クーンブ山群に足跡を残して

ゴーキョピーク(5、463m)・カラパタール(5、545m

大垣山岳協会・美濃ハイキングクラブ  在間e子


世界の最高峰エベレスト(8,848m)を、自分のこの目でじっくり眺めてみたいと、前々から思っていたのでA社に申し込みすると、成田からツアーリーダー含め男8名、女5名、名古屋から私1人の計14名で28日間のトレッキングに出発。

バンコクのラマガーデンホテルで初顔合わせ、会計士の仕事をやめて3年間で8大陸の最高峰を目指すというH氏を筆頭に、海外登山7〜8回目とかネパール3回目とか凄い人ばかり。私もモンブラン(4,807m)、ケニヤ山(4,985m)、キリマンジャロ(5,895m)等登った時は、高山の影響を受けることなく割と楽に登れたので、今回も何とかなるさと楽観していたが、どっこい大変苦しい山旅になるとは思いもしなかった。

ところで、今年はエベレスト初登頂から50周年という記念すべき年に当たっていて、各国のトレッカーも多いと思っていたが、ルクラ(2,840m)、パクディン(2,800m)、ナムチェ(3,440m)、タンボチェ(3,860m)辺りまではにぎやかであったが、次第に高度を増すごとに少なくなっていく。

カトマンドゥからルクラ間は15人乗りの山岳飛行、イエティ航空のプロペラ機に乗り込むと早くもヒマラヤ山脈の白い峰々が次々と姿を現してくれる。眼下には幾重にも段々畑が広がり、所々に点々と集落が見える。

ルクラへおり立つと、まず目に飛び込んでくるパーリ(5,885m)が、鋭く天を突きさす姿が。我々を待ち受けていたのはサーダーのパサンテンバの他にシェルパ6人、コック1人、キッチンボーイ5人、ポーター5人、ゾッキョ10頭(ナムチェからは高山に強いヤクを使用)ゾッキョドライバ1人の大所帯で11:45いよいよトレッキング開始。

ミルク色の川ドードーコシ沿いを登り下りしながらランチ場着。早速キッチンボーイが紅茶を入れてくれる。ランチは茹でジャガ、玉子焼き、食パン、小松菜、ニンジン入りのラーメン等。14:30出発して今日のテント場パクディン(2,652m)へはタルチョーはためく吊り橋を3回渡って15:50到着。リーダーより、今日から酒タバコは駄目、充分な水分摂取。3,000mで3L、4,000mで4L、5,000mで5L必要と言われる。ゆったりとしたテント1張りに2人ずつ。シュラフ3枚重ね、1番中に白い木綿の袋状の物をシーツ代わりとして使い、次に羽毛のシュラフ、外側にポリエステルのシュラフを重ねるので寒くはない。

外食はいつも18:30から、少ない食材で腕によりをかけて、毎回心を込めて作ってくれる。メンバー2人がトレッキング中に誕生日を迎えた時は20cm位のアップルケーキの上にローソクまで立てた本格的なケーキを焼いてくれた。巻き寿司も2回作ってくれた。

11月11日
朝6:00ボーイが「ママさんお元気ですか」とにこにこしながら、各テントへモーニングティを運んでくれ、飲み終わる頃、洗面器にお湯をくれる。我々は朝食の始まる6:40までに着替え、洗顔、シェラフの片づけ、ヤクに積むダッフルバッグを整え、登山準備トイレと結構忙しい。高度の高いところではこれだけのことをやるにも、少し急ぐとハーハー息が切れる。朝食は毎日お粥に玉子料理、トースト位で軽く済ます。登り初めて1時間で真白に輝くタムセルク(6,623m)の姿に歓声を上げる。吊り橋を渡った川原に青いビニールシートを広げて、ランチのセッティングがしてあり、楽しいティとランチが始まる。なぜか子供の頃のままごと遊びが思い出される。

ボーイたちは我々の朝食の後かたづけをしてから、自分たちも朝食をとり、ドッコという竹で編んだ三角形の籠に台所道具、食材、石油等詰め込み、頭にベルトを掛けて重さは背中で支え、足早に我々を追い越してランチ場に着くやいなや、食事の準備を整えて迎えてくれる。仕事とは言え頭の下がる思いがする。ナムチュへ登る坂で初めてヌプチュ(7,864m)とエベレストが見えたがまだまだ遠い。今日は600m登ってナムチェ(3,440m)着15:25。

