富士山 フジサン 標 高 3778m 日本百名山 山 域 富士山
登 山 記 録
登山月日 2023年7月4日
登山経路 富士宮五合目登山口(4:15)〜六合目・宝永荘(4:45)〜新七合目・御来光荘(5:50/6:00)〜旧七合目・山口荘(7:00)〜八合目・池田荘(7:50)〜九合目・萬年雪山荘(8:35/8:40)〜九合五勺・胸突荘(9:25)〜浅間神社奥宮(10:15)〜剣ヶ峰(10:35/10:50)〜御鉢周り〜久須志神社(11:30)〜浅間神社奥宮(12:05)^〜稜線下降点(12:15)〜八合目(13:40)〜新七合目(14:50/15:00)〜六合目(15:40)〜登山口(16:10)
行動時間 登り 6時間 御鉢周り2時間 下り 3時間55分 合計11時間55分 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候
メンバー 単独
情   報
アクセス 富士宮五合目登山口迄快適山岳道路の富士スカイライン
トレイル 溶岩の固まった岩稜とザレタ道で歩き難いが登山道がロープが張られていて迷うことはない
水場・toilet 山開き前で小屋が閉まっていたのでtoiletは登山口直ぐ上にしかなかった 水場は無い
その他 80歳の記念登山
山行記


富士宮五合目の登山口・六合目雲海荘と宝永荘


旧七合目山口荘・八合目の池田荘


九合目萬年雪山荘・九合五勺の胸突荘


富士宮山頂の浅間神社奥宮



「80歳の記念登山は富士山」という思いを持ったのは2〜3年前からである。山小屋泊で考えていたが、吉田ルートの山開き以後の山小屋は既に満員で予約が取れないことを知ったので、富士宮ルートを日帰り往復することにした。五合目の登山口から山頂までの標高差1300mなら、今の自分でも十分日帰り登山は可能である。もし何かあった時のために、吉田ルートが山開きして、山頂の小屋も開いていて、救助も要請できるのではと思ったので、吉田ルートが開いてからにした。また富士宮ルートが7月10日に山開きすると、登山口の五合目まで一般車の入場規制が始まり、早朝出発も出来なくなることを考えると、7月1日から9日迄の期間しかないのである。天気の崩れが無いのを確認して7月4日富士山登山を決断した。
前日は快適山岳道路の富士スカイラインを走って五合目の駐車場に車を付けた。10数台の車が停まっていたが、本日の登山者か明日の登山者の車かは分からない。駐車場の一角に車を止めてビールとお酒を飲んで夕食摂って寝袋に包まった。興奮のせいかあまりよくは眠られない一夜であった。
翌朝4時前には起床し素早く支度をして4:15に登山道に入った。入口からすぐ上がった場所に公衆トイレがあったので用を足して、4:30の出発である。ザックには水切れを考慮してアクエリアス1リットル・飲料水1.5リットルを持った。すでに夜は明けていてheadlampを点ける必要がなく広い登山道を15分ほどで六合目の山小屋雲海荘・宝永山荘に着いた。まだ山開き前で小屋は締まったままであり、富士宮ルート入口のゲートも閉じられたままであった。
ゲート脇を抜けて本格的登山道に入り、砂礫の登山道を行く。まだまだ勾配も緩く余裕で歩けるのである。上方に山頂方面が望まれるがスカイラインが山頂とは思えない。追い越す登山者はいないのは覚悟していたが、疎らな登山者で思っていたほどの賑わいではなかった。溶岩の固まった岩稜帯に切られた登山道が多くなると新七合目の山小屋・御来光荘に着いた。後続の登山者が追い付く所であった。小屋の裏手で腰を下ろして朝食のおにぎりを口にした。後続の同年配と思しき単独行氏が横に腰を路して「おいくつになりますか?」と聞いてきたので「80歳の記念登山で富士山を選んだ」と答えると、「私も同じです」と握手を求めてきた。6回目の富士山登山と云う単独行氏、「山頂でお会いしましょう」と先発したがこの先会うことはない健脚者であった。
k新七合目から先は大部分が溶岩の岩稜帯に切られた登山道になり、急登が続き休まる所のない登山道である。旧七合目・八合目と休憩取りながら高度を上げて行くが、後続の若者には抜かれるままであったが焦りはなかった。九合目の「萬年雪山荘」が標高3450m付近であって、ここら辺りから空気の薄さを実感させられのであった。50歩歩いては息をつなぎながら高度を上げて行く。若者はぐんぐん登って行くが、中高年登山者は皆それほどは変わらぬインターバルで息をつないでいるので焦りはなかった。九合五勺の胸突山荘を過ぎるとブル道が合わさっていて作業用のブルが上がってきた。作業員は外国人と思われ挨拶しても返事がなかった。ブル道を横切って雪渓の脇を抜けると山頂稜線までは僅かであった。
最後は連続30歩しか歩けなくなったが何とか踏ん張って浅間神社の鳥居をくぐることが出来た。浅間神社の手前では「これから登山道整備に入るので、下りはブル道を利用して」と作業員と思われる方からアドバイスがあった。私の後ろに続く登山者は見えなかったが、後続の登山者はブル道経由で登るように指示されたのかもしれないと思った。私が登り切ると登山道がバリケードで閉鎖された。
公衆トイを利用し、4;30に登山道に入ってからは5時間45分後の1015の到着で、予定の6時間を切っていたので安堵した。富士宮山頂になる浅間神社奥宮に手を合わせ、奥宮の裏手に廻って山頂の剣ヶ峰を目指した。





