2002年夏裏銀座から読売新道へ

日本百名山 水晶岳 スイショウダケ 標 高 2978m 山 域 北アルプス
日本二百名山 烏帽子岳
赤牛岳
エボシダケ
アカウシダケ
標 高 2623m
2864m
山 域 北アルプス
日本三百名山 野口五郎岳 ノグチゴロウダケ 標 高 2924m

山 域

北アルプス
登 山 記 録
登山月日 2002年8月17日〜8月20日
登山経路 8/17 七倉〜高瀬ダム7:10〜烏帽子小屋12:50〜烏帽子岳〜烏帽子キャンプ場
8/18 烏帽子キャンプ場6:00〜三ッ岳〜野口五郎岳9:30/9:45〜水晶小屋13:15
8/19 水晶小屋5:55〜水晶岳6:35〜赤牛岳10:00/10:30〜奥黒部ヒュッテ14:15
8/20 奥黒部ヒュッテ7;50〜平の渡9:50/10:40〜黒部ダム14:00〜扇沢14:30〜七倉
行動時間 登り 下り 合計(休憩時間含む)
天  候 8/17晴 8/18晴 8/19曇・ガス 8/20晴
メンバー 単独・テント山行


三ツ岳から見る赤牛岳 後方は薬師岳

山行記

高瀬ダム〜烏帽子岳
3年前の夏、息子と二人で実に7時間かけて登ったブナ立て尾根を、今年は同じキャンプ道具一式を担いで一人で登ることになった。目的はそのとき登り忘れた稜線上の岩峰烏帽子岳と、それに東沢谷を隔てて対峙する、奥黒部の秘峰赤牛岳の登頂である。ついでといっては何だが途中の野口五郎岳や、水晶岳の再登も楽しみであるし、なんと言ってもあの裏銀座の稜線漫歩が胸を躍らせるのである。
七倉からのタクシーの同乗者は渓流釣りの3人パーティである。25キロ近く入った私のザックに驚きのまなざしである。「これ担いであそこまで登るの」とダム天端から見える裏銀座の稜線眺めて感心してくれる。「私はもうすぐ還暦だが、山に入ればこれくらい担いで歩いている同年輩は沢山いるよ」なんて余裕の言葉を残してトンネルくぐって濁り沢の吊橋へ。
30分歩いて水場に到着。2Lのポリタンと1Lのペットボトルを満タンにするとザックがぐっと肩に食い込む。ここに集うのは女性3人組み、大学出たての若者、岡山からの単独同年輩氏。この方々はみんなキャンプ道具を背負っていて、ここから水晶小屋まで同じ時間を歩くことになる。さらに小屋泊まり装備の夫婦連れ、山を始めて間もない所沢の中年男性が揃い、一斉にブナ立て尾根を上り始める。
最初から厳しい登り坂を覚悟してきたが、やはり並みの急坂ではない。北アルプスでも笠新道と並んで競うほどの事はある。稜線上までは12等分された標識があって、それを目安にインターバルを30分と計算しながら休憩しようと思うのだが、荷物が重くて30分連続は足が続かない。それでも3年前に比べると随分感じが違う。気合が入っているのだろうか、小屋泊まりの者にも遅れることはなく、私のほうが早いときもある。女性3人組とはほとんど同じペースで付いてゆける。
先月の雪倉岳で、シャリ切れでスタミナ切れを起こした失敗を繰り返したくないので、しっかり朝食をとってきたのも良かったようだ。行動食とポカリを早めにとりながら三角点へ。ここは残り4/12地点である。時計を見ると10時半、ここまで高瀬ダムから3時間少しで来たので、時間も読めてザックをおろして軽食をとる。回りはほとんど動じスタートの仲間ばかりで、遅れることなくここまでこれて和気藹々の雰囲気が漂う。
さらに気合を入れて急登をあえいで、ガスの中の烏帽子小屋には12時50分に到着した。
ブナ立て尾根の所要時間は25キロのザックかついで5時間40分のコース標準タイムであった。3年前よりは随分と早くついたので満足であるが、やはりここまでが限界で野口五郎小屋までのスタミナは残っていなかった。どうせ烏帽子岳を往復すればちょうど良い時間になるだろうとキャンプ場に一番乗りでテントを張る。
ビールを飲むと、疲れと睡魔がいっぺんに襲い3時まで昼寝をする。
あいにくのガスの稜線を小一時間烏帽子岳を目指す。写真で見ると衝立のような岩峰だが、登ってみると苦もなく山頂に着いた。何も見えないガスの中で、立山や針ノ木岳をイメージしながら20分ほど滞頂しキャンプ場に戻り夕食をとる。テントの場所が3年前と同じところに張ったので、息子とのいろいろな思い出がよみがえってくる。隣に張った4人組の雑談も山を知り尽くしたパーティのようで長くはなく、8時には静寂の中眠りに付くことができた。

