山行記
全長150kmという南アルプスも、昨年北岳〜仙塩尾根〜塩見岳〜三伏峠を歩いて、光岳までの主稜線のうち、残るは、北岳〜仙丈ケ岳間、そして赤石岳〜聖岳間だけになった。そしてその後者には目標にしている「日本の山標高順百座」の大沢岳・中盛丸山・兎岳の3座を残している。その3山を登る山行である。
当初は旧上村のシラビソ高原から遠山林道を大沢渡に下り、大沢岳に通じるという、年間何人も歩いていない南アルプス随一のストイックルートを大沢岳に登り、百間洞を基地に赤石岳〜聖岳間を縦走する計画を立てた。
実際、其処を登ろうと7月29日シラビソ高原を目指す。林道途中で熊と遭遇するハプニングもあり、緊張をしながら登山口のシラビソ峠には夕闇迫る19時近い到着となった。
大きな・・谷を隔てて林道ゲートの先に目指す大沢岳〜兎岳などが屏風のように屹立している。
その目指す南アルプス最奥部の山々への道を目で追うと、一旦大きく谷を下り2000m近く登り返さなければならないという厳しいコースが手に取るように分かるのである。そし本当にここを幕営支度で登りきれるだろうかと考えると「うーん」と唸らざるを得ないのであった。林道ゲートはしっかりと施錠されていて、良く見ると「登山道崩壊に付き、登山道は使用禁止」の真新しい看板が掲げられていた。
林道の終点にあるリゾート施設・ハイランドシラビソに向かい、情報を確認する。「10日前の豪雨被害により黒沢にかかる橋が流失し登山道が使えないので、入らないで欲しい」ということであった。この難路を制して南アルプスの主稜線に入るという夢は潰えたのである。しかしあの厳しい登山道に入るのではなく、代替コースと考えていた便ヶ島から聖岳を経由するコースに変更できるという安心感もまた大きかったのである。
気分一新、便ヶ島の登山基地に向かい、駐車場で仮眠を取る。
(早朝、車中泊代として500円を徴収されたが駐車料金はかからない)
7月30日 便ヶ島〜聖平
朝起きてみる便ヶ島の登山基地は、きれいに整備され、隣はキャンプ場にもなっていて炊事場・トイレなどもとてもきれいである。ムスコと来た6年前を思い出すと別天地の趣である。管理棟は「聖光ヒュッテ」として聖岳や光岳の登山者に利用されている。近くの発電所から電気も引かれていて夜も明るい快適な登山基地である。
6時前には幕営支度のパッキングを確認して、20キロを超えるザックを担ぎ登山口を入る。5分ほどジグザグ道を登ると森林軌道跡の登山道に出る。ここも遊歩道として整備されていて、途中の小沢に掛かる橋も自然にマッチした木橋に架け替えられている。聖岳・光岳の登山ルートとしては静岡県の椹島から、こちらにメインルートが移ったということが実感できる。
軌道跡を30分も歩くと西沢渡の徒渉地点に着く、西沢の流れは、いまだ10日前の豪雨の影響が残り、水量豊富で、とても登山靴を脱いで徒渉できるほどではない。ここにはワイヤーロープの架線が係り、荷物運搬の搬機がかけられていた。乗降場には「人間は乗らないでください」とは書いてあるが、「制限過重150キロ」の標識もあり、一人ぐらいが乗ってもびくともしない頑丈さがあり、「人・荷共用」が当たり前のように利用されているようだ。
川の真ん中にある搬機をロープでたぐり寄せる。ザックを乗せて自分も搬機に乗り移る。搬機の走行用ロープを手繰りながら20m先の対岸に渡るのであるが、以前の物に比べ重量があり、その分スパンの真ん中での弛みが大きく対岸の乗降場所につけるにはそれなりの力が必要である。重い荷物を背負いながら、朝からアルバイトを強いられるのであった。ここは女性一人では厳しいかも知れない。
ロープ搬機を下りて、西沢で水を補給する。そして、いよいよ急登の登山道に入る。朽ちた森林組合の作業小屋を見ながらカラマツの植林地を登る。作業小屋から1時間半くらいは急坂に汗を搾り取られる。重い荷物が肩に食い込み10分も息が続かない、小屋泊まり支度の同年輩氏が気の毒そうな顔をしながら追い越してゆく。しかし私は負けてはいないのだ。一歩一歩、歩を進める。10分歩いて腰を下ろし休憩するパターンを続けながら・・・。