剣ヶ峰山頂に立つ


剣ヶ峰山頂


御鉢の峰々・久須志ヶ岳


久須志神社・伊豆ヶ岳


朝日岳・観音岳


今回は御鉢にある三島岳・剣ヶ峰・白山岳・久須志ヶ岳・成就ヶ岳・伊豆ヶ岳・朝日岳・観音岳の富士山八峰・富士山八神峰・富士八葉と呼ばれる峰々を参拝することも目標である。奥宮のすぐ隣には三島岳であって御鉢の登山道からは鳥居も見えて一回りして下山時に踏むことにして剣ヶ峰に向かった。ざれた急坂を踏ん張りながら登り切った。2日前の山開きの7月2日は大渋滞したという剣ヶ峰であったそうだが、今日は10名足らずの登山者で拍子抜けであった。それでも外国人と思われるパーティーが大声上げてスマホで登頂報告していた。順番を待つこともなく登頂記念写真を取ることが出来た。私もFACEBOOKに登頂投稿した。日本最高所の石碑の立つ剣ヶ峰であるが、気象観測所の建物が艶消しでありその感激も薄いものである。鉄製の櫓の基部に腰を下ろしてパンを一齧りした。天気も良く対岸の御鉢の峰々も良く見えたが下界は雲海の下であった。15分ほど滞頂し御鉢周りに出発である。
剣ヶ峰からは良く見える御鉢周りの登山道であるが歩いているものは一人もなく、私に続く者もいなかった。剣ヶ峰からは火口縁を離れて火口に下って行き雪渓を踏んで少し登り返すと火口縁の雷岩である。火口縁の西側になる雷岩付近は強風が吹いていて帽子を飛ばされないよう頭に手を置いて急いで通過した。再び火口方面に下って火口底を歩いて緩く登り返すと白山岳分岐に出た。ここも強風が吹きつけていたので、白山岳は2006年に登頂済みであるのでパスした。強風の吹き付ける稜線に出て、登山道を離れて久須志ヶ岳に向かった。登山道からわずかな場所に小さな鳥居が立つ久須志ヶ岳をカメラに収めた。再び登山道に戻って吉田口からの登山道が合わさり久須志神社に着いた。ここにも浅間神社の石碑が立っていた。付近は山頂の山小屋であるが未だ閉められていて、休憩場所のベンチには数名の登山者しか休んでいなかった。山小屋利用の登山者が多い吉田tルートであるから既に多くの登山者は下山したのだろうかと思った。私もベンチに腰を下ろして一息入れた。
久須志神社で一息入れた後は御鉢周りの再出発である。山小屋からすぐの成就ヶ岳へは登山道を外れて峰に立ったが、鳥居や祠などはなかった。山頂をカメラに収めたつもりだが下山後カメラに残っていないのが残念である。登山道に戻り次の伊豆ヶ岳へ向かう。この辺りの登山道脇は絶壁状態で崩落が続いていることが分かる。伊豆ヶ岳への分岐も見えたが岩屑がもろそうで落石の危険も感じたので峰を踏むことは躊躇された。山頂方面に手を合わせカメラに収めた。