吾妻連峰の山

西吾妻山 ニシアヅマヤ 標 高 2035m 日本百名山 山 域 吾妻連峰
西大巓 ニシダイテン 標 高 1982m 標高1003山 山 域
矢筈山 ヤハズヤマ 標 高 1540m 山 域
登 山 記 録
登山月日 2019年10月5日
登山経路 白布峠6:30〜矢筈山〜西大巓9:35/9:40〜西吾妻山10:40/11:15〜西大巓12:15〜白布峠14:55
行動時間 登り 4時間10分 下り 3時間40分 合計 8時間25分 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候 曇/晴
メンバー 単独
情   報
アクセス 磐梯吾妻スカイライン白布峠
トレイル 西大巓へは旧坂野ゴーロ沢 西吾妻山付近は湿原の中木道もある そのほかは行く整備された登山道
水場・トイレ 水場は湿原下部に沢水出るが飲用は? トイレは白布峠にある
その他 西吾妻山に白布峠から登る登山者は少ない
山行記


白布峠・登山道入口

 
西大巓山頂

磐梯吾妻スカイラインに白布峠からの登山である。
6時前に白布峠に車を付けたが、まだ完全に雨が上がらずに、しばらく様子見してから山形県側に延びる県境稜線に入った。遊歩道を10分ほどで本格的登山道入口に着き、稜線上によく整備された緩い勾配の登山道を行く。やがて矢筈山と思われる小さなピークを二つ超えて行くが標識はなかった。矢筈山からはいったん下って西大巓の山体に着くと昨日の雨水を集める巨石ゴーロの沢歩きとなった。幸い雨着を付けていたので着衣は濡れることはなくゴム長靴登山が正解であった。それほど長い距離でもないと思いながらゴーロ沢を登り上げたが、西大巓山頂付近まで勾配を緩めながらもゴーロ沢は続いていた。
小灌木の樹林を抜けると西大巓山頂であったが、標識も消えとても山頂とは思えなかった。白布峠から50等分された案内標識に50を確認して西大巓山頂がわかるほどであった。
山頂で一息入れた後は西吾妻山への道に入るがグランデコ側に下ってしまい、すぐに気付いて正規ルートに戻った。小石交じりの登山道を下り最低鞍部に来ると付近に草紅葉が見られた。緩く登り返してゆくと湿地帯の木道に出て、前方に西吾妻小屋が見えてきて、西吾妻山がこんもりと姿を見せていた。木道を過ぎてシラビソの若木の中を歩いて20年ぶりくらいに西吾妻山山頂に到着した。誰もいない山頂で写真を撮りながら休憩し、下山にかかると天元台からの夫婦登山者が現れた。写真を撮ってもらった後山頂を譲り往路を戻った。西吾妻小屋を覗いて木道途中で昼食休憩をとっているとグランデコからの登山者が数名が登ってきた。西大巓に登り返して朝よりは水が引いたゴーロの沢を下って白布峠に着いた。



西吾妻小屋← 山頂湿原の木道を行く →西吾妻山


西吾妻山山頂


一切経山 イッサイキョウ 標 高 1949m 日本三百名山

山 域

吾妻連峰
家形山 イエガタヤマ 標 高 1877m 日本の山1000

山 域

吾妻連峰
東大巓 ヒガシダイテン 標 高 1928m 日本の山1000

山 域

吾妻連峰
東吾妻山 ヒガシアヅマ 標 高 1975m -

山 域

吾妻連峰
吾妻小富士 アヅマコフジ 標 高 1705m -

山 域

吾妻連峰
登 山 記 録
登山月日 2010年7月17日〜7月18日
登山経路 7月17日
浄土平5:45〜酢ヶ平小屋6:35〜一切経山7:15/7:40〜家形山(物見岩)8:20/8:30〜ニセ烏帽子9:30/9:45〜烏帽子山10:20/10:35〜昭元山11:20〜東大巓12:20/12:25〜弥兵衛平小屋・明月荘13:20
7月18日
明月荘6:35〜東大巓7:10/7:15〜分岐7:35〜大倉新道〜谷地平9:40/10:05〜姥ヶ原12:00/12:05〜東吾妻山12:45/12:55〜姥ヶ原13:30/13:35〜浄土平14:15/14:50〜吾妻小富士〜浄土平15:30
行動時間 第一日目7時間35分 第二日目 8時間20分 合計15時間55分 (休憩時間を含む)
天  候 第一日目 晴・雷雨 第二日目 晴
メンバー 単独