急坂を登りきり、シラビソの自然林の中に入ると便ヶ島〜聖平(1/2)の標識が現れてほっとする。しかしここは便ヶ島からであって、急坂の始まった西沢渡からではない。西沢渡〜薊畑の1/3地点というところであろうかと思う。その後は鬱蒼としたシラビソやダケカンバの樹林の中の登山道を黙々と登るだけである。
6年前の思い出とは違い、それほどの急坂ではないのが救いであった。
30分に一本という休憩をしっかりと取りながら登ると、重い荷物を担いだハンディなどなく、小屋泊の同年輩氏にそれ程の遅れをとることもなく、上河内岳や茶臼岳・光岳などの南アルプス最南部の山々が望まれる薊畑に到着した。
ここでしばし休憩。今日のキャンプ地聖平には午前中に到着した。
6年前にムスコと幕営したことのある思い出のキャンプ地で、私の前に3人ほどがテントを張りゆっくり寛いでいた。今日は広いテント場には結局10張り位テントが張られただけであった。
しかしその中でも63歳の私が場違いのジジイであったのは言うまでもない。
小屋泊まりもそれほどの登山者はいなかった。そして今日東海・北陸、関東甲信地方の梅雨明けが発表されたのである。夜半にはザーと一雨ありテントを濡らすのであったが、大したこともなく静かな一夜を過ごすことができた。
7月31日 聖平〜百間洞
南アルプスの小屋立ちは早い。
朝4時を過ぎると小屋の発電機が運転されるのでその騒音でキャンプ場もいやがうえにも起こされる。
それよりもなお早い3時には隣のテントが撤収を始め、夜明け前の3時半過ぎにはすでに次の目的に向かって歩き始めた者もいて、びっくりさせられる。私は4時におきてしっかりと朝食を取り、テント撤収・パッキングを済ませると5時時半過ぎの出発となったが、ここらあたりが平均的な小屋立ちの時間である。
薊畑までは昨日来た道を登る。ここに荷物を置いて聖岳に登り、引き返して便ヶ島に下るという登山者が一番多いようである。「聖岳山頂まで登り・2時間10分、下り90分」の標識も立てられている。私も6年前、百名山巡りをしているときはムスコとそのコースを歩いたものである。
しかし今日は重いザックを担いで聖岳を越えてゆかなければならない。
小聖岳まではダケカンバの中の樹林帯を行く。ここにはコバイケイソウやアザミ、ミヤマトリカブト、キヌガサソウなどの湿性の高山植物が多く見られる。樹林帯を抜けてハイマツ帯に出ると聖岳の山容が目の前に開けて小聖岳に着く。
先発した登山者が休んでいた。私もここでザックを下ろし聖岳をカメラに収める。一息入れた後、35キロもあるというザックを担いだC大学のT君と聖岳目指して歩く。彼は大学の山岳部の現役で今回は単独で農鳥岳まで縦走するという元気者である。15分ほど小さなアップダウンを超えていよいよ聖岳への登攀となる。ざれた砂礫の登山道にはしっかりとジグザグ切ってあるから滑落などの心配はないが、上を望むとかぶさるような急傾斜である。傾斜地にとまっている岩が落ちてこないかと本当に気になるところである。ここは富士山を登っている感覚でゆっくりゆっくりと登る。大きなザックを担いだT君もここら当たりは余裕の歩きだ。軽い荷物のものも重い荷物を背負ったものも、それほどは時間が変わらないのである。私も周りを行く登山者に歳を聞かれながら、少し鼻高々にこの聖岳の登攀をこなすのであった。登山道を振り返ると小聖岳がはるか下方に見えて高度を上げて行くことが実感できるのである。
薊畑から標準コースタイムの2時間10分で聖岳山頂に立つことができた。
眼前には赤石岳がデーンと聳えていて、その先には霧をまといながら、悪沢岳や遠く仙丈ケ岳も見ることができて、今南アルプスの主峰の一つに登りきったという実感がふつふつと湧いてくるのである。ザックを下ろし、のどを潤した後、T君を誘って奥聖岳に向かう。こちらはさらに展望に優れ、赤石岳がさらに眼前に迫る。大井川を隔てた対岸には笊ガ岳などの白峰南嶺、その先に富士山が逆光の中にシルエットを映し出している。ここでもしっかり景色をカメラに収めて聖岳に戻る。この山頂稜線はお花畑になっていてチングルマやウスユキソウが可憐に花開いていた。
再び重いザックを背負い、T君と聖岳を下り兎岳を目指す。
最初はザレタ砂礫の道であるが、しばらくすると岩場に変わる。南アルプスでも最も人が少ない縦走路であって登山道も荒れていて厳しいものである。