次は朝日岳であるがここも同じようにして山頂をカメラに収めた。朝日岳からは火口縁の南側になり風も緩いでいて、鋼製足場を下って浅間神社の境内と思われる場所であってすぐ先に観音岳の鳥居が見えた。ここは禁足地であると聞いていたので近くから鳥居をカメラに収めた。登ってきた閉鎖された登山道入口を見て奥宮を通り過ぎて再び三島岳の登り口に出た。まだ時間に余裕があったが、剣ヶ峰に霧が纏わりつき始め天気の崩れが気になったので、三島岳の登頂も諦めた。三島岳と剣ヶ峰との間にブル道が合わさっていたので富士山にお別れしてブル道に入った。
ブル道は快適に下ることが出来るが大きくジグザグ切っているので随分と遠回りになり距離が長い。後続の下山者が走るように追い越してゆくが、膝が痛い自分には急ぎ足は無理である。九合五勺上の正規登山道に来る前には単独女性登山者にも追い越されたが、山頂稜線からは30分で九合五勺の小屋に着いた。休むことなく下って万年雪山荘には30分で下り、この先も読めると気持ちも楽になった。追い越して行った女性が休んでいてひとしきり談笑することが出来た。途中で富士山に3778回以上登っているという名物おじさんとスライドしたことを教えてくれた。それを知っていれば挨拶ぐらいして写真を撮らせてもらったのにと思うのであった。九合目からは八合目そして旧七合目とそれぞれ30分のインターバルで下れた。この間既に午後2時過ぎであるのに、登ってくる登山者が結構いるのは驚きであった。「山小屋も開いていないのに」と思ったので交差した単独女性に聞くと、「ブル道を吉田ルートなどの他のルートにトラバースして小屋に入る」ようである。旧七合目の山口荘はオープンを前に屋根の修復作業をしていた。旧七合目を下る頃には膝が痛み出してさらに足が遅くなったが無理して水が溜まって歩けなくなることが無いようにゆっくり下った。入山時と稜線を下る時には痛み止めのロキソニンを服用していた。
新七合目の御来光荘も小屋明けの準備をしていた。小屋主と談笑しながらしばし休憩した。御来光荘からは眼下に宝永山荘が見えたが、そこに下るまでが一番きつく感じた。疲労もあって焦りが出たものと思った。時間に余裕があれば宝永山荘から宝永山も登ろうと考えていたのであるがとても無理であった。朝は閉まっていた宝永山荘も雲海荘も小屋明けしていて宿泊者が外のベンチで寛いでいた。雲海荘からは広い砂礫の登山道を下り公衆トイレに寄って「富士山表登山道五合目」の看板の立つ駐車場に下りついた。登りに6時間・御鉢周りに2時間・下りに4時間、合計12時間もかかったが、まだ午後4時を回ったばかりで余裕の下山となった。


