げて位置確認する。ムスコもそれなりに頑張っていて「大丈夫心配ないよ!」と声返すのであった。
木道と石畳の道は吹きさらしの中であって、風雨が強く体温が奪われて寒気がするのである。
三角点の少し前で愛媛の夫婦登山隊が休んでいた。目的の折立までは先も見えたのでお互いに労いあい、薬師沢超えの恐怖を語り合うのであった。
三角点を過ぎると樹林帯に入り、ようやく風も収まる。後はジグザグ道をひたすら下る。途中から私はムスコに「先に下るから自分のペースで下りてこい」と声かけて先を急ぐ。
愛知大学遭難慰霊碑十三重の塔が立つ登山口には3時50分の下山となった。雲の平からは9時間、太郎平からは2時間45分の所要タイムである。駐車場には5台ほど車が止まっていたが一人も見当たらない。車のトランクを開けてここでも着衣を全部着替えてさっぱりとする。15分ほど遅れて下りついたムスコを労い、着替えを手伝う。二人でお互いを労い、連帯を確認しながら有峰湖畔を走り、帰途についたのである。

 

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