11月12日
順化のためにナムチェ泊
集落は大きく、シェルパの里と言われ、電気もあり、ロッジのトイレは水洗。土曜日にはチベット側から商人が来て市場が開かれる。シェラフを干しておいて、元気な6人で順化のために丘の上に登り、ゴンパを見学してクーンプ山群の展望を楽しんだ。夕方4:00頃より雪がちらちら降り出し、夕食時には沢山降ってきて、明朝の出発が心配だ。日本山岳会副会長の一行とロッジで出会い談笑。ヒラリーの建てた学校のそばに寄宿舎を完成させたお祝いとか。

11月13日
心配した雪も1cmほど積もったのみで快晴。「お母さんの首飾り」と言われる、名峰アマダブラム(6,814m)が間近く迫る道を進み、ホテルエベレストビューへ寄り道してラージーコーヒーをすすりながらゆっくりする。紺色に近い青空にセスナ機が飛んできた、パラグライダーも悠々と空に舞っている。右手眼前にアマダブラム、その左にローチェ(8,501m)その奥にエベレスト、11:00まで景観を楽しむ。クムジュンでランチ後、立派なゴンパへ寄り、50ルピーのお賽銭を払って五体投地でお参りして、イエティの頭皮を見せてもらった。ゴンパには大きくて立派なマニ車が有り、回すのに力がいる。チベット語で「オム、マニ、ペム、フム」とお経を唱えながら回す。小さいマニ車も沢山あって、皆次々に回しながら歩く。途中ネパールの国鳥ダンフェが灌木の中を歩いている姿を見る。孔雀に似た美しい鳥だ。今夜はサーナサ泊
ロッジ内で夕食後、テノールの素敵な声
O氏の音頭で山の歌を合唱。シェルパも加わってネパールの歌を歌ってくれる。踊り出す人もいて寒さも忘れてにぎやかな一時となる。リーダーが星に詳しい人で、望遠鏡をセットしてアンドロメダを見せてくれた。手の届きそうな所にある星達のその数、その瞬きが、我が家から見る星とは全然違っていた。

11月14日
4000mのモーン峠でランチ。ポルツェタンガ(3,550m)でテン泊。夕食は初めて食堂テントでとる。

11月15日
割に暖かいと思ったら8:00の出発時は3℃だった。テンバのドーレ(4,040m)へは10:30に着いたので、ランチ後、高度順応のために4200m地点まで登る。リーダーの指示で早めのペースで登ったので息が切れたが、あこがれのチョーオユー(8,201m)の姿が望まれた。夜、いつも眠られないので、私はマイスリー半錠飲んでいたが、ここは富士山より300mも高い所、今日から睡眠導入剤を飲むことを禁止される。

11月16日
テンバのマチュルナ(4,410m)は夜冷え込む。酸素が次第に薄くなってきたのが感じられる。

11月17日
テンバのゴーキョ(4,750m)へ行くまでに3つの氷河湖を通る。1つ目の湖の対岸に丸々と太ったアカツクシガモの夫婦がのんびりと陽なたぼっこをしている。2つ目の湖のそばで暖かいハチミツレモンとビスケットを頂く。3つ目の湖から15分でテンバに着く。思わず「湖畔の宿を」のメロディをハミングする程雰囲気の良いところ。明日の登頂に備えて丘の上へ登り順応を高める。夜、ゴム製の湯たんぽが配られ有り難い。それは懐かしい子供の頃、熱が出た時母親が持ってきてくれた氷枕とそっくりだった。

11月18日
いよいよゴーギョビークへ登る日。テンバを6:00に出発して、30分登って5分休憩を入れながら、ゆっくりゆっくり進む。ドードーポカリに流れ込む小川を飛び石伝いに渡るのだが、凍っているので転ばないように慎重に通過。30分も登ると雷鳥が10数羽近くにいる。我々が通っても逃げる風でもない。700m強のジグザグ道を登り、巨岩がゴロゴロして強風にタルチョーはためく山頂へは8:25到着。私も元気で先頭集団で登れた。最後の人は1時間30分遅れ。8,000m峰14座の内、4座が眺められる。左からチョーオユー、エベレスト、ローチェ、マカルー(8,463m)人を容易に寄せ付けない神々の住む峰々は「どうぞ存分に見てください」と我々にエールを送ってくれているようだ。