情  報

アクセス 浄土平までは快適な吾妻スカイラインが伸びている
トレイル 湿原には木道整備されているが縦走路は泥濘と薮が被さる煩い登山道が続く
水場・トイレ 稜線縦走路には水場なし、明月荘の金名水は天下一品 その他沢水取れるが飲用は?
トイレは各避難小屋にある
その他 たおやかな吾妻連峰の山々がうねっている。


山 行 記

第一日目


一切経山の噴気を見ながら酢ヶ平へ


高度を上げてゆくと鎌沼が見えてきたそして6年ぶりの一切経山へ到着


吾妻の瞳・魔女の瞳といわれる五色沼 家形山物見岩から見る

 
樹林帯の泥濘の中、家形山〜烏帽子山へ


昭元山に来ると少しはすくわれるそして湿原の先に東大巓


東大巓


ワタスゲの弥兵衛平湿原と明月荘

吾妻スカイラインは深夜、入口ゲートが開放されていた。スカイラインを走っていると途中の駐車スペースにも車が停められていた。浄土平の駐車場もゲートが開いていたのでそのまま進入し、ビジターセンターの近くに車を停めてビールを飲んで仮眠を取る。(退場時に料金支払い)
4時過ぎには明るくなり寝てはいられない。近くの案内看板などを見ながら散策していると後続の車が駆けつけてきて、登山の支度を始める。今日の行程はそんなに長時間の行動時間ではないので、ゆっくり出発しようかと思っていたのだが、それを見るとやはりそうは行かない。私も小屋泊まり一泊の装備の入ったザックを担いで6時前には浄土平を出発した。
眼前の一切経山には轟音を上げて噴気が上がっていて不気味だ。火山活動活発化しているのだろうか。6年前に来たときは噴気の上がる前山を登ったが、その道は閉鎖されていた。噴気を横に見ながら酢ヶ平に向う。
寝不足でピッチが上がらないが緩く登り木道を行くと避難小屋が立つ酢ヶ平についた。立派な小屋で中をのぞいてみると土間の壁際にベンチが作られている避難小屋で、泊まるには少々難ありの避難小屋である。しかし、併設されたトイレはエコトイレで清潔感を感じた。水場も近くにあるので安心して休める小屋かもしれない。小屋で休むことなく、登山道を高度を上げて行くと後方に酢ヶ平や鎌沼の全容が開けてきた。稜線に登りつくと旧登山道を合わせ砂礫の中を行くとケルンと社が立つ一切経山に到着した。山頂に着くと同時に後続の夫婦パーテイも追いついてきた。
会津磐梯山やこれから向う東大巓方面への山並みを見ながら朝食をとる。前回は霧の為に見ることが出来なかった「吾妻の瞳」と謳われる、五色沼が眼下に神秘な姿を見せていた。朝食をとる間に登山道整備の地元の方が7名ほど登ってきて縦走路の情報を得ることが出来た。