富士山 フジサン 標 高 3778m 日本百名山

山 域

富士山
登 山 記 録
登山月日 2005年7月23日
登山経路 河口湖五合目駐車場4:30〜六合目〜七合目6:10/6:30〜八合目8:10〜本八合8:50〜八合五勺9:40〜久須志神社10:30/10:45〜剣ヶ峰11:30/11:50〜白山岳〜久須志神社12:55〜八合五勺13:35〜下山道〜六合目14:50〜五合目15:30
行動時間 登り6時間(久須志神社まで) お鉢廻り1時間25分 下り2時間35分 合計11時間(休憩時間を含む)
天  候 曇・ガス
メンバー 親子二人連れ登山隊

情  報

アクセス マイカー規制の前に五合目まで入る
トレイル 厳しい登りだが登山道は問題なし
水場・トイレ 水場はないがトイレは山小屋で
その他 日本一標高の高い観光地


登山者でにぎわう剣ヶ峰と対照的な白山岳山頂


胸突き八丁を登りきると山頂の一角久須志神社に着く


日本一の山を目指して今日も老若男女が行く

山行記

深夜11時過ぎ富士スバルラインに入り、五合目を目指す。
五合目駐車場が満杯になったので1キロ手前の駐車場に案内された。後続の車が案内を無視して次々と五合目を目指して進入するのを見て、再度五合目の駐車場に向かう。何とか駐車できて後部座席でビールを飲みながら周りの様子を伺う。夜間登山を決行するか迷っていたのであるが、運転の疲れもあって夜が明けるのを待って登ることにした。
眠ってしまっては朝起きられなくなるので、眠るわけにはいかないので毛布にくるまって時間の過ぎるのを待つ。
車のドアーの開閉音が気になり始めると3時過ぎていた。しっかり寝込んでいるムスコを起こし、支度を始める。ライトをつけて歩き始めた登山者を見ると急がなければと思う。
支度をすませ、「いざ出発」という4時になると雨が落ちてきて出足をくじかれる。30分ほど車の中で待機して4時半に五合目を出発した。30分ほどの待機時間の間にすっかり明るくなった登山道に入ると再び雨が落ちてきて雨着を着用する。怪しい天気の中、なかなか気合いが乗らない。しかし六合目の登山口までは緩い傾斜で寝起きの体のアイドリングにはちょうど良い1時間であった。雨は上がったが山頂にはガスが掛かっている上、山麓もガスの下で五合目から八合目あたり迄が雲の合間になっていて展望が開けていた。
登山指導センターで注意書を渡されるが何が書いてあるのか読む気もしない。後は一合間通過所用タイムを1時間と設定して、ただひたすら山頂を目指す。
世界遺産登録を悲願としている富士山にあって一番のネックは、一夏30万人が訪れるという登山者のトイレ問題だ。そのせいか山小屋のトイレが随分ときれいに改造されていてうれしい限りであって、これでは登山者も山の美化に協力しようという気持ちにもなるというものである。登山道にはゴミも目立たないが、以前に廃棄された瓶類の粉砕されたガラス片が登山道脇に露出していて気になるところだ。
