2003年夏ふれあいの北海道山行

(余市岳・ニセコアンヌプリ・芦別岳・天塩岳)

日本二名山 天塩岳 テシオダケ 標 高 1558m

山 域

道北
登 山 記 録
登山月日 2003年8月23日
登山経路 天塩岳ヒュッテ7:50〜新旧連絡路8:20〜新道分岐9:00〜円山10:00〜天塩岳避難小屋10:15/10:30〜天塩岳11:05/11:15〜避難小屋11:50〜円山〜天塩岳ヒュッテ13:45
行動時間 登り3時間15分 下り2時間30分 合計5時間55分(休憩時間含む)
天  候
メンバー 単独+ウルトラ山キチ女史ご一行

情  報

アクセス 道道下川愛別線の鬼頭峠を越えて清水町に入ると天塩岳の看板が見える。林道に入り天塩川沿いに進むとポンテシオダムを過ぎて更に進むと天塩ヒュッテに着く。
トレイル 新道への連絡路は急坂もその後は尾根道が続く
水場・トイレ 水場は途中の沢水利用できる。トイレは避難小屋にある。
その他 絶好の展望も風雨強く
山行記


天塩ヒュッテと強風の山頂

芦別岳を下りた後、大雪連峰の麓を廻って愛別町に入る。
今夜は天塩岳ヒュッテ泊まりの為、食材を買い求める。協和温泉で芦別岳の汗を流して、朝日町から長い林道を走って夕暮れの天塩岳ヒュッテに入る。今夜は「ポロシリ萱野」氏と二人、ヒュッテ貸し切りかなとビールを飲みながら話が弾む。
外が暗くなった7時過ぎに後続の車が到着した。岐阜県大垣から来たと言う女性1人・男性3人のパーティである。女性は60歳くらいで男性は65歳以上に見える。やがて会話が始まる。
女性はモンブランとキリマンジャロの海外の山を登っていて、「5大陸の最高峰」登頂が夢であり、国内では「日本の山1000座」を目指しているという猛烈山女である。度肝を抜かれ、呆気にとられながら彼女の話の中に引きずり込まれながら眠りにつく。
ヒュッテを揺るがす強風と激しい雨音に何回も目をさましながら朝を迎える。今日は低気圧の通過で午前中激しい雨が降るという予報である。雨の納まるのを待って登山を決行しようと思うが、いっこうにやむ気配はない。私は意を決して雨中登山の支度を始める。既に登頂済みの「ポロシリ萱野」氏には雨中の同行登山は遠慮いただき単独で山頂を踏もうというわけだが、どっこい猛烈山女「ウルトラ山キチ女史」も私と一緒に行こうと、支度を始める。結局、私と女史と男性2名の4人で猛烈に降る雨の中を頂上目指す。
ヒュッテから30分の新旧連絡道下分岐までの林道は少し風も収まり安心して歩くことが出来た。連絡道は急坂の連続であるが泣き言など言っていられない。後続の3人を引き連れ委細かまわず先を急ぐ。新道との道を合わせると尾根道となり緩いトレイルとなる。風雨はあいかわらずで林帯の切れ目では右側から突風が吹き付ける。円山の山頂を踏んで避難小屋迄の登山道は川のような状態になっていた。私はこういうことも予想してゴム長靴を履いてきたので他の3人にうらやましがられる。
円山から15分ほどで立派な避難小屋に到着だ。時間に余裕が有れば前夜ここに入って泊まるのも良さそうに思う。トイレも又きれいである。しばし休憩し濡れた下着を着替える。
又川のような登山道に戻って山頂を目指す。
樹林帯が切れてハイマツ帯にはいると凄い風が吹き付け、何回か吹き飛ばされそうになるが、よくこらえて一等三角点の天塩岳山頂を踏むことが出来た。天気が良ければ素晴らしい展望の山というが、その片鱗も伺い知ることが出来ずに誠に残念である。写真を撮ることもままならない状態であるが何とか証拠の山頂写真を収めて、すぐに下山を開始した。
避難小屋に戻り昼食をするという「ウルトラ山キチ女史」に別れを告げて先に下ることにする。円山を過ぎる当たりから、風も収まりはじめ気を取り直しながらゆっくり天塩岳ヒュッテに下った。
尚、これから後も3座連続で「ウルトラ山キチ女史」と前後して山を登るのであった。

上川町に出て層雲峡の「かんぽの宿」で汗を流し、ニセイカウシュッペ山の登山口に向う。

 


日本二百名山 芦別岳 アシベツダケ 標 高 1727m

山 域

夕張山系
登 山 記 録
登山月日 2003年8月22日
登山経路 新道登山口5:30〜鶯谷7:50〜半面山8:30/8:40〜雲峰山9:35〜山頂10:10/10:55〜半面山12:00〜登山口13:50
行動時間 登り4時間40分 下り2時間55分 合計8時間20分(休憩時間含む)
天  候
メンバー 単独

情  報

アクセス 富良野市山部「山部自然公園太陽の里」キャンプ場
トレイル 新道コースは急登が続く、雲峰山からは岩稜もある
水場・トイレ 新道コースの途中には無い
その他 ユーフレ小屋に泊まり旧道コースを歩くと更に魅力的な山
山行記