聖岳と兎岳の間は西沢源頭の大崩壊地であって、赤石岳の語源になったといわれる赤色の岩塊がむき出しとなって荒々しい姿を見せている。北アルプスの大キレットを彷彿させるような所もある。ハイマツ帯を慎重にくだり、最低鞍部は樹林帯となっていた。ここを15分ほどのアップダウンをこなし、兎岳への登りとなる。こちらも厳しい岩場を越えてゆかなければならない。T君は少しバテ気味である。聖岳からは2時間ジャストかかって兎岳の山頂を踏む。私には少し余力があって、200mほど離れた兎岳の三角点をふみに行く。T君はしばし休憩である。
ざれた兎岳の道を小兎岳の鞍部に下りここで昼食休憩をとる。半日一緒に歩いたT君とはすっかり打ち解けて、もう同行者の関係になるのであった。
30分の休憩の後再び縦走路に入る。
小兎岳を越えて中盛丸山に掛かる前の鞍部には水場標識があった。ここでもザックを下ろし、稜線から少し下ってお花畑の中でうまい湧き水を補給する。水の湧き出るところはやはり湿性の花が多いことを知る。ここの稜線上にはテントが4張りほど張れるスペースがあり、実際テントを張った跡が有った。もし明日、時間切れであればここにテントを張ろうと思うのであった。ここでも一息入れた後、縦走路を歩き始めて、中盛丸山をめざす。
兎岳と大沢岳の中間に位置する中盛丸山は円錐形の美しい山容で、見るからに登高欲がかき立てられるのであるが、この厳しい縦走路では、一つの難関越え以上の何物もないのである。その上登山道は岩礫と岩屑の道であって足場がおぼつかない。慎重に道を選びながら一歩一歩、歩を進める。T君は更に疲労が来ているようで足が伸びない。
私は自分のペースで彼を置いてきぼりにして中盛丸山を登りきる。
そして少しでも彼の荷物を小分けして担ぎ上げようとサブザックを取り出して後に戻る。「小分けしよう」と申し出ると、さすがに現役大学生の山岳部のプライドを傷つけてしまう。「自分で担ぎ上げます」と一蹴され、気まずい雰囲気になるのであった。
10分ほど遅れて登りついたT君は疲労困憊ながら元気な声で先着の登山者を安心させる。
ここからは今日の目的地百間洞の小屋もキャンプ場までの道も見ることができて一安心だ。
15分ほどで大沢岳との鞍部に下る。ここには当初予定していたシラビソ峠からの道が合流していた。
私はここで真っ直ぐキャンプ場に下るT君と別れ、目の前の大沢岳を経由してキャンプ場に下る道に入る。大沢岳は分岐から20分で山頂を踏むことができた。荒々しい山頂の信州側は、スパッと切れ落ちた岩壁となっていて緊張する。大沢岳は双耳峰であって、三角点のある南峰には山頂標識がないため、北峰にも登ってみるが、こちらにも標識がなく拍子抜けする。あまり訪れる人のない山なのだろうと思う。
北峰からはハイマツの中、一気の下りとなり、登山道の真下に見える百間洞のキャンプ場に下る。先に帰りついてテラスで寛ぐT君よりも早くテントを張る。
500ml800円のスーパードライと持参した日本酒に燗をつけて飲みながら夕食の準備をする。
隣にテントを張った「南アルプスの怪人・W君」の昨年夏の「太平洋から日本海までの縦走記」を聞き、驚愕しながら疲れた体を休めることができた。今夜も風もなく静かな夜であった・・・。
8月1日 百間洞〜赤石岳をピストンし聖平まで
昨日、百間洞山の家の小屋に着いたとき、赤石岳までの所要時間を尋ねると「登り3時間です」ということであった。ガイドブックでも「登り3時間半・下り2時間半」となっているので、空身で往復しても5時間は掛かるだろうと思う。ということは、赤石岳を往復して聖平に戻るには少し時間が足りない。昨日来るときに幕営場所を見てきたので、そのときは兎岳の避難小屋跡か兎岳と中盛丸山の鞍部にある水場付近にテントを張ろうと今日の予定を立てる。
隣の「怪人ワッキー君」は「今日は荒川中岳避難小屋までのショートコースです」と言いながら、それでもすばやくテントを撤収し、夜明けと同時に(4時半過ぎには)出かけて行った。このような行動が出来なければ大きな成果が得られないのだと感心する。
私も昨夜の残りご飯にお茶漬けをふりかけて無理やり胃袋に押し込んで腹ごしらえする。もう一つトン汁味噌汁にお餅2個入りも腹に収める。何しろお餅パワーは抜群のスタミナ源である。これでもうシャリバテの心配はない。