追い抜くパーティも有れば追い抜いて行く単独行者もあり、回りを歩くものはほとんど同じペースで登っている。今日の周りを歩くのは4年前と同じ外人パーティで、皆金剛杖に焼印を押してもらうのが楽しみのようである。七合目までは疲れもなく快調に登り、小屋前で朝食休憩をとる。前回はこれから上部でシャリバテを起こしているのでしっかりと腹ごしらえをした。
標高3000mを越えるあたりでガスが上がってきて視界がなくなる。上方を見上げそのつど「まだ先だなー」と、ため息をつきながら登るより、先を気にせず一歩一歩登るこの方が良さそうである。本八合目を過ぎると酸素が薄くなるのが実感としてわかるようになると息が続かなくなり、足が重くなるのであった。
八合五勺の小屋を過ぎ鳥居を越えるといよいよ胸突き八丁へさしかかる。一歩一歩・ゆっくりゆっくり歩を進める。回りのもの皆があえいでいるので少しも焦りはない。それも前回よりはずっと楽に歩が進むからである。息子は今回も私を離してずっと先に行っているようだ。胸突き八丁も山頂直下の鳥居が見えればもうすぐ山頂だ。
五合目から6時間、6合目から5時間かけてようやく久須志神社の建つ山頂の一角へ登り着くことができた。残念ながら山頂はガスで展望は何もない。俗化した小屋前のテラスでしばらく休憩し、お鉢回りに出発する。
御殿場口登山道を合わせ、登山客でにぎわう浅間神社は急いで通過する。最後の登りをよく凌いで写真撮影で賑わう日本最高所の看板が立つ剣ヶ峰には11時半に到着した。測候所跡の片隅で昼食を取り、更にお鉢を回って久須志神社に戻った。
上空が時々明るくなって、「ガスが切れるだろうか」と期待を持たせるが、結局最後までガスの中の山頂であった。
実は今日の主目的はお鉢回りのコースから外れた白山岳である。登山道には案内看板がなく戸惑うのであったが、ガイドブックをよく見て、久須志神社の手前100m地点からコースを外れた稜線上にあることを確認する。ムスコを待たせて一人で白山岳山頂を目指す。ガスの中でも迷うこともないほど踏まれた道を10分も登ると荒涼とした中に何の標識もない三角点が現れた。紛れもなく白山岳山頂である。
「日本の山3000m超峰」28座完全登頂を果たして感激であるがガスの中ではそれも薄い。
久須志神社に戻って休む間もなく下山に掛かった。胸突き八丁を登ってくる者に道を譲りながら下り、八合五勺の小屋で下山道に入った。後はジグザグに切られた下山道をひたすら下る。オーバーペースになるのは仕方がないが、アキレス腱をやられないようにと時々休憩を挟む。息子は委細かまわず走るように下って行く。私も追い抜かれるのは何人もいないほどのピッチで下り、登り客で賑わう六合目登山口には久須志神社からちょうど2時間で下り着いたのである。
五合目の駐車場までの道は登り返しもあり厳しいものであったが15時半には帰り着き、売店でソフトクリームを買って喉を潤した。2回目の富士山登山は11時間を要して無事完了したのである。

