2007年ホノルルマラソン激走の記録

ぐずつき気味の今年のハワイの天候ではあるが昨日(12/8)はきれいに晴れ渡って、マラソン当日の天気には少しも不安を感じなかった。時差ぼけが解消されず寝付かれない夜であったが、午前2時過ぎにモーニングコールで起こされる。
カーテンを開けて外を覗くと月明かりの空はなにやら怪しい雲行きで、街を走る車の明かりを見つめていると突然雨が落ちてきて窓を濡らすのであった。なにやら波乱の’07ホノルルマラソンになりそうである。

<ホテルで準備>
前夜、阪急交通社から渡された朝食のクロワッサンとバナナを食べるが、少し物足りない。こんなこともあるだろうと前日ホテル前のABCショップでおにぎりを買っておいたのでこれもお腹に納める。何とかレースに出られる腹ごしらへは出来た。そして次は問題の排Benである。ムスコは腹を満たした後、しっかりとトイレに入って済ませるが、私は中々便意をもようさない。時差ぼけと睡眠不足も重なり、中々体が対応できないのである。トイレに入って気張ってみても出るわけがない。(排Ben未済)の不安を抱きながらホテルのロビーに下りる。阪急交通社以外にもHISやJTB関係の参加者も集まっていた。

<ホテル〜スタート前>

3時半にホテルを出てスタート地点に向かう。先ほどの雨は上がっていたが、いつ又降り出すか分からない生暖かい風が吹いていた。
はやる気持ちを抑えながら、しかし徐々に戦いモードに切り替えながらのこの気持ちの高ぶりがいくつになってもマラソンをやめられない理由の一つである。真夜中のホノルルの街も暗いだけで市民も沢山起きてスタートラインに向かうランナーに声援が送られるのである。小1時間ほどでスタート地点のアラモアナ公園についた。突然激しいシャワーが降り出す。木の下で雨宿りをするがホテルで渡された簡易ポンチョを出す暇もないくらいで10分間ほど濡れるに任せるばかりだ。
そして完走予想タイムごとに区分されたスターティングブロックに向かう。私とムスコは4〜5時間ブロックに着いてスタートを待つ。大音響の音楽を流して盛り上げる応援団は何を言っているかさっぱり分からないがドンドンと興奮が高まってゆく、そしてスタート30分前には又激しいシャワーが降り出す。今回は簡易ポンチョのお陰で体を濡らすことはなかったが、ランニングシューズはずぶ濡れとなった。周りの日本人女性はシャワーを浴びて体を震わせていた。

<スタート〜8マイル>
シャワーが上がった後、しばらくすると花火が上がっていよいよスタートである。皆が気勢を上げて自分を高めている。私もこのときばかりは若い者には負けてはいない。花火が上がってから8分過ぎに雄叫び上げてスタートラインを踏んだ。街路灯は点いてはいるが足元は殆ど見えない暗がりを3万人のランナーが走り始めたのである。興奮の為かスタートラインを踏んでもまだまだ奇声を上げるランナーがいる。歩道で声援を送る市民も同じ感動と高ぶりを見せている。
ゆっくり走ろうと思うが少しペースが遅い。道幅一杯に走るランナーでこれをかき分けて自分のペースに入るのは至難の技だ。回りのランナーに遅れないように追い越さないように集団に着いて行くしかないのである。ムスコには「できるだけ離れずに一緒に走ろう」と言っていたのであるが、5分もしないうちに人ごみの中に見失う。「しっかり走ってゴールで待っていてくれること」を祈るばかりである。昨日待ち合わせ場所をお互い確認しているので大丈夫だろう。
カピオラニ通りを過ぎてホテルの立ち並ぶカラカウア大通りに入る。応援団もここらあたりが一番賑やかなところである。「ガンバレ・ファイト」の日本語と「チャオ・チャオ」のイタリア語?そして良くはわからないはどうやらアメリカンは「グッジョブ」と声援を送っているようだ。しかし圧倒的に「ガンバレ・ガンバレ」が多い。「ガンバレ」は今や国際語であろうかと思う。
距離標識はマイル表示で5マイル(8キロ)走ってワイキキビーチの近くである。ここでようやくペースを確認することが出来た。タイムはスタートラインを踏んでか57分経過していて、私は1キロ6分30秒ペースを予定していたので、そのペースに戸惑う。しかし26マイルの長丁場である、今回はタイムは余り気にすることはなくゆっくり楽しもう。