烏帽子キャンプ場〜水晶小屋
夜半、ぱらぱらと雨がテントを叩いたが、大したこともない。ベンチュレーターから外をのぞけば、夜明け前の稜線がくっきりと望まれる。5時前には起きて朝食をとりテントを撤収し、6時に出発する。小屋泊まりの軽装の縦走者は、槍ヶ岳目指して、今日からの長い縦走に夜明け前に出発して行くので、キャンプ組は少し焦りが出る。ピーカンまでは行かないが、さえぎる雲もない中北アルプスの全貌が徐々に開けてくるとなんともいえないハッピーな気分になる。三ッ岳の砂礫地のコマクサは既に花を散らしていて夏の終りを感じさせる。三つ岳の小ピークに登ると、赤牛岳が眼前でなだらかな山容を見せている。相変わらずザックが重く、野口五郎岳には3時間半かかってしまったが、前回のようにここでスタミナ切れになることもない。湯俣川の向こうには表銀座の山々が槍ヶ岳まで続いている。槍ヶ岳を見ながら稜線漫歩が続くのであるからあわてることはない。真砂岳分岐を過ぎてしばらくしてラーメンの昼食休憩を取る。目の前を縦走者が行き交うが、この時期その数は多くはない。
東沢乗越しを過ぎるあたりから、湯俣川から上がってくるガスが時々視界をさえぎる様になるが、まだまだ展望が利く中、水晶小屋に到着した。今年から予約制になったとかで心配したのであるが、七倉の登山指導所で確認したところ「大丈夫」というお墨付きもあったので、予約なしで来たのだが、関西系のアルバイトの女性が快く迎えてくれた。宿泊申し込みは3人目であったが、外でビールを飲んでいる間に2パーティ14人が到着して今夜も大賑わいかなと心配する。何しろ前々日は布団一枚に3人が寝たという話がすれ違う登山者から聞こえたのだ。
小屋の上の赤岳山頂に回って、雲の平やその後方に聳える黒部五郎岳を見ていると色々なことが頭をよぎって、思わず涙がこみ上げてくる。軽食をとりながら、ボーとした時間をすごす。ガスがかかってくると気温もぐんと下がって小屋に駆け込めば、今日は20人足らずの宿泊でゆっくり休めそうだ。玄関口で簡単な夕食を自炊して、風も出始めた水晶小屋の夜をすごした。