一切経山頂で30分くらい休憩し、縦走路に入り五色沼畔に下る。登り返して家形山の物見岩である。振り返ると五色沼を隔てた一切経山が絵になる風景を見せていた。ここでも五色沼の景観を堪能した後、樹林帯の縦走路に入る。ここからは笹が被さる煩い縦走路が続く。朝露を含んだ笹で見る見る間にズボンが濡れるが、雨合羽を着ても大して変わりはないと思い濡れるにまかせて進む。やがて家形山の山頂標識が立つ滑川温泉分岐に来る。そしてしばらく行くとここも滑川温泉に下る堀田新道を分ける兵子に着く。道は泥濘ばかりで登山靴も泥だらけである。樹林帯の泥濘では休憩もままならない。ニセ烏帽子の看板の立つ高見で一休みして再び泥濘の樹林帯を行く。
殆ど展望も無い単調な縦走路で飽き飽きする頃、反対側からの同年輩の縦走グループと遭遇し、情報交換する。昨夜は今晩私が泊まる明月荘に泊まったそうだ。樹林帯が切れて展望が開けるとハイマツと岩礫の烏帽子山であった。眼下には明日歩く谷地平が良く見える。ゆっくりと休憩を取り、ハイマツと巨石の烏帽子山を下り、昭元山に登り返す。ようやくぬかるみも少なくなって歩きやすい道となり一安心。水平道をしばらく行くと大倉新道をあわせ目の前に見える東大巓を目指して弥兵衛平の一角を行く。
要所要所に木道も設置され明るく開けた登山道を行くと東大巓に着いた。山頂は木道から5mほど上がったところであるが、遠くに雷鳴が聞こえてきては少々気掛かりである。木道に腰を下ろし、おにぎりを頬張る。山頂は帰りの楽しみに残し、背の低い潅木の中に延びる木道に入る。
弥兵衛平の登山道は一部沢状態になっていたが木道も続いていた。滑川温泉・明月荘方面への分岐を見落とし、そのまま木道を進んでしまい眼前に藤十郎が見える弥兵衛平湿原に出てしまった。木道を整備する作業員に道を間違えていることを教えられ、分岐まで10分ほど戻る。滑川温泉方面に木道を進むとシャクナゲやオオシラビソの原生林の先に明月荘が見えてきた。20分ほどロスしたが雷雨が来る前に弥兵衛平小屋・明月荘に到着した。
管理人が入っているかと思った明月荘には誰もいなかった。ザックをおろし、ビールを抱えて水場に向う。木道を300m・10分ほど滑川温泉方面に下ると金名水と名付けられた水場で手が千切れんばかりの冷水が湧き出ていて、ビールもあっという間に冷える。からからになった喉を潤すには素晴らしい味のする金名水である。
小屋に戻ると待っていたかのように雨が降りだした。最初は遠くに雷鳴を聞きながら静かな雨であった。2階に場所をとり、夕食にはまだ時間が早いので、一眠りする。4時半ごろには猛烈な雷雨となり小屋を揺する。ビールと酒を飲み雷鳴を聞きながら夕食を取ると、寝不足と疲労感と酔いが相俟ってあっという間に爆睡状態におちるのであった。

夜半目を覚ますと雨も上がり満天の星が輝く静かな夜であった。


第二日目


明月荘付近の弥兵衛平湿原


登り返した東大巓付近にも湿原は広がっていた


廃道に近い荒れた大倉新道を2時間半かけて谷地平湿原へ


姥ヶ原に登り返してハイマツの山頂東吾妻山へ


東吾妻山頂と吾妻小富士

昨夕の雷雨が東北地方の梅雨を吹き飛ばしたようだ。翌朝は雨上がりの抜けるような青空が広がっていた。
カフェオレを飲み、ラーメンの朝食をとり、パッキング・小屋の清掃を済ませると明月荘出発は6時半過ぎで、高原の清々しい木道を東大巓を目指す。今日も急ぐほどもない行程だから、木道脇の花々や湿原を見ながらゆっくりと歩く。弥兵衛平湿原はワタスゲが見事だが、高山植物の種類はそれほど多くは無いようだ。
50分ほどで昨日昼食をとった東大巓の分岐に到着、ザックを下ろして5mほど上がった山頂を踏む。山頂は木々の中で展望はなく立木の上部に「スキーツアーコース・東大巓」の看板がかけられていた。広大な吾妻連峰の絶好の目印の山であろうかと思う。木道に戻り前方を見ると昨日歩いた稜線が良く見える。ここら当たりも弥兵衛平の一角で湿原には小さな池塘も見える。ワタスゲが多いがチングルマの花期が終わったヒゲ様の姿が沢山見られる。
20分ほど進んで稜線分岐を大倉新道に入る。最初の30mほどは木道であったが直ぐに笹が被さる踏み跡薄い登山道になり、掘割状に洗掘されていた。ズボンも濡れるにまかす。大倉新道は廃道に近い状態であったが、赤布が道を間違えることなく導いていた。昨日の稜線よりも更に休憩場所に乏しく先を急ぐしかなかった。薮の中で谷地平から上がってくる単独の若者と遭遇し、情報交換する。ガイドブックでは2時間のコースタイムであったが昨日家形山で別れた登山道整備の作業員が今日はこちらに回って刈り払いをする谷地平には2時間半掛かって9時半過ぎに下りついた。反対側からきた登山者が谷地平湿原をカメラに収めていた。
木道の休憩スペースに腰を下ろし行動食をとりながら休憩する。それにしても弥兵衛平といい谷地平といい素晴らしい湿原があるものだと感動を深めるのであった。湿原の姥ヶ原側からの入口には谷地平避難小屋があり、これも昨日の酢ヶ平の小屋と同じく立派なものであった。小屋から始まる姥ヶ原への登り返しは疲れた体に厳しいものであったが、適度に休憩を挟みながら12時には姥ヶ原の東吾妻山登山口についた。ザックを木道の下にデポし、サブザックで丘のような東吾妻山目指す。40分ほどでハイマツの中、裸地化した山頂に立った。会津磐梯山が直ぐそこに見える。そして裏磐梯の桧原湖や五色沼などの湖沼を見ながら大勢の登山者が歓声を上げていた。簡単な昼食をとり山頂を後にする。
30分ほどで姥ヶ原に下り鎌沼には足を向けず、浄土平に延びる木道を進み、14時過ぎには浄土平の駐車場に戻った。車の影で着衣を着替えさっぱりした後、ターミナルの食堂でキノコ蕎麦を食べる。
空身の軽装でサブザックを担いで目の前の吾妻小富士を一回りした。
2日分の駐車料金820円を支払い浄土平の駐車場を後にした。