<中間地点まで>

ゴール地点のカピオラニ公園の脇を走りぬけ、ダイヤモンドヘッドの麓は結構な上り坂になっている。「マイペース・マイペース」と言い聞かせながら走る。
10キロ標識(5キロごとにキロ標識がある)付近を走っているとセパレートされた反対側の道路からカメラマンが飛び出して、私の前を走るランナーの撮影を始めた。怪訝に思いながら私もそのまま走る。どうやらプロ野球楽天の前監督・田尾安志氏のようだ。2分ほど撮影してカメラマンは脇に離れた。田尾氏の隣を走っていた女性が嬉しそうに田尾氏に声を掛けながらデジカメで写真を撮っていた。(私もハゲ頭と腰にポンチョを丸めてぶら下げたさえない姿をカメラにとられてしまった。正月番組で放映されるらしい)
ダイヤモンドヘッドの坂を上りきると今度は少し下る。坂の下から太陽が昇ってきた。先を走るランナーが一望できる。ここらあたりでは列もばらけ、自分のポジションをあげてゆくことが出来るのであるが徐々に奪われた体力の消耗が激しく、回りのランナーと脚を揃えるばかりだ。エイドステーションは水と清涼飲料が用意されている。そのたびに給水を取るのであるがスタート前の(排Ben未済)の不安があって慎重にならざるを得ない。口に含むが全部飲み干すことは出来ない。その代わりに水を浴びて頭を冷やす。どこの仮設トイレも長い行列が出来ていて5分くらいのロスタイムは覚悟しなければと思うと小便も我慢してきた。
15キロ過ぎからカラニアナオレ・ハイウェイに入る。反対側は35キロ地点で折り返してきたランナーが爆走している。どうやら天気は持ちそうで、単調なハイウェイをひたすら走る。20キロ地点は2時間25分、中間点通過は2時間33分であった。もうこの頃になるとあまり時間は気にならなかった。

<35キロまで>
中間点を過ぎるとハイウェイを離れてハワイカイの周回コースに入る。橋を渡る手前で仮設トイレに走る。ここらあたりまで来るとそこに並ぶ列も5人くらいになっていた。大のほうは収まっていたが小は我慢の限界に達していて、済ませると生き返った気持ちになるのであった。5分くらいのロスはあったが気をとりなして再びコースに戻る。ハワイカイの周回コースは閑静な住宅地だ。周りのランナーは半分近くがウォーキングに入っているが私は最低30キロはランニングを続けようと足を上げ続ける。しかし意気込みもどこへやら25キロを過ぎて給水するともう余力はなかった。スタート前のシャワーとその後の蒸し暑さによる体力の消耗が激しくとうとうランニング&ウォーキングに切り替えてしまった。
そして又、通り雨が来て慌ててポンチョを被りハイウェイを疾走歩?するのであった。ラン&ウォーキングと言えども1キロ10分の目標はある。5割くらいは足を上げて進み続けなければならない。25キロから30キロまでの5キロは42分かかって、30キロ通過は3時間50分であった。
更にハイウェイをウォーク&ランで35キロ通過は4時間39分。

<ゴールへ>

35キロを過ぎてハイウェイを過ぎると住宅街の中を走る。ここまで来ると殆ど脚が上がらなくなるが回りも皆同じである時折走って追い抜いてゆくものがいるが少しすると又周りを歩いているのである。ダイヤモンドヘッドが間近に見えてくると往路に戻る。そして最後の標識40キロ・26マイルを過ぎるとランナーは俄然走り出す。往路は厳しい上り坂もゴール手前では易しい下り坂である。田尾・前楽天監督の撮影ポイントはこの辺りだったろうかと思いながらゆっくりゆっくりゴールを目指す。
そしてとうとうカピオラニ公園のフィニシュゲートを潜ることが出来たのである。夜明け前の5時スタート〜6時間丁度午前11時で、スタートラインを踏んでから5時間51分36秒のネットタイムであった。

<ゴールイン>
ゴールイン後は阪急のスタッフの案内で引換所で荷物を引き取り阪急交通社のテントの中で着替える。朝浴びたシャワーが乾くことなく、レースで吹き出た汗でランニングシャツもパンツも濡れたまま走りきったのである。シューズも濡れたままであったので靴擦れがひどく、左足の親指の爪が内出血を起こしていた。素裸になりバスタオルで汗をぬぐい、着替えを済ませると本当に生きた心地がするのであった。先着していたものとばかり思っていたムスコは、私よりは30分遅れでフィニシュしてテントに戻る。用意されたおにぎりとウーロン茶を飲み干し、フィニシャーTシャツを着てダイヤモンドヘッドをバックに感動の記念撮影である。

12時半のバスでホテルに戻り、一休みの後、ワイキキビーチにあるハワイアンバンドの生演奏を聴きながらサーロインステーキとロブスターのバーベキューを食べた。
完走者パーティに出れば仲間の輪も広がったのであるがムスコの遠慮する姿を見たくないのである。

 

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