水晶小屋〜水晶岳〜赤牛岳〜奥黒部ヒュッテ
4時半には小屋の電気も灯されて、忙しい朝食である。私は朝食も赤飯のアルファ米とふかひれスープにツナフレークの缶詰と野沢菜の瓶詰めいう小屋の朝食より豪華なものを食べてうらやましがられる。
台風の接近も報じられているが、外は霧深く、展望は得られないが大きな天候不安はない。
昨夜ここに泊まったものの大部分は読売新道への縦走者で、6時前には皆出かけていった。私はいつもの通り、しんがりからのスタートである。ガスの中岩場を乗り越えて水晶岳を3年ぶりに踏んだ。3年前はそれこそピーカン状態の絶好の展望を楽しんだのだが今日はガスの中何も見えない。一応ザックを下ろして頂上に立ち万歳をする。
そのまま読売新道に入る。裏銀座に比べると登山者も極端に少なくなるのだろうか、まだ開けられて間もないことも有る所為だろうか、踏み跡も消えがちのざれた岩場を黙々と進み、1時間で温泉沢の頭に着いた。「この下に秘湯高天原温泉」という標識があった。赤牛岳に向かう中、しばしガスが切れて薬師岳が雲間に現れると大感激であるが、カメラに収めることもできないので先を急ぐ。
いくつかの小ピークに赤牛岳と勘違いしながら進むと、先行した高知大学の女性6人パーティが引き返してくるのとすれ違えば10分で赤牛岳山頂に到着した..。神奈川県のご夫婦と山談義を楽しみながらガスの中30分の山頂スティを楽しんだが、ガスの中では憧れの黒部の秘峰も感激はもうひとつである。山頂証拠写真をとった後、長い読売新道の下りに入り、ザレた赤牛岳の急坂を下った。この道は黒部ヒュッテまで8等分標識が立てられていたがインターバルは30分がめどで休憩ポイントにもなっている。4/8あたりから樹林帯に入りコメツガの大木の中、木の根が絡まる悪路となり、泥濘も多くなり足をとられるが、こんな道こそ私の本領発揮ができる。山頂を30分以上前に出た8人の「東京中高年パーティ」を2/8で捉えるとと奥黒部ヒュッテには14時15分一番乗りを果たした。
奥黒部ヒュッテは東沢出合にあって、静かにたたずんでいたが、ここが黒部ダムから15キロ以上も上流にあるとは思いもしなかった。キャンプ場には100Lのザックを担いで、北アルプスを日本海まで北上するというC大学生と一緒にテントを張った。結局広いキャンプ場には4張りしかテントが張られない静かな中、夜半には雨も降って名残の夏の奥黒部ヒュッテであった。

奥黒部ヒュッテ〜平の渡し〜黒部ダム〜扇沢
夜半の雨も上がって、薄日のさす奥黒部ヒュッテを平の渡10:20の渡船の時間に合わせ、7時50分に出発した。東沢から黒部川本流の右岸側を渡船場までの巻き道は、この山行のハイライトとも言うべき厳しい道でスリル満点である。黒部川に落ちる絶壁を高巻く為に、ブナの木の高さほどもあろうかという木製のはしごの上り下りを2回ほど繰り返す。重い荷物を担いでいるとはしごが折れるのではないかと心配するほどだ。、道幅は一人歩きがやっとというような狭いもので下を見れば目もくらむような黒部川の清流が流れている。まさに秘境奥黒部源流である。「本当に来てよかったなー」と思うのである。
2時間ちょうどで針の木谷の入り江にある、渡船場に到着した。船は対岸の平に渡るだけで、疲れた体には、このまま観光船のようにダムまで行ってもらえないだろうかと皆が思うのである。30分ほどの待ち時間も気持ちを落ち着かせるのにちょうど良い時間である。
対岸に渡り、平から黒部ダムまでは10.2キロの長い道のりで、景色も楽しむほどのところも少なくて、さらに崩壊地何回もを梯子で上り下りしながらの悪路で、とても3時間30分というコースタイムは信用ができない。それでも昨日と同じ奥黒部ヒュッテからの同行パーティを後ろにして、軽くなったとはいえ大きなザックを担いだ私が3時間20分かけて14時ジャストに黒部ダム駅に最先着した。
観光客が写真を撮りながらくつろぐ中、ハードな山行を終えて誇り高い気持ちを持ちながらダムの堰堤上を歩いた。待間もなく、トロリーバスに乗り込み扇沢駅に到着した。
タクシーで七倉まで車の回収に向かった。2日前鉄砲水が出て駐車場の車に被害が出たというニュースは聞いていたので心配したのであったが、復旧工事場所のど真ん中に私の車1台だけが無傷で残っていたのを見ると安堵で胸をなでおろすのであった。

山行の記録に戻る