11月19日
ココナのテント内出発時−6℃。今日のテンバ、ポルチェ(4,280m)迄はドードーコシ左岸の道を進む人の少ない静かなコースだった。

11月20日〜21日
2日間は順化のためペリチェ(4,280m)泊。ここは東京医科大学が建てた診療所がある。私は下痢と咳き込みがひどく、食も進まず夜も全然眠られない。パルスオキシメーターの数値も64だったが、自分自身ではまだ元気だと思っていた。ところが夕食後リーダーから「在間さんは荷物をまとめて下りてもらう」と言われる。

11月22日
昨夜の言葉が頭から離れない。テンバのロブチェ(4,930m)へは13:50着。早々にテントで横になりたいが「その日の最高地点に行ったら2時間は横になってはならない」と、リーダーに言われたので座っていた。水分も5Lとらないといけないのだが、とてもとても努力しても取れる量ではない。ティカップを見ただけで嫌になってくる始末。明日はカラパタールに登る日だ。今日中に体調回復しないと登れない。今日も湯たんぽが皆に配られた。同テントだったKさんは静養のためにペリチェにいるので私一人テントだ

11月23日
6:00出発。正面にヌプチェ(7,864m)やプモリ(7,165m)を見ながら進む。2時間強登ったとき、リーダーが見かねて、私のザックをシェルパのニマに持ってもらうよう指示。念願のカラパタール山頂へは11:15着。とうとう夢にまで見たエベレストがここから10キロの至近距離で眺められる。双眼鏡で見ると登っている人がいればはっきりとらえることが出来るそうだ。東下のクーンブ氷河上に有名なエベレストBCが(5,364m)・・・。5月頃には各国の登山隊の色とりどりのテントが張られ、活気づいていることと思うが、今日はひっそりと静まりかえっていた。山頂には15分いただけで下山開始。テンバのロブチェへは15:35着。ティを飲むと早々にテントに入り、横になっていたがメンバーの2人がまだ戻ってこない。シェルパがヘッドランプを持って迎えに行くと、すぐに別のシェルパの肩を借りて、よれよれの状態で17:00無事帰り着いた。酸素を吸っても良くはならないので明くる日、シェルパに背負われてペリチェの診療所に行き入院することになった。リーダーとサーダーの相談の結果、カトマンドゥの日本語が話せる医者のいる病院までヘリで下ろすことになったが、自分の足で下りたいという本人のたっての希望でペリチェで回復を待つことになる。この間我々は3座目のチュクンピークへ登るのだ。

11月26日
私はこの4〜5日ずーと咳き込みがひどく、テンバのチュクン(4,743m)へ向けて出発するも1時間登ると肋骨まで痛くなり、最後尾になってしまう。リーダーに「今日は遅いねー。そんなではチュクンピークへは登れないよ。同じテントのKさんも下で待っているから下りた方がいい」と言われ、私も少し残念だが無理をしてもっとひどくなるといけないので、ディンボチェへ戻ることにした。彼女と二人ロッジでミルクティを飲んで、真っ白に輝く美しいアマダグラムを見ながら、おしゃべりしたり、新田次郎の山岳小説を読みふけった。こんな高い山中でゆったりした贅沢な一時を過ごす。

11月27日
3座共、登頂した8人の精鋭隊が14:40下山してきたが、皆相当に疲れているようだ。にもかかわらずSさんが、小さいビニール袋に山頂の石を詰めて私たちにくださった。

11月28日
ペリチェで静養していた2人と合流。内、男性は馬で下山。女性は自力で下山できる程回復していて安心した。私は結局12月1日の最終テンバ、ルクラへ着くまで体調不良が続いたが、なぜか気分はハイ。我々を長い間世話してくれたスタッフと夕食後お別れパーティ。私は熱が38℃も有ったので沢山着込んでテントで横になる。夜中に汗が沢山出て着替えたのが良かったのか、翌日は平熱に下がってほっとする。

12月2日
カトマンドゥのラディソンホテルに帰り、23日間の誇りと汗にまみれた体を風呂に横たえると生きた心地がした。12月3日世界遺産になっている市内観光後、夕食はラナ家の宮殿を改装してオープンしたカトマンドゥではとびきり豪華な王宮料理を食べながら、踊りと歌を観賞しなパール最後の夜を過ごす。

12月5日
タイ航空TG644便にて、無事名古屋空港へ8:30着。長かった山旅終了。

今回のトレッキングはベストメンバーで色々と良い勉強になりました。

 

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