小さなサブザックに水とカメラ、少々の行動食を詰めて5時少し過ぎに私も赤石岳への道に入る。テント場が赤石岳への登山道になっているので迷うことはない。今日は4番目の出発となった。
テント場から5分も登るとハイマツ帯になり、百間平への急坂の登山道が良く見える。先行した登山者が一人見えて、よい目標になる。岩礫の歩きにくい道をグングン高度を上げてゆく。広々とした高原状の百阨スにはテンバから50分で登りきる。ここまでがコースガイドでは1時間になっていて、「マーマーか」と思う。しかしここから赤石岳山頂までは2時間は覚悟しなければならない。百間平は2600mを超える高原台地でハイマツの中に小さな湿原も見えてまさに南アルプスの別天地である。遅咲きの高山植物が可憐に花開いている。今朝は時々ガスが掛かるあいにくの天気になってしまい、目指す赤石岳や聖岳方面は霧の彼方である。少し霧雨も舞ってきて、雨着を忘れたことを後悔しながらもぐんぐんと歩を進める。
赤石岳の山体に掛かる前に先行の単独行を捕らえる。
更に山体に掛かる直前、110リットルのザックを背負う「怪物ワッキー」をとらえる。彼の勇姿をカメラに収める。「もう少しで山頂まで1時間30分標識がありますよ」と言われ、「やはり赤石岳までは百間洞からは3時間コースなのか」と納得する。赤石岳の麓を右にトラバース気味に進むと案内標識があった。「怪物ワッキー」が教えてくれた「山頂まで1時間30分」標識かと思い、覗いてみれば、標識には「赤石岳避難小屋まで30分」となっていた。1時間が消えているのではないかと標識をなでてみるが、間違いなく30分となっていた。「本当かなー」と半信半疑でザレタ、ジグザグ切った登山道を急ぐ。少し登ると、赤石岳から下りてきた夫婦登山者に遭う。そしてあの標識の時間表示が間違いないことを確認すると、俄然足色よくなるのであった。
更に霧が深くなった赤石岳への道を急ぐ。
標識から20分もあえぐと稜線にたどり着く。岩につけられた青い蛍光ペンキを追いながら稜線を行くとやがて赤石岳山頂が望まれる。そしてその右側には避難小屋も見える。百間洞キャンプ場から2時間少ししか掛からずに赤石岳山頂には7時15分の到着となった。決して急いだわけでもない、きっと相当気合が入っていたために短い時間で山頂を踏めたものと思う。
山頂は霧が晴れる直前の趣であって、赤石小屋から登ってきた若い登山者が2名、霧の晴れるのを待っていた。私は持参した行動食をとりながら、6年前ムスコと来たときのことを思い出し、感慨にふける。確かあの時は「もうこんな遠くの高い山に来ることはないから」とムスコと二人で感動に涙したことを覚えている。そして今、63歳を迎えてもなお、その頃よりも強靭な体力と気力が失せることなく、更に厳しい登山コースである聖岳からの道を登って、山頂を踏んだことに誇りを覚えるのであった。
休んでいる間に「怪物ワッキー」が登りつく。あの大きなザックを担いでも私から10分と遅れてはいなかった。彼には、ムスコと代わらぬ世代でありながら、畏敬の念さえ感じ、あまり声もかけられぬほどオーラを感じるのである。先着の登山者が「wさんに会えて光栄です」などと声を掛けているのを聞くと、その筋では有名人かと思うのであった。
少し待てば晴れて大展望が開けるのが分かるのであるが、今日も先が長いことを考えると15分ほどの滞頂で赤石岳を後にする。新築の赤石岳山頂避難小屋を覗いてみると、これは素晴らしい小屋である。しかし水がないのでここに泊まるには水を担ぎ上げなければならない。
来た道をゆっくり引き返す。百間洞に泊まった登山者が次々と登ってくる。茨城の「団扇を持った百名山登山隊」「栃木の2名のおじさん登山隊」「大阪から来たおなかのでっぷりと出た中年夫婦登山隊」皆、昨日聖平から付かず離れずに歩いてきた登山者で、お互いに励ましあってすれ違う。しかし同行したT君がなかなか姿を見せない、もしかして、「昨日の疲れが残って百間洞に停滞か」と心配になる。
「赤石岳避難小屋まで30分」標識を過ぎる頃からようやく霧も晴れて周囲の大展望が開けてきた。兎岳までの縦走路も谷を隔てて目の前に見える。これは何とか今日中に聖平まで帰り着けそうだと思うようになる。