 


一切経山 イッサイキョウ 標 高 1949m 日本三百名山

山 域

吾妻山


山頂から見る日本百名山・西吾妻山

 
残雪に映える鎌沼と浄土平の反対にある吾妻小富士

登 山 記 録
登山月日 2004年5月17日
登山経路 吾妻スカイライン・浄土平6:20〜山頂7:10/7:20〜浄土平8:05
行動時間 登り50分 下り45分 合計1時間45分(休憩時間を含む)
天  候
メンバー 単独

情  報

アクセス 吾妻スカイラインは6時から開通
トレイル 火山礫のガレバもあるが少しの問題もなし
水場・トイレ 浄土平には水洗のトイレがある
その他 吾妻小富士とセットで登る人が多い

山行記

スケールの大きな裏磐梯の夜明けを楽しみながら、吾妻スカイラインの入口には早朝5時過ぎに着く。料金所のゲートは閉められていたが、係員が「通って良い」とゲートを開けてくれたので車をスカイラインに入れる。開通時間前なので料金も徴収されなかった。「早起きは三文の徳」と言うことだ。無人のスカイラインを浄土平まで走る。浄土平の駐車場も又、無人で入り口は開放されていた。
吾妻小富士は曇り空の下、全容を見せてはいるが、目指す一切経山は山頂付近に霧が掛かっている。天気は下り坂のようで急いで支度をして登山道に入る。
火山礫のガレバ場に付いた道を登り切ると鎌沼がきれいに見える。その右後方に一切経山の山頂が見えてきた。砂礫の中を進めば苦もなく山頂に立つ。
西吾妻山に延びる吾妻連峰が一望できる。4年前に登った西吾妻山は雨の中であったが、こうしてみるとゆったりとした山容を見せていて懐かしいばかりだ。遠くに月山や蔵王の山も見えるのであるが山座同定は出来ない。
何とか持ってくれた天気に感謝しながら往路を戻った。

 


栗子山 クリコヤマ 標 高 1217m 標高1003山 山 域 吾妻連峰
登 山 記 録
登山月日 2019年10月6日
登山経路 米沢砕石場ゲート9:00〜万世大路入口9:25〜栗子隧道10:50/11:00〜稜線11:50〜栗子山12:20/12:30〜栗子隧道13:20〜万世大路入口14:55〜採石場ゲート15:20
行動時間 登り 3時間20分 下り 2時間50分 合計 6時間20分 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候
メンバー 𠮷川女史と
情   報
アクセス 米沢市刈安の米沢砕石まで舗装道路
トレイル 万世大路は砂利道もよく踏まれている 栗子隧道から先は樹林帯の急坂と笹原の稜線に薄い踏み跡あり
水場・トイレ 米沢砕石工場が最終toiletその先栗子隧道付近まで沢水取れる
その他 一等三角点峰  「万世大路は」明治天皇命名
山行記