雲峰山から芦別岳の山頂

富良野市山部「太陽の里」キャンプ場で朝を迎える。昨夜苫小牧からR237を一気に走って迷うことなく山部の「太陽の里」キャンプ場に到着して車の中で仮眠をとった。
新道登山口には立派な登山標識がつけられている。早朝5時前というのは熊の活動時間帯になるので緊張する。大学生とおぼしき若者が先に登山道に入っていった。私も軽い朝食をとり、ラジオをがんがん鳴らしながら後に続く。鬱蒼と樹林帯の中はやはり不気味なもので本当に熊の恐怖感が募るのである。時折声を上げて熊さんに所在を告げるのであるが逆効果になりやしないかと思う。
しばらくは緩い尾根道を歩くが、やがて「呻吟坂」と命名された急坂となり汗を搾り取られる。汗を拭い休憩をはさみながら3時間歩いてコースガイドの通り半面山に到着した。ようやく芦別岳の山頂が見えてきたが前衛の雲峰山の向こうに険しい岩肌を見せていて随分先に見える。先行していた大学生と覚太郎コース分岐で追い越していった同年輩氏が休んでいた。ここからは3人で歩くことになる。
大学生は8日間の大雪連峰縦走を楽しんだ九州からの若者で、同年輩氏は元自衛官で最近山にはまりだしたらしい。話も弾むが脚力は私が一番劣るようで雲峰山直前で脱落した。雲峰山に立つと芦別岳が眼前に開けていた。ここでも小休止する。
少し下って最後の登攀にかかる、力を振り絞って雲峰山から30分強で山頂を踏むことが出来た。
山頂の反対側にはガスが忍び寄り、期待した大展望は得られないが、登ってきた富良野方面の展望は開けていてまずは満足の山頂である。半面山から同行した3人で談笑しながら食事をとる。1時間も同行すれば同士のようなものである。貧乏旅行の大学生には少しお裾分けして喜んでもらえる。思っていたよりも随分ときつい登山に息を整えるのに時間が掛かる。
1時間の山頂スティを楽しんだ後、旧道を下るという2人に別れを告げて新道を下った。
午後2時に登山口に戻ると約束したこともあり尾根道にはいると駆け足下山になったが、予定通り「ポロシリ萱野」氏の待つ登山道入口には2時前に下り着くことが出来た。

 


日本三百名山 ニセコアンヌプリ 標 高 1309m

山 域

道南
登 山 記 録
登山月日 2003年8月21日
登山経路 ニセコ山の家登山口12:30〜山頂13:45/14:00〜登山口14:55
行動時間 登り1時間15分 下り55分 合計2時間25分(休憩時間含む)
天  候
メンバー 「ポロシリかやの」氏と二人

情  報

アクセス 羊蹄山を目指して倶知安からすぐ
トレイル 砂礫の登山道を人登り
水場・トイレ ニセコ山の家登山口二キャンプ場があり水トイレとも揃っている
その他 羊蹄山ヶ目の前に

山行記

余市岳を下りて羊蹄山の姿を眺めながらニセコ山の家には12時過ぎに到着した。登山口から眺めるニセコアンヌプリの山頂は随分と高く聳えていて、午後からの登山で大丈夫かなと思う。しかし手頃に登山が楽しめる人気の山のようで、平日にも関わらず何人かが山に入っているようだ。
登山道はここも灌木の中、きれいに整備されている。途中から転石・岩屑の道となり歩き辛くなる。
下から眺めると随分と遠くに感じた頂上も1時間15分で踏むことが出来た。
眼前に聳えるであろう羊蹄山の姿を期待してきたのであるが、羊蹄山は全容が雲に覆われて姿を見せていなかった。往路を下り、真狩温泉で汗を流して苫小牧から富良野へ長い道をたどる・


日本三百名山 余市岳 ヨイチダケ 標 高 1466m

山 域

小樽
登 山 記 録
登山月日 2003年8月21日
登山経路 キロロ・リゾートスキー場〜登山口6:25〜見晴台〜山頂8:15/8:30〜登山口10:15
行動時間 登り 下り 合計(休憩時間含む)
天  候
メンバー 「ポロシリかやの」氏と二人

情  報

アクセス キロロ・リゾートのマウンティンホテルの最上部から荒れたダートの林道を20分程入ると登山口である
トレイル 登山口から稜線までは潅木帯の中の静かなトレイル 稜線から先は笹原の気持ちよいトレイル
水場・トイレ 沢水ある トイレはない
その他  
山行記

小樽でフェリーを下りてキロロ・スキー場に向かう。途中買い物をしても1時間も掛からずに到着した。一昨年幌尻岳で知り合って、その後メールを交換していた「ポロシリかやの」氏が休暇を取って迎えにきていてくれる。本当に感激だ。
キロロ・リゾートのマウンティンホテルの最上部から荒れたダートの林道を20分程入ると登山口である。登山口からは目指す余市岳の山頂が見て取ることが出来る。今回の山行の足馴らしとしてはちょうど手頃な感じに聳えている。
灌木帯を1時間も歩くとスキー場のリフト頂上駅からの道を合わせる。ここが見晴台であって、一面笹原になり、その向こうに余市岳の全容が開けてきた。一旦鞍部に下り30分程で山頂の一部に到着した。台形の山頂は30年ほど前に山火事があったとかで、その名残かハイマツの白骨化した痛ましい姿も随所に見られる。300m程奥まった山頂に着くと残念ガスが上がってきてしまい展望は得られない。「ポロシリかやの」氏と談笑しながらしばし休憩する。日本海からの季節風が吹き付けるであろう山頂は標高の割には厳しい様相であった。

 

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