百阨スに下るとようやくT君が大きなザックを背負って現れる。「昨日の疲れも取れましたゆっくり自分のペースで登ります」と元気な声が返ってきて安心する。「今日は荒川小屋でキャンプすれば」とアドバイスするが、彼は更にその先の高山裏避難小屋辺りまでを目論んでいるようだ。T君を励まし、無事の縦走を祈って、がっちり握手をして別れるのであった。
百間洞に下るザレタ道では、昨日赤石沢を登って稜線でビバークし、今日は赤石岳踏んで椹島まで下ると言う、これまた「化け物集団」と言うべき男女4人組と遭う。まさに南アルプスを行く怪物たちである。
百間洞のキャンプ場には9時過ぎの帰着で、赤石岳山頂から1時間30分、朝出てから4時間で往復することができた。これでは今日、聖平まで帰るにはそれほど心配することがなくなったのである。
テントを撤収し、パッキングを済ませると10時前であった。小屋に報告し、「これから聖平に向かう」ことを告げる。小屋番の若い女性はそれがどれほど厳しい道かは知る由もなく、「お気をつけて」の一言で見送ってくれた。
昨日のうちに大沢岳を踏んでおいたので、今日は中盛丸山との鞍部への道に入る。この登山道は相当荒れていてダケカンバの中を直登している。空身とは言え、すでに4時間歩いて赤石岳を踏んできた足には厳しい登り返しである。1時間かけて稜線の鞍部に登りきる。先が見えたとは言え、聖岳の登り返しを考えると時間の余裕など少しもないのだ。少し腰を下ろしてザレた中盛丸山を登る。思った通りの時間の到着となって、少し気分に余裕が出る。腰を下ろして簡単な昼食を取る。
後は昨日歩いた勝手知ったる縦走路を兎岳まで戻る。聖岳からの縦走者とは6パーティ10人くらいとすれ違うのもこの縦走路であった。兎岳への到着は13時ジャストであってまったく予定通り、ここから最低コルに下って聖岳への登り返しを3時間と見る。16時には聖岳そして17時半には聖平と読めて一安心だ。
最低コルへのくだりは岩場の緊張するところであるが慎重に下る。そして聖岳への約500mの登り返しである。疲労もピークに達していて、足が重いが泣き言など言っていられない。「高度100mを20分で登る」ときめて、攀じ登る。1時間に300mの高度を稼ごうという魂胆だ。「息が切れたらザックを岩に預けて息を入れる」を繰り返しながら少し時間は掛かるが何とかそのペースを確保することが出来る。
結局最低コルから1時間半で聖岳を登りきることが出来た。兎岳から3時間は掛かるのではと思っていたのが1時間の短縮が図れたのである。15時には聖岳山頂に立ち、歩いて来た道を振り返る。「よく頑張ったナー」と少しは自分を褒めるのであった。山頂には20分も留まり、聖平目指して一目散の下りに入る。
ザレた道を慎重に小聖岳まで下り、思ったより長い距離の薊畑までの樹林帯にはうんざりしながら・・・。
薊畑に着くころには夕立雲が山々に纏わり付き始める。雨が少し落ちてくる17時前に、赤石岳踏んだ後の、長い長い縦走を終えて、聖平のキャンプ場に帰り着くことが出来た。
テントを張り終える途端に夕立があったが濡れることはなかった。今夜もビールと持参した最後の日本酒(2合)を飲んでゆっくりと休むことが出来た。
8月2日 聖平〜便ヶ島
今日は便りヶ島に下るだけの行程である。縦走路に入るものを尻目にゆっくりと朝食を取り、テント撤収・パッキングを済ませると7時の出発となった。もうこの時間小屋に登山者は誰もいない。一番最後の出発である。
薊畑への登り返しはこれで4回目になる。ゆっくりゆっくりと名残を惜しみながら登る。もう本当にここに来ることはないであろうと思う。
薊畑では上河内岳・茶臼岳・光岳などを瞼に焼き付ける。そして樹林帯に入って長い長いくだりに掛かるのであった。梅雨も完全に明けて、登山者が続々と登ってくる。
久しぶりの骨っぽい登山をこなし疲れたとは言え、満たされた思いが強い。
西沢渡のロープウェイも難なくこなし、便ヶ島には聖平〜3時間半後の10時半過ぎ到着した。
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