万世大路入口と栗子隧道


笹藪の下の道を歩いて一等三角点へ


山頂で


前日登山口になる米沢砕石工場に下見に行った。「明日は休日だから工場ゲートを占めるので工場の入口ゲートから2キロほど歩くようになる」ということであった。
翌日Y女史と米沢駅で合流し、工場入口には9時前に着いたが、やはりゲートは閉まっていた。工場内を20分ほど歩いて万世大路入口に着いた。さらに500mほど歩くとゲートがあり、平日ならここまで車が入れるらしい。平日に比べ30分ほど余分に歩いたというわけである。
「万世大路」は明治の初年、山形から福島に抜ける馬車道として開鑿された道路で、県境の栗子隧道開通時には明治天皇が巡幸されて、「万世大路」と名付けられたという由緒ある道路で昭和の中頃まで供用されていたそうである。ゲートの先に「栗子隧道まで3キロ」の標識があり、その先にも0.5キロおきに標識が立っていてよい目安であったが、結構急こう配で栗子隧道までは約300mほど高度を上げていた。途中山ぶどう狩りの古老がバイクに乗ってきた。「どこさ行だ?」と聞くので「栗子山に登る」と答えると「栗子山に登山道はない、止めとけ」と云って爆音響かせながら先に行った。荒れた万世往路を黙々と歩いて、栗子隧道には砕石工場入口からは約2時間の行程であった。明治に掘られた隧道は素掘りで崩壊が激しく、2代目の昭和の隧道も坑口はコンクリートで覆工されていたが、内部は崩落し立ち入り禁止されていた。付近では古老が熊よけの口笛吹きながら山ぶどう狩りしていたので声かけると、またしても「この先藪で登山道などない」と言うので、Y女史が持参した山行記録を見せると「いい加減なことを書いて」と憤慨していた。「登山道がなかったら引き返してくる」と言って藪をかき分け赤布を追った。藪の被さるのは栗子隧道からわずかな距離でその先には狭いながらもしっかりした作業道とも思える登山道が続いていた。
登山道は樹林の中で、やがて急坂を直登するようになり、足を滑らしながら高度を上げて行き、中段に来ると樹林が切れて笹原の中の道となった。朝露で濡れた笹で着衣は見る見る間にびしょ濡れになったが委細構わず登りつづけ、稜線に登りついた。稜線からは30分というコースタイムであったので、休む間もなく笹原の下の道を踏み外さないように歩いた。ガスの中で見通しも悪く気の滅入る稜線であったが、2〜3ほどの小ピークを越えて笹原の中にしっとりと佇む一等三角点の栗子山に到着した。栗子隧道からは1時間半ほどの行程であった。濡れた着衣で体温が奪われ低体温症を心配するほどであった。山頂写真を撮った後は往路を急いで下った。急坂の下りでは何度か尻もち付きながらも栗子隧道に下ってほっと胸をなでおろしたのである。
万世大路を歩くころには天候も回復し気温も上がって着替えることもなく歩くことが出来た。砕石工場からゲート前に下山すると、工場経営者と思える若者夫婦が「忘れ物を取りに来たと言ってゲートを開ける時であった。「刈安部落の山主にはカギを預けてあるから山菜やブドウ狩りに入っている者もいる」ということであった。栗子山、遠来の登山者が多いが初心者には登らないように注進しているようである。


半田山 ハンダヤマ 標 高 863m 日本の山1000

山 域

奥羽山脈南部
登 山 記 録
登山月日 2010年11月26日
登山経路 半田山山頂駐車場10:30〜半田山10:55〜駐車場11:10
行動時間 登り 25分 下り 15分 合計 40分 (休憩時間を含む)
天  候
メンバー 単独

情  報

アクセス 山頂駐車場まで舗装された林道が延びる
トレイル 少々急坂が続く
水場・トイレ 山頂駐車場までの林道途中にある
その他 半田沼周辺は半田山自然公園

山行記


一等三角点の半田山と山麓の半田沼

ナビを桑折町半田山にセットすると半田山自然公園とは別の林道を経由して山頂駐車場まで案内してくれた。仙台ナンバー1台の車が停車していた。
登山口には山頂まで0.9キロの表示があった。登山道はやがて急坂となりジグザグをきってあったが、苦労することも無く山頂に登りついた。先行した単独行氏が眼前の阿武隈山地の山々を眺めて休んでいた。一等三角点の山頂をカメラに収めた後、山頂ステイをする事も無く下山に掛かる。木々の間に山麓の半田沼が望まれた。

 

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