 


宝永山 ホウエイザン 標 高 2692m 2000m超峰 山 域 富士山
登 山 記 録
登山月日 2023年10月1日
登山経路 富士宮五合目8:30〜新六合9:00〜宝永山第一火口縁9:20〜第一火口底9:25〜宝永山山頂稜線10:25/10:50〜火口底11:30/11:45〜新六合〜五合目12:40
行動時間 登り 2時間 下り 1時間50分  合計 4時間10分 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候 霧/晴
メンバー 単独
情   報
アクセス 富士宮ルート五合目までは富士山スカイライン
トレイル 新六合から遊歩道が続くが火口縁から先はザレタ遊歩道
水場・toilet この時期は宝永山荘は閉鎖中 toiletは五合目駐車場の上部にある
その他 強風で稜線から先100mの山頂には立てなかった。
山行記


新六合目・第一火口縁


宝永火口


ザレた登山道を行く・稜線に登りつく


強風に耐えて・稜線の先の宝永山


火口底から・火口縁から





 前夜は富士スカイラインに入る付近のtoilet付きの駐車場で車中泊した。夜明けを待って富士山スカイラインに入って高度を上げて行く。標高2000mを超える辺りから霧が出始めて、富士山富士宮登山口の新五合目に着く頃は強風も吹き荒れていた。途中登山を諦めて下ってくる車もあって、「今日の宝永山登山は無理かな」と、思いながらの到着であった。最上段の駐車場には10台位の車が停まっていたが、皆、車の中で待機状態である。風が強いので一段下がった大型車の駐車場所に移動してで様子見した。登山を諦めるのは簡単だが、再びここに来るのは一日がかりであるので、風がやむのを待つことにした。
 2時間ほど待って霧が薄くなり周囲が明るくなってきたので登山口のある駐車場に移動すると、相変わらずの強風であるが、雨合羽付けて登山口に入って行くパーテイもいて、車の脇で出発の準備をする中国人と思われるパーテイもいた。私も意を決して宝永山登山を覚悟した。
 雨合羽着て軽荷のザックに飲料と食料を入れて、富士山表登山口と書かれた登山道に入った。3ヶ月前80歳記念に富士山に登った時と同じ道である。すぐ先に有る公衆トイレで用を済ませて登山道を行く。風強く雨合羽のフードを目深にかぶりながら遊歩道を新六合に向かった。途中半ズボン姿で足早に追い越してゆく同年配らしき登山者がいた。「この方が有名な富士山オタクの方か」と、思ったが、あっという間に霧の中に消えて行った。
 新六合目の宝永山荘・雲海荘は当然閉鎖されていて、小屋の脇からの富士山登山道入口もしっかり施錠されていた。小屋から宝山プリンスロードに入り、宝永山第一火口縁にはわずかな時間で着いた。標識が立っていたが霧の中で判然としない。下る道と登る道が有って、登る道に少し進むと後続の数名のパーテイが追い付いて来て火口に下って行った。慌てて後を追って火口底に向かった。火口底に着く頃になると一気に霧が張れてきて、周囲の展望が開けてきた。火口底にはオンタデが黄葉していた。追い越して行ったパーテイが設置されたベンチで休憩していた。
 私は休むことなく火口の東壁に付けられたザレタ遊歩道に入った。緩い勾配であるがザクザクと火山礫を踏みながら、100歩数えては息を整えながら進んだ。登り初めには数10m先を行く赤いザックを担いだ登山者がいたが、見る見る間に離されてゆく。「急ぐことはない」と、言い聞かせながらザレた遊歩道を行きく。時々は強風が吹き抜ける登山道を2回程ジグを切ると富士山御殿場ルートに合わさる遊歩道から右に分岐する宝永山遊歩道が分岐していた。
 分岐地点で先行していた赤ザックの登山者が「この先は強風で立っていられない」と、言って待機していた。私は「稜線まで行ってみる」と、言うと「富士市の者だ」と名乗った赤ザック氏は、私を案内するように稜線まで先導してくれた。稜線まで15mほどの地点で腰を下ろしていると、「この先2段階風の強さが上がって稜線に立つのは厳しい。宝永山山頂へは無理だ」と、アドバイスして下って行った。富士市の山岳パトロール隊員だったのかもしれないと思った。
 それでも何とか山頂踏みたい思いに駆られ耐風姿勢をとりながら稜線に登りついた。吹き飛ばされそうで身体が揺れる。「100m先、1分も有れば宝永山山頂」と思えば、這ってでもという思いで匍匐前進を試みたが、結局前進は無理だと判断して稜線から15mほど下った。
 後続の数名のパーテイも同じように山頂アタックを試みたが、やはり登頂を断念して、稜線で写真だけとって下って行った。私はそれでもあきらめきれず風がやむのを待ったが、霧は晴れて上空に青空が広がっても強風は収まらなかった。
 結局宝永山山頂に立つことは諦めて往路を失意の下山となった。火口の底に下って晴れ渡った青空の先に見える宝永山を眺めながら軽食摂りながら休憩した。火口縁に登り返し、新六合から登山道入口に戻った。
 出がけに登山支度して登って行ったパーテイや途中急ぎ足で追い越して行った高齢登山者とは行き交うことが無かったので、この強風吹き荒れる中、富士山山頂を目指したのだろうかと首を傾げながらの下山であった。張れて風も収まった登山口では観光客が大勢佇んでいた。

 

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